京都円山公園は, 近世には山辺一帯に形成された名所地であり, 各部でそれぞれの地形を生かした固有な社寺建築や庭園のデザインと利用が培われた. 近代にはこれらが細分化され混乱したが, 大正期に行われた小川治兵衛による総合的な景観デザインにより, かつてこの地域の中央で周囲の景域に調和を与えていた「真葛ヶ原」の接続的機能を再生した. 地形を活かした流水, ある秩序で自然を表現した植栽, これの維持, 自由な道まわし, 庭園をとりまく飲食店によってこれを実現し, これらによって周囲との連続性, アクセシビリティ, 境界の曖昧性を獲得し, また飲食を導入して人々が自ら街より山辺へ広がる大景観の中に入り込み愉しむ構図が継承, 再生された.