視覚の科学
Online ISSN : 2188-0522
Print ISSN : 0916-8273
ISSN-L : 0916-8273
総説
スポーツと視機能
多々良 俊哉前田 史篤
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2020 年 41 巻 2 号 p. 15-18

詳細
要旨

野球選手の競技パフォーマンスに視機能はどの程度影響しているのであろうか。動体視力のように検査室で測定された数値が本当に競技パフォーマンスと関係しているのか未だ明らかではない。近年,実際のスポーツ場面やその状況を模して行う視線解析が進められ,スポーツ選手と非選手との違いが徐々に明らかにされつつある。本稿では先行研究から導き出されたこれまでの知見や課題をまとめ,スポーツと視機能の関係性について概説した。

Abstract

The extent to which visual function affects the competitive performance of baseball players is unclear, and it is uncertain if values measured in the laboratory, such as kinetic visual acuity, are related to competitive performance. In recent years, there has been progress on visual analysis conducted to imitate actual sports scenarios and situations, and differences between athletes and non-athletes are gradually becoming clear. In this paper, we summarize the findings and issues associated with this work, and we provide a general discussion of sport and visual function.

I.はじめに

メジャーリーグで10年連続のシーズン200本安打や日米通算4,367安打など数々の偉大な記録を打ち立ててきたプロ野球選手のイチローが2019年3月21日に引退した。この引退に関して,マリナーズ時代のチームメイトであり「大魔神」の愛称で親しまれた佐々木 主浩はテレビ番組で「動体視力が落ちてきたのかもしれない」とコメントした。それが本当なのか,視機能の専門家であれば誰もが興味を示すであろう。本稿ではスポーツと視機能の関係性について概説したい。

II.動体視力とは

検査室ベースで測定可能な動体視力にはDynamic visual acuity(DVA)とKinetic visual acuity(KVA)の2種類がある。DVAは左右方向,KVAは前後方向に動く視標を用いて測定した視力である。DVAは1948年にLudvigh1)が水平方向に動く対象を見る力として測定したのがはじまりである。本邦においては1994年にIshigakiら2)がDVAの測定機器を考案している。KVAについては1968年にSuzumura3)がKVAの測定機器を考案したことにはじまる。

動体視力と野球の競技レベルとの関係性について,競技レベルが高い選手は低い選手と比較してKVA,DVAともに良好であった4)とするものと差はなかった5)とする報告がある。またプロ野球選手を右打者と左打者に群分けし,右から左方向,左から右方向それぞれのDVAを測定した結果,視標の動く方向にかかわらずDVAに有意差がなかった6)とする報告もある。不適切な屈折矯正が動体視力を低下させる7)ことは明らかであるが,動体視力の程度が競技パフォーマンスの良し悪しに影響するのかについては一定の見解がなく,議論が続いている。

動体視力は,検査そのものに関する問題点が指摘されている。野球選手と一般人のDVAを比較した結果,正面を固視させた状態では結果に差はなかったものの,左右に動く視標の追従を許した場合は野球選手の方が一般人よりもDVAの結果が良好であった8)。DVAの測定方法について,検査中の固視状態には明確な取り決めがなく,検者の説明が測定結果に影響することが推察される。

KVAにも課題があり,視標は遠方から近方へ等速度で動くため,視標が近づくにつれて急速に接近しているように感覚される。本邦ではKVAの測定機器として,動体視力計AS-4Fα(Kowa社製)が一般的である。本機器は簡便に動体視力の測定が可能であり,交通眼科の分野にも応用が進みつつある。しかし測定上の問題として,現在市販されている機器では視標速度が等ディオプター間隔でないため,動体視力が低値である被検者はその数値がより強調されている可能性がある(図1)。またKVAは機器の内部でランドルト環の見かけ上の距離を変化させ,後方から前方へ疑似的に「動く視標」を作成している。大脳において「実際に近づいてくるものを判断する部位」と「大きさの変化を判断する部位」が同じであるという根拠は示されていない9)。また視覚情報処理については網膜神経節細胞のレベルから機能分化が存在する10)。高い空間分解能,色覚,細かい立体視を処理するのは小細胞系経路であり,大細胞経路は低い空間分解能,動き,大雑把な立体視にかかわっている。これらのことを考えると,スポーツに関する運動視の機能を一般的に小細胞系の働きを評価するランドルト環で測定することについては検討の余地がある(図2)。

図1動体視力の視力値算出シミュレーション

動体視力計AS-4F(Kowa社製)の視力値算出方法を示す。遠方から近方へ視標が動いて見えるよう,機械の中でランドルト環の大きさが変化する。 見かけ上の距離30 mが視角1分になるように設計されている。最も遠方が見かけ上の距離48 mであり,小数視力1.6となる。最も近方となる見かけ上の距離は3 mであり,小数視力0.1となる。AS-4Fでは基本的に視力値は小数視力で表される。 等速度で視標が動くため,視力が3 db低下するのにかかる時間は1.0から0.5では約1.8秒なのに対し,0.2から0.1では約0.3秒である(動体視力計の一般的な視標速度30 km/hで算出)。

図2野球のバッティングと動体視力検査

野球のバッティングでは実際に動くボールを固視する必要がある。そのため,大細胞系の働きが関係すると考えられる。一方で,動体視力検査では一般的に小細胞系の働きを評価するための視標であるランドルト環が用いられる。

DVAとKVAは加齢によって低下すること2,11)が示されているが,検査室で測定された動体視力が競技パフォーマンスに本当に反映されているのか,未だ明らかではない。

III.視線移動とタイミング調整

野球選手の視機能について,視線移動から分析する研究が行われている。1970年にBahilら12)はプラスチックのボールに紐をつなぎモーターで引っ張ることによって,最高速度100 mph(約160 km/h)のボールを疑似的に再現し,それに対する視線解析を行った。この結果プロ野球選手であっても,プレートの位置からその前方の5.5フィート(1.6メートル)離れたところまでしか,ボールを追従できていないことが明らかとなった。

眼球運動には共同運動と非共同運動があり,野球の打撃においては衝動性眼球運動と輻湊運動が同時にかつ精巧に連動13)している。野球には「ボールをよく見ろ」「ボールから眼を切るな」のように見ることに関する助言が多くある14)。中心窩でボールを捉え続けるためには滑動性追従運動が機能する必要があるが,滑動性追従運動の速度は一般的に30°/sec程度であり高速で動く視対象を追従することはできない。スポーツ選手の中には70°/secまで追従できる人がいるとの報告がある15)ものの,投手が投げるボールに対して最後まで「ボールから眼を切らない」ことは理論的に不可能であるといえる。実際に,Bahilら12)の研究からもわかるようにプロ野球選手であっても,眼前5.5フィート(1.6メートル)以内にまで迫ったボールは追従できていない。

ではプロ野球選手が高速で動くボールをバットで正確にとらえることができるのはなぜであろうか。様々なスポーツにおいて上級者は特有のvision search patternを用いること16)や予測に基づいた視線移動を行うこと17)が報告されている。野球選手の場合は眼前に迫ってくるボールの軌道から,予測をたててバットを振っていることが考えられる。 動いている視対象がその移動中に突然隠された場合,動的視対象が消えたと感じる位置は実際の消失位置よりも延長することが一般的であり,これをrepresentational momentum(RM)と呼ぶ。Nakamotoら18)は野球の熟練者は初心者と比較してRMの距離が長くなること,またRMの距離が長くなるほど動的視対象を目標点で停止させる際に誤差が少ないことを明らかにした。これは動的視対象を視認できなくなってもその先の情報が脳内で構築されていることを意味している。 Tochikuraら19)はモニター画面上を移動するターゲットが指定されたポイントへ到達するタイミングを予測しターゲットを止める「一致タイミング課題」において,複雑な課題であったとしても野球選手はタイミング調節能力が高かったことを報告している。

つまり野球において打者は投手が投げたボールの軌道を予測もしくは軌道を脳内で創造しながらバットを振っていると推測される。そして,上級者はこの能力が優れていることから,良好な競技パフォーマンスを示すと考えられる。

IV.加齢に伴い競技パフォーマンスに影響を及ぼす機能

上述の通り,動体視力のような実験室ベースで行う検査についてはスポーツとの明確な関係性は明らかでないものの,実際のプレー中の視線移動や経験や予測に影響される事象については経験者と初心者とでその違いが明らかにされつつある。しかしこれまでの話だけでは経験豊富なプロ野球選手が引退となる理由の説明はできない。

眼科的な見地から老化を考えた際に確実に衰えるのは調節力である。20歳では10.0 Dの調節力があるが,40歳では4.5 Dに減弱20),さらに調節の潜時も遅延する21)ことが明らかとなっている。近見時の調節反応が遅延すればボールの追従に加え,調節性輻湊22),そして眼位の問題から両眼視にも影響すると考えられる。

そのほか,視覚誘発電位の陽性波(P100)は15~70歳の間で,1歳加齢するごとに潜時が0.18 msec延長すること23)が報告されている。また,加齢に伴って末梢神経レベルの運動神経の伝導速度が低下すること24,25),感覚神経の伝導速度が低下する26)ことが報告されている。20歳と40歳の神経伝導速度の差2m/sec程度であるものの,野球の場合投手がボールを投げてから捕手のもとへ達するまでの時間はおよそ400~500 msec程度である。バットにボールがあたるか空振りするか,打ったボールがフェアゾーンに飛ぶか,打ち損じてファールゾーンに飛ぶかは,タイミングが大きくかかわり,神経伝達速度のごくわずかの遅れがプレーに影響する可能性がある。また加齢に伴って,刺激に対する反応や複雑な課題に対する判断27),眼と手の協応運動の能力が低下する28)ことが知られている。一瞬の判断によってバットを振るべきかを区別する必要がある打撃において,わずかな認知や身体の反応の変化もプレーに影響すると考えられる。

イチローは引退試合となった2019年3月21日の最終打席で,バッターボックスから1塁まで3.78秒で走り抜けた29)。メジャーリーグでは本塁から1塁への走塁は4秒を切ると「俊足」と評価される。このことから日々トレーニングをしていたイチローの身体機能の衰えは少なかったのではないかと言われている。しかし,一般的にトレーニングをしないもしくはできない機能が競技パフォーマンスに影響した可能性は予想される。

V.ビジョントレーニングについて

近年,ビジョントレーニングと視機能の関連について話題となることが多い。光などに対する単純な反応時間はスポーツ選手と一般人とで差がないものの,選手が専門とするスポーツに模した状況ではスポーツ選手の反応時間が速い30)と言われている。単純な反応課題の場合はビジョントレーニングによって成績が向上すること31,32)が報告されているものの,練習で改善できたスコアがどこまで野球のプレーに影響するのかはわかっていない33)。コンピュータ上でvisual performanceを測定する「Nike Sensory Station」を用いた研究では,あらゆる視覚課題において練習効果がみとめられない32)ことが報告されている。そのほかバレーボールとビジョントレーニングとの関係を調べた研究では,競技パフォーマンスに影響を与えるトレーニングは実際のバレーボールの練習のみであり,ビジョントレーニングは一般的なものであってもバレーボールに特化したものであっても競技パフォーマンスに影響しなかった34)

枝川35)はビジョントレーニングについて,訓練は指導する人によって方法や判断基準が統一されておらず訓練後の効果を客観的に比較することは困難なことや,視覚訓練後の測定値の上昇が直接競技のパフォーマンス向上に繋がっているのか視覚検査のスコア上昇のみであるかの区別ができないことが課題であると指摘している。

VI.おわりに

視機能がスポーツにとって重要なのは言うまでもない。しかし,競技能力には視機能以外にも運動能力や判断能力,認知能力など様々な要素が関連している36)。視機能はあくまでも競技パフォーマンスに影響を与える要素の一つでしかなく,様々な要素が密接に絡み合うことで選手のプレーは成り立っている。したがってスポーツと視機能の関係性を検討するためには実際のスポーツに即した状況で行うことが重要であり,そのための新たな検査の開発も必要であると思われる。

できることであればスポーツ選手がスポーツをはじめた頃から引退まで経時的に視機能を多角評価し,明確なエビデンスを収集したいと考えている。

利益相反

利益相反公表基準に該当なし

文献
 
© 2020 日本眼光学学会
feedback
Top