論文ID: 2301003
山陰の一農村,今浦の宗門改帳を用い結婚率と出生率の年次別観察によって,天明・天保飢饉およびそれ以前の2つの推定された飢饉について(1)飢饉時に低結婚率・低出生率,(2)飢饉直後に高結婚率・高出生率が生じたこと,(3)さらにそれぞれの約30年後に,適齢期(26-30歳)の女の人口割合の減少および増加が現れることを確認した((3)は天保飢饉を除く)。
また,この適齢期人口割合の減少・増加は結婚数と出生数の減少・増加(粗結婚率と粗出生率の低下・上昇)を2次的に引き起こしたことを示した。この因果関係は相関分析と整合的であることから,その存在が推定される。ただし,この2次的な粗結婚率・粗出生率の変動の発現は1815-19年を除いてそのときの新たな飢饉の発生や余波により加速・相殺などの変形を受けた。
適齢期人口の増減は直接に結婚件数を単純に増減させるだけではなく,誘導的な年齢別結婚率の上昇・低下を引き起こすことにより結婚数を増減することが明らかになった。このような適齢期人口規模の増減による誘導的な年齢別結婚率の増減現象は従来ほとんど検証されたことがないが,現代人口のような晩婚化,未婚化などの強い長期的趨勢の存在しなかった江戸期農村人口においては観察が可能になったと考えられる。
1810年代後半に起こった結婚率と出生率の低下は,天明飢饉時の出生率低下の影響が30年後に顕在化したものであるが,この村の人口増加率は年0.33%の増加基調であるためこの2次的な人口減少が顕在化したものと考えられる。この一時的な人口減少の最大の要因は出生減であるが,社会減の増大も影響しており,他村において同じような状況が起こることによって他村からの婚入の減少を中心とする社会の不活発な状況も影響したといえる。この人口減少を起因とする経済社会の異変が生じていたことは同時代の人に感じられていたかもしれないが,人口減少はおそらく原因不明であっただろう。