抄録
本稿は、桜井祐一(1914‐1981)の彫刻作品について、桜井が目指した「生命感の表出」がいかなる解釈とアプローチをもって取り組まれているのかを考察するものである。まず前提として、彫刻における「生命感」の具体的な意味合いについて改めて捉え直し、また桜井と相対化する意図から、オーギュスト・ロダンとヘンリー・ムーアの彫刻において、それぞれの言葉をもとに生命感がいかにして表現されているかを論考し、その解釈における多様性を確認した。そして、桜井の制作の背景にあった出来事や、桜井本人や身近な人物が残した言葉を参照しながら、実見調査を踏まえ作品分析を行った。結果、桜井は、「あるポーズ」シリーズにおいては、女の形に仮託して、普遍的で共通的な生命感を形象化するという理念のもとに造形を探求し、一方、晩年の作
品においては、人間存在に見出した主観的イメージとしての生命感を彫刻に再現しようとしていると考察により導いた。