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Vol. 60 (2017) No. 1 p. 60-64

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http://doi.org/10.1241/johokanri.60.60

この本!~おすすめします~

この本! おすすめします ニコニコ学会βと人文学のフロンティア:2冊の本の紹介から

「人文系の研究者なのになぜ運営委員長?」――新時代のアカデミア創出を目指したニコニコ学会βにかかわった私は,度々そのように聞かれていた。本誌2017年1月号では「共創型イノベーションを創出する:ニコニコ学会βの活動を通じて」と題して,江渡浩一郎氏(産業技術総合研究所)との共著でニコニコ学会βの5年間の活動をまとめた記事を掲載していただいた1)。今回は,ニコニコ学会βにかかわる私の研究というテーマとそれにかかわる本を取り上げてみたいと思う。2017年1月号の名義と異なっているが,ニコニコ学会β運営委員長としてはこの名義で統一していたので,ご了解願いたい。

はじまりはやはり…

ニコニコ学会βを立ち上げた江渡氏にとっても,その動機の一つは東日本大震災と福島第一原子力発電所事故だった注1)。私にとってもニコニコ学会βにかかわるようになった淵源(えんげん)はそれであり,『ニコニコ学会βのつくりかた:共創するイベントから未来のコミュニティへ』でいきさつを記している2)

今なお続くあの出来事は,日本のおよそどの学問領域の研究者にとっても無関係ではないだろう。それに対して自らの学問が裨益(ひえき)するよう行動できた人文系の研究者は,いったいどれだけいたのだろうか。たとえば,郷土の伝承や習俗をいち早く保存すべく現地入りした人もいた。しかし,自身の研究の無力さを思い知らされた私にできたことは,震度6弱の揺れで大きな被害を受けた職場を早期に復旧し,新入生と新年度を極力円滑に迎えることだけだった。

それに対して,情報系や理工系の研究者では,原発事故の収束作業に当たるロボットを開発する人,放射能に関するデマを検証し科学的に批判すべく情報発信を行う人など,自らの知見を生かして難局に立ち向かおうとする姿を多く目にした。本誌2016年11月号の「この本!~おすすめします~」でも,江渡氏は「事件は会議室で起きている:岩手県災害対策本部の裏側」の中でITによる被災地支援について述べている3)

東日本大震災と原発事故を契機にして,日本の学問は自己を反省し新たな局面に入らざるをえないはずだった。しかし,こと人文系の研究者には高踏的に振る舞う例もみられ,急速に社会からの信頼を失ったように感じられる。その象徴は,2015年6月の文部科学省によるいわゆる「国立大学人文社会系学部の廃止・転換」の通知に際して浴びせられた,世間や他分野の大学関係者からの冷ややかな反応だったのではないだろうか。

ここに至っては,従来のやり方だけでは人文学は存続しえないだろう。そのうえ,ロボティクスと連携した人工知能研究のように,人文学と共通した問題領域に進出する事例もみられるようになった注2)。こうした状況下で私が人文学を「拡張」すべく取り組んできたのが哲学・思想の可視化や可触化であり,ニコニコ学会βを一つのテコに試みてきた。

西洋古代哲学のある終着点

かなり長い前置きになってしまったが,今回紹介するプロクロス『神学綱要』注3)とはどのような著作なのだろうか。また,この本は「人文学の拡張」というテーマにどう関係するのだろうか。

プロクロスは,紀元412年生まれの485年没とみられ,「古代哲学最後の光輝」と呼ばれる新プラトン主義注4)の哲学者である。アテナイにおいてプラトンが創始した学園アカデメイアの学頭として活躍した彼の生涯は,キリスト教が勢力を拡大しギリシャの哲学・思想が大きく変容する時期にあった。彼の死後,アカデメイアは東ローマ帝国皇帝により閉鎖命令を受け,西洋古代哲学も幕を下ろす。

『神学綱要』は「神学」と銘打たれてはいるが,無意味あるいは不要なものの代名詞と揶揄(やゆ)されるような,現代日本の文脈における「神学」ではない。諸存在の階層として一者に始まって物体・身体まで至る新プラトン主義の体系が,全211の命題とそれに対する証明をテーマごとに束ねた構造によって開陳されている。これは,古代ギリシャでいえばエウクレイデス(英語読みするとユークリッド)の『原論』と共通したスタイルである注5)

この『神学綱要』で私が以前から注目していたのは,第184命題からの「魂(プシューケー)」を論じる章のうち,同書全体の最終盤に登場する魂の「乗り物(オケーマ)」という一見奇妙な概念である。第209命題をみてみよう。

すべての<部分的な魂>の乗り物は,素材的な度合の強い衣服をまとうことによって降下し,素材をもつものすべてを捨て,自己に固有の形(エイドス)を取り戻すことによって,魂とともに帰還する。……魂も,非理(アロゴス)的な生を加えもつことによって降下し,降下に際してまとった生成に関する力のすべてを捨て,生成に役立つような力のすべてを捨てて浄らかになる時,上昇するからである注6)

プロクロスにおいて,人間は神的な知性(ヌース)を分けもつ魂と身体から構成されるが,魂と身体は(プラトン的伝統にのっとり)存在身分がまったく別であって,本来は共同することができない。魂が不死・不滅の非物体的な実体(本当の意味で「リアル」なもの)であるのに対し,身体ないし物体は生み出され滅びるもので,本義においておよそリアルでない仮象にすぎないからである。人間の魂は身体をまとって知性界から生成界(この世界)に降下し人間として出生するわけだが,その対として上昇による帰還も措定される。まったく違う存在領域がどのように懸け橋されてこの降下と上昇が行われるかは古来より難問であり,両者のいわばインターフェースとして,「永続的で不生不滅なる存在(ヒュポスタシス)を有する第一義的な物体」が登場し(第196命題),これが魂の乗り物とされるのである。

この『神学綱要』は西洋古代哲学が抽象的思考の果てにたどり着いたある終着点といえる。本誌の読者が読まれると,あまりに具体性に乏しい「形而上学」だと目眩(めまい)を覚える方もいる一方,オブジェクト指向の何かとの類似性を感じる方もいるかもしれない。いずれにしても,抽象度の高い(新プラトン主義者たちにとっては「実在(リアリティー)」の度合いが高い)思考を突き詰めた先に問題となる感覚的・物質的世界との懸け橋という問題は,「世界の名著」シリーズで『神学綱要』の和訳が掲載されている『プロティノス ポルピュリオス プロクロス』において,他の新プラトン主義者たちの著作にも見いだされるであろう。「リアル」をめぐるおよそ現代では想像もつかないような知的探究の一端に触れてみることは,個別的な問題に流されがちな私たちのあり方を再考するヒントになるかもしれない。

さて,魂の乗り物は,思考対象の領域を感覚対象の領域に引き下ろすとともに,感覚対象の領域を思考対象の領域に引き上げるという媒介者となっているのだが,現代のオカルティズムや秘教思想でも登場し人間の身体を包む「アストラル体」や「星気体」とも呼ばれるのが興味深い。これは,星のように光を放つ(身体そのものとは別のレイヤーの)体という意味合いをもつ。つまり,魂の乗り物は光にかかわる性質を帯びているのだが,これはプロクロスに先行する新プラトン主義のイアンブリコス(245~325年)によって,人間を魔術的な技法でもって救済する際に働きかける対象という位置づけも与えられている。


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『世界の名著 続2 プロティノス ポルピュリオス プロクロス』,田中美知太郎責任編集,中央公論社,1976年,品切重版未定

初音ミク電飾ウェディングドレスからニコニコ学会βへ

こんな話をすると西洋古代哲学とニコニコ学会βとのつながりが想像できずに読者は当惑してしまうかもしれないが,そのつながりの契機となったのが2011年10月に私のゼミの有志で製作した「初音ミク電飾ウェディングドレス」だった。これは電源やマイコンを目立たないよう内蔵し,無線で約5,000個のLEDを発光制御できるシステムである(着脱に小1時間かかる代物で,「衣装」にしては大がかりすぎるとよくいわれていた)。製作のきっかけは本来の研究とは別のところにあったのだが,さまざまなところに呼ばれてパフォーマンスするようになると,天使のような存在に仮託しながら身体を包んで時に崇高な仕方で光る衣装というものが,抽象的で難解な哲学・思想の思考内容を表現する手段になりはしないか(もちろん正確な対応関係にはならないが)と着想するようになった。

前述したような存在の高まりによって光を放つ体というモチーフはプロクロスらに限った話ではなく,20世紀の宗教学者ミルチャ・エリアーデが論文「神秘的な光の体験」4)で述べるように世界の諸宗教に通底してみられるものである(たとえば,仏像に金箔(きんぱく)が貼られている理由は単なる装飾よりも光の表現と考えた方がよく,実際に今日の東南アジアでは仏像に電飾を施すことが挙げられる)。しかし,こうした内容については,専門家だけが文字の上だけであれこれ想像するよりも,実際に試して異分野の人も一緒になって考えてみる方がわかりやすいというわけだ。

その後,他薦を受けて登壇したのが2012年4月のニコニコ超会議で併催された第2回ニコニコ学会βシンポジウムの「研究してみたマッドネス~メカの部~」であり,人文学の抽象的な思考内容を感覚に訴求する表現として「実装」し提示する研究として発表を行った。これをきっかけに,思考対象と感覚対象をどう双方向的に懸け橋するかという私の試みが始まることとなったのである。こんなむちゃくちゃな話であってもニコニコ学会βの人たちが面白がってくれたのは,私にとって非常に印象深い体験だった。

思考対象と感覚対象の懸け橋をめぐる方法論

とはいえ,哲学・思想という不可視の内容を視覚的に表現することは特に目新しいことでもなく,古来より行われてきたことである。このテーマについて(美しい図版と装丁によって)私たちを大いにインスパイアしてくれるのが,マニュエル・リマ(三中信宏訳)『The Book of Trees 系統樹大全:知の世界を可視化するインフォグラフィックス』である。この本は広く樹形図について垂直樹や放射樹などさまざまなバリエーションを挙げながら,古代から現代にわたるビジュアライゼーションを提示してくれる。不可視の対象を可視的にどう表現するかという方法論は今日さまざまな領域の人々に必要と思われるが,本書はあまり難しく考えずとも美術書や図録のようにめくって楽しめるのが特徴といえそうだ。

実はここにも西洋古代哲学は登場していて,やはり新プラトン主義の哲学者で先のイアンブリコスとほぼ同時代のポルピュリオスによる樹形ダイヤグラム「ポルピュリオスの樹」が挙げられている。これは,アリストテレスの『カテゴリー論』に基づいて存在の階層を可視化したものである注7)。この例に限らず,本書は文字や文章だけでは伝わりにくい内容を感覚的に把捉しやすく表現する試みを数多く取り上げている。

一見するとこの本は優れたインフォグラフィックスの事例紹介のようでもあるが,可視化された内容が古今東西の多岐にわたっていることが注目される。とりわけ,宗教の教えそのものの可視化は別世界の境地をこの世界に表現するものであるが,これはただ難しいことをわかりやすくするだけではない。把握の難しい内容を一度感覚対象に落とし込むことは,それをよすが(シンボル)に上位の世界に導くことを本旨とするからである。同書も取り上げている,ユダヤ神秘主義思想のカバラ―における生命の樹がその代表例といえよう。純粋な樹形図に限定しなければ仏教の曼荼羅(まんだら)なども同様であり,宗教における可視化は高い境地を目指す実践のツールでもある。

宗教に限らず,思考対象を感覚対象として可視化することは,単なる理解の促進という下降の方向性だけでなく,上方に反転してさらなる発想や奥深い思考に誘う跳躍台となる可能性ももっている。これはプロクロス『神学綱要』における魂の乗り物の位置づけに通じていることはいうまでもない。


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『The Book of Trees 系統樹大全:知の世界を可視化するインフォグラフィックス』,マニュエル・リマ著,三中信宏訳,ビー・エヌ・エヌ新社,2015年,3,800円(税別) http://www.bnn.co.jp/books/7436/

人文学のフロンティアへ

私にとってのニコニコ学会βは,異分野の先鋭的な人たちと交流しつつ運営委員長として新時代の学術を社会に発信していく場であるとともに,そこから得た刺激やアイデアを人文学という自らの学問的実践にフィードバックする源泉でもあった。プロクロスの著作における概念間の相互関係を可視化したうえで,2013年ころからは3Dプリンターで出力して可触化したり,ヘッドマウントディスプレーで見回したりする試みを進めてきたが,これらアイデアの多くはニコニコ学会βでの交流によっている。

こう書くといかにもとっぴであるように思われそうだが,もともと宗教を含めた哲学・思想は単なる空理空論を振り回すのでなく古来より実装につながっており,人間存在を拡張してもきた。宗教的存在の表現に当時の最新技術が注ぎ込まれてきたことは,仏像や宗教建築の技法をみればわかりやすい。また,たとえば西洋古代において人間に魂が見いだされその領域を哲学が探究し始めたことはリアリティーの拡張であったとともに,人間存在そのものをマテリアルにとらわれない思考領域に拡張することでもあった。

おりしもVRやARの普及が進み,昨今はMicrosoftのHoloLensがMR(Mixed Reality:複合現実)として注目されるように,人間にとってのリアリティーのあり方がいま大きな変革を迫られている。そのような状況下で,哲学・思想をはじめ人文学が技術の単なる後追いにとどまることなく,どう創造的な展開をしていけるのだろうか。今後も私なりに試みを進めていきたい。

執筆者略歴

  • くとの chthono@gmail.com

ニコニコ学会β交流協会副会長(ニコニコ学会β運営委員長)。本業は人文系の研究者。昨今の研究テーマは,西洋古代の哲学・思想の研究を基盤に,視覚化や可触化によって思考対象と感覚対象を双方向的に懸け橋すること。発達障害とセクシュアルマイノリティーの当事者という立場から,多様性・周縁からのイノベーション創発にも取り組んでいる。

本文の注

注1)  参考文献1, p. 667.

注2)  これは第9回ニコニコ学会βシンポジウムでの「第9回研究100連発~人工知能:認識から運動,言語へ~」で筆者が痛感し,登壇した研究者と意見交換を行った。http://live.nicovideo.jp/watch/lv241799273 #1:10:00

注3)  『神学綱要』の日本語訳には2種類あり,新しいものは田之頭安彦の手による。書影で紹介している田中美知太郎(責任編集)『世界の名著 続2 プロティノス ポルピュリオス プロクロス』中央公論社,1976年に所収(赤いハードカバー),これは1980年に中公バックスで再刊された(白いソフトカバー)。中公バックスでは巻数が15となっているものの,ページ数を含め中身は同じである。

注4)  本人たちはプラトンの徒を自認していたが,その思想内容はアリストテレスなど他の哲学をいわば混交して統合しているため,近現代の研究からはプラトンその人と区別して「新プラトン主義」と呼ばれる。

注5)  プロクロスはプラトンなどへの注解者としても知られるが,エウクレイデス『原論』第1巻への注解も残している。

注6)  『世界の名著 続2 プロティノス ポルピュリオス プロクロス』. p. 584-585.

注7)  『The Book of Trees』. p. 27-28.

参考文献

1)  江渡浩一郎, 土井裕人. 共創型イノベーションを創出する:ニコニコ学会βの活動を通じて. 情報管理. 2017, vol. 59, no. 10, p. 666-675. http://doi.org/10.1241/johokanri.59.666, (accessed 2017-01-31).
2)  江渡浩一郎, くとの編著. ニコニコ学会βのつくりかた:共創するイベントから未来のコミュニティへ. フィルムアート社, 2016, p. 55.
3)  江渡浩一郎. この本! おすすめします 事件は会議室で起きている:岩手県災害対策本部の裏側. 情報管理. 2016, vol. 59, no. 8, p. 570-572. http://doi.org/10.1241/johokanri.59.570, (accessed 2017-01-31).
4)  エリアーデ, ミルチャ著. 悪魔と両性具有. 宮治昭訳. せりか書房. 1973. 295p, (エリアーデ著作集, 第6巻).
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