日本土木史研究発表会論文集
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Solid Waste Managementの変遷と課題
内藤 幸穂
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1988 年 8 巻 p. 82-87

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抄録

我国の衛生工学は、戦後にその起点をおくと申しても過言であるまい。驚異的な戦災復興の中に、欧米よりもたらされた衛生工学は、公衆衛生の確保と環境の保全を基調として、従来の土木工学とは異質のものであった。例えば、大気・土地・水系の好ましかざる変化にするどいメスを加え、人間が物をつくり、使用し、そして捨てさるという日常ありきたりの循環から、いまわしい汚染物質が生ずることを排除するためのrefuse treatment (disposal) の分野は確実に新しいタッチで画かれていたし、それは時代と共にやがて solid waste managementへと変遷して行った。それは言葉の変更というより、内容の変革であったのである。
戦後の急進的な改革とは別に、日本古来の清掃事業は奈良・平安時代にさかのぼることができる。しかしそれらを適確に裏付ける資料は殆ど見当らない。僅かにごみの捨場としての貝塚が、考古学上の資料を提供しては呉れるものの、三千年から四千年も昔の先史時代のごみをめぐる生活ぶりは詳らかにはならない。
江戸時代以降の清掃事業は、僅がながらわれわれに材料を与えて呉れる。即ち、江戸城の「すす払い」がそれであるが、この良き風習は実に3世紀にわたって日本に一つの伝統をもたらした。しかし残念なことに、ごみ量と質が大幅に変化した昭和45年頃にはその「すす払い」も姿を消し、行政は汚物掃除法から清掃法へ、そして廃棄物処理法へと鋒先を変え、この間の70年は内務省を中心とした警察力によって自治体の行う廃葉物処理 (処分) を取締ったのである。
廃棄物処理法は、昭和30年代から昭和40年代にかけての急激な経済生長、人口の都市集中、国民生活の向上等による膨大なかつ多様な廃棄物の対策に、マネージメント的なメスを加えるべく図られた策であった。経済的に優位を占める日本においては、政治、政策的な実行意志の中で廃棄物処理事業が生存し、そこには純粋な技術問題を超えたマネージメントが要求される。そのような時代の要請に応じて廃棄物処理法が制定されたが、その後の法の運用や廃棄物の処理は必らずしも円滑に行われてきたとは言えず、適正処理困難物としてPCB, クロム鉱さい, ダイオキシン、さらにはアスベスト廃葉物などがクローズアップし、次の法改正を待つ時代に入ったものとうけとられている。
技術者は問に対して答えを用意する訓練ををうけてはいるが、問そのものを熟考する訓練が不足していると言われる。間違った問をつくって誤った答えを出す前に、問そのものを吟昧するマネージメントが廃葉物処理事業には特に要求されるのである。総論において賛成、各論は反対という廃棄物処理事業は、しばしば首長の座をゆるがすものに変貌するが、一方では自治体固有の住民サービスとして好評をうける。それもこれも、すべてはマネージメントの良否につながる問題なのである。

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