本稿は,戦後日本の大学の経済学部において,定期的な「人口論」の講座を担当した南亮三郎(1896-1985)と市原亮平(1926-1982)の人口論研究に焦点をあて,それらの基本的特色を明らかにすることを主眼としている。まず両教授が人口論を担当するまでの足跡を辿っている。南が戦前において既にマルサス人口論を中心とした重厚な人口論研究を積み上げてきていたことや,市原は戦後に開花していった日本近代史研究から人口論に向ったことを確認している。南は人口波動論を機軸としてマルサス人口論を読み解き,マルサスの前後に展開された諸人口論もマルサスを主軸にして整理していく。マルクスの相対的過剰人口論さえその例外ではない。市原はこうした接近法をマルサスを「近代人口論の完成」者として評価した学績とする一方で,吉田秀夫の一連のマルサス研究によりつつ,マルサスの論はあくまでも「私有財産制と一夫一婦制」に基づいた1つの資本主義社会分析に過ぎないとした。その上で,資本主義社会の発展諸段階に見られる各々の人口法則を解明,把握していく必要を強調した。
また南によれば,マルサスは『人口論』中で原理的には経済学,社会学,生物学,民俗学を包括的に論じていたが,マッケンロートの労作(1953)に学んで,「人口論の統合化」はいずれの科学からも接近可能であるとした。他方,市原はクンーツの力作(1957)を「体系的な経済学的人口論」と称賛し,その発展的理解を訴えた。市原は南の高論「唯物史観における人口の地位」等からの示唆を得て,「エンゲルスの二元史観」に着目し,「計画出産と計画経済の結合」の要を説いた。さらに両者共に,人口統計学の重要さを認め,人口統計を人口学の方法科学に据えた。南は経済学的,社会学的,生物学的な諸側面の統合化を肝要としたのに対して,市原の方は政治経済学の視点から政治算術が見出した人口秩序の自然的・社会的究明こそ緊要であるとした。
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