健康寿命の延伸とは,介護や医療に依存せず,自立して生活できる期間を長くすることである。生活の質を向上させるため,予防医療,適切な運動,バランスの取れた食事,社会参加等が重要である。
図1に我が国における平均寿命と健康寿命の推移を示す。経年的に改善傾向が認められ,2019年では平均寿命,および健康寿命は男性,女性,それぞれ,81.4,72.7,87.5,75.4歳であった。しかし,依然,平均寿命と健康寿命との間には約10年の差がある1)。

平均寿命と健康寿命の推移
近年のさまざまな研究から歯の健康が他臓器の健康状態に良い影響を及ぼし,ひいては全身的な健康状態の改善に結びつくことが明らかになってきた2),3)。認知症においても,関連要因として,歯周組織の慢性的な炎症,口腔の刺激や咀嚼による脳への影響,口腔機能の低下による栄養不良,長期にわたるバランスの良い食事,生活習慣病,そして社会的な交流などが挙げられる4)。
また,歯の喪失は栄養摂取ともかかわっている。歯が喪失することにより野菜や肉類等の摂取量が減少し,その結果,ビタミン等の関連栄養素の摂取量に影響することが明らかになってきた。それが歯周病の発症や進行とかかわることが示されており,歯科疾患,歯の喪失,咬合不良,栄養摂取不良には負のスパイラル的な関連が考えられ結果的に生活習慣病の発症・進行に影響することが想定される5)。
う蝕予防におけるフロリデーションや保育園や学校などの施設単位でのフッ化物洗口などは参加者の歯科保健に対する意識の高低にかかわらず恩恵を得ることができる。すなわち知らず知らずのうちに予防活動に参加することが可能である。一方,歯磨き指導などは,ポピュレーションアプローチに分類されるが,意識の高い人がより積極的に予防方法を取り入れ,意識の高くない人には行動変容が起きにくい。その結果,対象者の健康状態に大きな格差が生じる可能性がある。このようにポピュレーションアプローチは場合によっては,健康格差を拡大させる可能性を持ち合わせている6)。従って,ポピュレーションアプローチを効果的に進めるには,意識の高低等関連要因を区別したアプローチを検討することが必要だろう。
また,疾病予防には,集団全体に広く網をかけるポピュレーションアプローチと,疾病発症に対しより高いリスクを持っている人に集中的に働きかけるハイリスクアプローチとに分類することができる。「健康日本21」が示されて以来,疾患予防にはポピュレーションアプローチとハイリスクアプローチを組み合わせて実施することが勧められてきた7)。
2) ライフコースアプローチライフコースアプローチは,現在の健康状態はこれまでの自らの生活習慣や社会環境等の影響を受ける可能性や次世代の健康にも影響を及ぼす可能性があることを踏まえた,幼少期から高齢期に至るまでの人の生涯を経時的にとらえた健康作りのことである。このような総合的かつ継続的なアプローチは,単一の時点での治療や対処だけでなく,個人の生涯を通じて健康をサポートすることが必要である。
ライフコースアプローチについては,幼少期に介入する方が,費用対効果の点で大人になってからの対応よりも優れている。貧困世帯の子どもを対象とした教育経済学の研究によると,同じ金額を教育に投資した場合,5歳未満の子どもなど,年齢が若いほど投資に対するリターンが大きいことが明らかになっている8)。
歯科保健では,行政施策に加えかかりつけ歯科医機能の充実によりライフコースアプローチが比較的容易である。ただ,かかりつけ歯科医は単なる行きつけ歯科医ではない点を強調したい。令和4年度の歯科疾患実態調査によれば1~9歳で過去1年間に歯科健診を受けた割合は70%を超えていた9)。受診した時点で歯科におけるライフコースアプローチの重要性を説明すると共にそれを前提とした継続的なかかわりが求められているであろう。
3) 有効な行動変容への取り組み生活習慣病対策には行動変容が必須である。歯科保健指導によって保健行動が改善されたという調査は多く存在しているが,私たちの未発表の調査結果の一部を紹介する。20代の若者を対象に歯科保健指導を実施したところ,歯間ブラシやデンタルフロスを使用する人の割合が増加し,その変化は統計的に有意であった。このことから,行動変容が認められ,歯科保健指導は成功したと評価できるかもしれない(図2)。

歯科の介入による保健行動の変化
しかし,この結果は,別な見方として,約85%の人々には保健行動の変化が認められなかったことも示している。つまり,確かに歯科保健指導によって行動を改善する人はいるものの,その数は多くなかった。適切でない生活習慣は長年かけて定着する。一度身についた習慣は簡単には変わらない。特に,個別指導であれば行動変容が期待できるが,一般的に行われている情報提供や集団指導では行動の変化はほとんど認められない(表1)10)。
集団指導は,費用対効果や時間対効果が高く,効率的な方法と考えられていたが11),一般的には一方通行の講義形式で行われることが多い。同じ内容を聞いても,受け取る情報は人によって異なるため,簡単な内容でないと集団指導では十分な行動変容は期待できない12)。また,歯間ブラシなどの補助用具の使用に関しては,歯科健康診査と集団指導を通じてその重要性を伝えることは可能であるものの,日常的な使用に向けた行動変容には,これらだけでは不十分であり,個別指導を取り入れる必要があると指摘されている13)。さらに,情報提供に関するKayらのシステマティックレビューでは14),リーフレットなどの文書による情報提供は知識の向上には効果的だが,行動変容に関してはエビデンスが不足しており,口頭での指導や心理学的行動変容モデルを用いた介入が必要であるとされている。
もちろん,情報提供や集団指導でも一部の人には効果があり,行動が改善されることはある。しかし,それらの人はもともと健康に対する意識が高いことも考えられる6)。したがって,良い生活習慣は乳幼児期から一貫した保健指導によって身につけ,それを維持することが最も効果的といえるだろう。「かかりつけ歯科医」の重要性が提唱されて久しいが,特に乳幼児期からのかかりつけ歯科医としての役割は今後さらに重要視されるべきと考える。
4) 多職種連携健康増進を進めるのは,歯科保健,栄養,運動等,各活動領域がオーバーラップするようなかかわりを持つことが重要と考える。歯科関係者のみでシステムを運用することは難しい。たとえば,在宅高齢者には歯科疾患予防のみならず,介護予防,認知機能低下予防,運動機能低下予防,栄養状態低下予防等のさまざまなテーマがかかわっている。したがって,関連組織がそれぞれの活動を別々に実施することは効率が悪く,限られた資源を有効に使用しているとは言いがたい。歯科関係者発で他の関係者に繋ぐこともあれば,他組織関係者から歯科に繋いでもらうことも意識する必要があるだろう。また,高齢化率,福祉サービスの内容,各種疾患の罹患率等,様々な点でバリエーションがあり一律のシステムでカバーできるものではない。
さらに,多職種の連携は歯科診療部門においても重要である。たとえば高齢者における補綴処置を例に考えてみたい。喪失歯に対して補綴処置を実施しても,神経がかかわるような感覚受容や咀嚼力の低下は避けることができない15),16)。さらに,歯が喪失していく経過は長期に渡っていることから,その中で変化した食習慣は補綴処置を行ったからといって容易に改善するものではない。補綴処置後,専門家による食習慣に対するカウンセリングが必要とされる17),18)。逆に言えば,補綴処置に伴うカウンセリングの実施により適切な食習慣の回復が見込まれることも意味している。
5) 住民参加を伴う地域歯科保健活動現在歯科保健で残されている課題には,生活習慣病対策にも通じるような住民各自の意識の変革や行動変容を前提とするものがある。個人の力では行動変容は容易でないことから住民個々へのアプローチだけでは限界があり,地域としての環境作りも必要となるだろう。従って長期戦略が必要となり,組織,システム,意識等の醸成が求められる。
近年,「ソーシャルキャピタル」や「新しい公共」が提唱され「人々やコミュニティに内在しているネットワークを高める努力をしていくことが有効な公共活動のありかた」と考えられている6),19)。ソーシャルキャピタルとは,個人やコミュニティが持つ社会的なネットワーク,関係性,信頼,協力の資源を指す。これは,社会的なつながりや相互作用がもたらす利益や価値を強調する概念である。人々が形成する社会的なつながりやグループ,友人,家族,同僚,地域社会などが含まれる6)。ソーシャルキャピタルが特に横のつながりとして整っている地域の方が住民の健康度は高いと考えられている20),21)。行政等が実施している各種歯科保健施策を有効に運用するためには,地域住民のかかわりが関係してくるかもしれない。そのような意味で各システムを有効かつ継続的に運用するための手法をさらに検討することが必要となってくるだろう。
歯科医師は,せっかく住民の歯を健康にする技術を持ち,さまざまな事業を通じて住民に場を提供しているにもかかわらず,なかなか住民にはそれが伝わりにくい。住民は歯の健康に関心がある。一方,歯科医師はそれに答えることができる技術がある。住民が歯科医院に来院してきちんとした予防処置を受けることができれば健康を獲得できる。しかし両者はなかなかうまくつながっていない。
住民自らが行動しなければ口腔の健康を維持することは難しい。ごく当たり前のように口腔の健康づくりが習慣化し,歯科医院とも垣根なく接することが求められている。そのためには,住民個々へのアプローチだけでは限界があり,地域としての環境作りが必要となるだろう。しかし,従来の行政主導の実施方法ではなかなか住民の意識を変えることができなかった。まず基盤作りとして歯の健康づくりを地域単位でサポートしていく必要がある。その際,住民参加の手法は,伝える側と受ける側の双方向の意思疎通が可能となり,理解を深める上で非常に有効である22)。
全国で地域おこしの活動が盛んである。しかし,単発のイベントを開催し一時期盛り上がりを見せるがその後衰退してしまう事例が後を絶たない。一方で活動が継続している地域がある。それを表すキーワードに「小規模多機能自治」がある。わかりやすく言えば,少人数の住民グループが地域の課題を見つけ改善の活動を行う。行政は直接上目線で口を挟むのではなく補助金等を出しながら一緒に考える,という取り組みである23)。
地域活動を広めるためのステップ表の案を図3に示す。その際,きっかけ作りとして押さえておきたい4つのポイントがある。①お口の健康に関する住民の意識は決して低くない。②住民参加によって成果を残すには一定の時間をかけることが必要。③住民参加とは「専門家も参加する」ということを意味している。④First Actionは歯科専門家が起こす必要がある,である24)。

住民参加型歯科保健活動の進め方(文献24)
日本では高齢化が激しい勢いで進行する中で,超高齢社会に対処するためにさまざまな分野での取り組みが行われている。行政の場でも,研究の場でも,教育の場でも,産業の場でも,それぞれ形は違っても高齢化が与える影響を切実に感じていることに変わりはない。 健康寿命の延伸は保健事業の主要な目標となっているが,もちろん,この達成のためには高齢者のみを活動の対象としていても解決はできない。
わが国は平均寿命に併せ健康寿命も着実に延伸している。歯科保健対策が他の対策に先んじて大きな成果を生んでいる背景を考慮すると,歯の健康改善が健康寿命の延伸に大きく寄与していることが考えられる。歯科保健だけでこの問題が解決するとは考えにくいが,歯科保健を抜きにして達成はおぼつかないであろう。それぞれの対策は別々にあるのではなく,関連分野を有機的に連携させることが重要である。まず,歯科関係者から他分野への働きかけが求められている。
本稿に関して,開示すべき利益相反関連事項はありません。