土木史研究
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技術の哲学的洞察
三枝博音・そしてある試み
吉原 不二枝
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2002 年 22 巻 p. 317-324

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抄録

国家・地域造りと言う多目的に応えるべく、土木はそこにひたすら合理化を目指した筈である。だが、今や社会一般を理解に導き・またその真価を得られているか疑問に感じている。昨今の社会一般の土木に対する評価事は、期待より寧ろ過大な責務だけを負う傾向さえ見える。特に安全に対する諸問題の解決に関しては、技術の域を超えていると考えられる事象にまで、その責任を問われることも少なくない現状は何が原因しているのであろうか。
1980年代、米国工学系大学では既に哲学科が開設された。近年、工学系も安全責務への思索として、具体例を示しながら技術者倫理を模索する大学の講義が始まり、やっと技術者倫理教育の第一歩が展開されつつある。そして、この様な社会状況の中でこそ土木史分野からの果たし得る役目と範囲は様々に拡大することにも期待したい。
さて、筆者は以前からこの場でもっと広域的見地に立つ土木・土木史の考察を訴え続けて来た。特に国内外の社会資本、それに三枝博音など科学史研究論文集を中心に人物史を辿って来た。それら海外社会資本や人物史に見る業績は、現在の我国の世相に的確な問題提起、適宜な解答を導き出す重要な要素がある事を確認できる。仁で、自分の携わった教育現場での実例をまとめ、敢えてここに「技術とは何事が」「安全性と責任の所在」「普遍性の価値とは何か」など、上記記述の考えに立った将来的思索への討議の必要性を問いたい。

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