2018 年 60 巻 12 号 p. 894-897
先ごろ(2017年12月)翻訳が刊行された知的財産権法学者ロバート・P. マージェス(Robert P. Merges)の『知財の正義(原題:Justifying Intellectual Property)』1)は,非功利主義的立場から,知的財産権の正当化を行おうとする書物である。
一般的に,知的財産権制度は,技術や学術・芸術・文芸などのさまざまな情報の創出にインセンティブを与え(あるいはインセンティブの喪失を防ぎ),過小化しがちな情報の創出を社会的に最適な水準へと高めるものと解釈されている。情報の創出を盛んにし,情報によって社会が受ける利益を最大化することが知的財産権制度の目的であり,社会が知的財産権制度を採用することをよしとする根拠は,その帰結(社会的利益の最大化)によって与えられるものとされている2),3),4)。
一般的に,知的財産権制度に限らず,「私的所有権絶対の原則」があるにもかかわらず,現代の財産権(所有権)は,公共の福祉などさまざまな制約を受けている注1)。社会的利益による財産権の制限は,帰結主義的な立場から財産権(所有権)が正当化される可能性を示唆する。たとえば,民法学者の加藤雅信は,有体物の財産権も,知的財産権と同様に,資源の効率的利用と社会的配分の最適化を促進するインセンティブを与えるものととらえ,帰結主義的に正当化しようとしている5)。
マージェスは,本書で,現代の財産権に加えられるさまざまな制約は,非帰結主義的な所有権・財産権に関する哲学理論にすでに存在したと論じ,非帰結主義的な財産権一般の正当化を試みている。そのうえで,知的財産権に関しても,非帰結主義的な権利であると論じる。
彼が依拠するのは,ロック(John Locke)の労働所有説および,カント(Immanuel Kant)の(所有者の)自律・自由を実現する基盤として財産権を重視する思想,ロールズ(John Rawls)の分配的正義論である。
一方,主要な論敵は,現代において知的財産権は強すぎるので,何らかの仕方で弱めるべきだという論者である。たとえば,デジタル技術の進展によって,知的財産権が及ばない情報のコモンズ(共有地)や二次創作(リミックス)の自由の重要性がますます増しているので,著作権を改革し,弱めるべきだという議論がある。代表的な論者は,日本でも著名な米国の憲法学者ローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig)である。
しかし,マージェスは,デジタル技術によって確かに情報のコモンズやリミックスが私たちの社会や文化をますます豊かにする可能性を開いたとしても,社会や政府によって,強制的に知的財産を開放させるのは不正で,知的財産権(著作権等)のクリアリングハウス注2)を設けて許諾を行うとともに,クリアリングハウスに登録するかしないか,あくまでも自発的に(自律的に)自分の権利の不行使を決定できるべきだと主張する1)。
マージェスが自発的・自律的な権利不行使を重視するのは,義務論的立場から財産権を正当化したとするカントにならって,財産は(所有者の)自律を実現するものだと考えるからである1)。さらに,ロールズの「基本財」のアイデアを基に,人生行路を構想・計画し,それを実行するための基盤となるものが財産権だとする。知的財産も,人生の構想・計画に基づく長年の勤勉な不断の努力によって生み出されたもので,知的財産権はその才能に恵まれた人の努力に対する功績と考えられる1)。
ただし,ある人が生み出した知的財産は,その人の才能と努力だけの賜物(たまもの)ではない。
「社会の貢献」もある。知的財産を生み出すには,その人がどのような社会に生まれ,どのような経済的・文化的条件の下で,どのような教育を受けたか,どのような家庭や地域に育ったかが寄与している。また,ある人の創作物は,先人の創作物からのインプットを受けて創作されている。このように,創作物には,「社会の分け前」が含まれ,創作物からの収益(果実)に対して,社会は分配請求をする権利を有する1)。
つまり,創作物は,個人の人格や労力に由来すると考えられる「報いられるべき中核」と,「社会の貢献」からなる周辺部から構成される。社会が請求できるこの周辺部の範囲は,個人が請求できる範囲よりも小さくなる。
社会はこの部分に対して正当な分け前の主張を行うことができ,この部分を再分配に回すことができる。この周辺部の概念は,再分配に関するロールズの理論的根拠と合致する。
ロールズは,「自由の原理」と「格差原理」という正義の2つの原理から,自由な社会における恵まれない人々に対する再分配を基礎づけた。すなわち,人々は自由に自己の人生の構想・計画を追求して,その果実を享受できるとともに(功績を帰属され,その報酬を受ける),もっと恵まれない人々に最大の利益をもたらすように再分配を行うことが義務づけられる6)。
また,そもそもロックの労働所有説においては,十分性・腐敗(浪費)・慈愛の3つのただし書き7)によって,個人が財産の取得や所有において権利の濫用(らんよう)を行わず,社会や人類の繁栄に向けてその権利を用いるよう制約が加えられている。非功利主義的な原則に立ったとしても,権利は絶対的なものではなく,社会的利益との間で調整されるというのが,マージェスの主張の重要なポイントである1)。
このようにして,社会の利益の最大化という目的がなくても,財産権・所有権は個人の権利として正当化されるべきものであると,マージェスは論じる。
このように,知的財産権の非功利主義的な正当化を行ったうえで,マージェスは,4つの中層的原理を指摘する。非専有性・比例性・効率性・尊厳性である1)。
非専有性とは,知的財産権の対象とならない知識・情報や,限定された保護期間など,誰も個人所有できない公共の知識・情報の集合である「パブリックドメイン」の存在を指す1)。
比例性とは,法的権利の濫用を制約する原則で,法的な権利を有する者に「過剰」ないし「不釣り合い」な影響力を付与することを防ぎ,財産権が社会的に有益かつ価値ある仕方で行使されるよう促進する原理である。知的財産権によってあまりにも強い影響力(市場の支配や技術の支配など)を許さないため,必要とされる1)。
効率性は,資源を最も価値ある用途へ移転させるという財産権の性質を指す。財産の所有者を見つけ契約を結ぶことで,財産(知的財産を含む)をスムーズに移転できる1)。このような知的財産権の機能があるので,優れた知的財産を所有する個人や小企業は大企業にいいように扱われないで済む。個人や小企業は,官僚主義的な大企業と違って,より大きな自由を享受し,機動的に活動できるので,技術進歩や著作物の創作に大きく寄与できる。このように,創造的な個人や小企業の活動を可能にする点で,知的財産権制度は重要なのであると,マージェスは論じる1)。
最後に,尊厳性は,知的財産権の人格権的側面に関わる。創作者は,創作を通じて他者から尊敬され,その功績を認められるべきと,私たちは信じている。この原則は,著作権法における著作者人格権に顕著であるが,特許法においても,発明者が有する特許に自分の名前を掲載する権利が,この尊厳性原理の表れである注3),1)。
これらの中層的原理は,知的財産政策や実務の中で,専門家の適切な判断を導く基準やルールである。つまり,功利主義的な立場を取ろうとも,非功利主義的(非帰結主義的)な立場を取ろうとも,その他の立場を取ろうとも(マージェスは,知的財産法には倫理的基盤がまったくないと信じる「懐疑的実証主義者」を挙げる),知的財産権専門家であれば,みなが共有する原則である。マージェスは,前出のロールズのリベラリズムを可能にする討議のための共有空間(「重なり合うコンセンサス」)の比喩によって,この4つの原理が果たす役割を説明する1)。
これらの中層的原理を確認したうえで,マージェスは,現代の技術進歩や創作活動における大企業・小企業の役割,デジタル時代における共同制作やリミックスの促進と創造性の保護,開発途上国の医薬品活用における独占的価格などの問題に取り組む。そこでは,知的財産権を否定する現代の論調を否定し,上記の4つの中層的原理に基づくバランスの取れた知的財産権の行使と不行使の要請が重要なポイントとなる。
ところで,筆者は,知的財産権は帰結主義的な正当化以外困難と考えてきたことから,原書を所有しながらも真剣な検討は行わないままでいた。ところが,2017年になって,米国連邦憲法第4条の第三者法理注4)について考える機会をもち8),データ主体である個人が,自分自身の個人データに対してコントロールを及ぼす権利を有すべきではないかとの疑念をもちつつある。
以前本連載でも扱ったアダム・ムーア(Adam Moore)3)は,所有権の観点から,プライバシー保護と知的財産権制度について一貫した見通しを得ようとしている9)。翻訳が出たことを機会に,マージェスの知的財産権の非帰結主義的な正当化に関する議論についても,関心をもつようになった。
自分の所有するトマトジュースを海に混ぜても海は自分の所有物になるわけではないという,哲学者ノージック(Robert Nozick)によるロックの労働所有説に対する批判に関する反論1)は,ノージックに対してやや不当であろう注5)。また,最大多数の最大幸福を行為の正しさの基準とする功利主義による知的財産権の正当化を議論のターゲットとするが,知的財産権制度の帰結主義的正当化を行おうとする主張は,功利主義の立場を取るとは限らない。そもそもロックの労働所有説における人類の繁栄という目的による財産権の制約1)は,極めて帰結主義的ではないだろうか。
知的財産権制度の倫理的基盤に関する問いは,情報倫理学にとって重要な課題だ。本書は,理論と政策・実務とをつなぐとともに,法学・法理学と情報倫理学をつなぐ点でも,重要である。
私的所有権と公共の福祉とのバランスに関しては,各国・地域でそれぞれ定めようが異なっている。たとえば米国憲法においては,適正な手続きによらなければ収用されないこと,収用に際しては補償を行わなければならないことを定める(米国連邦憲法修正第5条)。また,カナダ憲法においては,社会立法の足かせとなるという配慮に加え,現実的には社会意識として財産権に関して共通認識があるので,財産権条項の有無が現実の財産権の行使や制約に影響がないとの考えから,財産権についての定めがない11)。