2024 年 83 巻 6 号 p. 473-478
The mouse has been a practical animal model for studying the inner ear. Understanding the anatomy of the murine inner ear is essential when delivering drugs or vectors for therapeutic studies. In addition, a knowledge of dissection techniques is necessary for performing immunohistological examinations of the cochlea and vestibule. However, there have been few comprehensive reports describing these techniques to date. In this paper, I summarize the anatomical knowledge and methods for whole-mount dissection of the murine inner ear, providing a practical guide to advance our understanding of the inner ear physiology and pathology using mouse models.
内耳基礎研究においてマウスは依然として重要な実験動物である。In vivoで行う薬剤投与および遺伝子治療の実験や,蝸牛や前庭の免疫組織学的検討を行う際にも,側頭骨解剖および標本作製の方法をあらかじめ学習しておくことは重要である。しかし,マウス側頭骨解剖に関するまとまった成書や論文はほぼ皆無であり,マウス解剖アトラスのごく一部,もしくは各論文の方法1)2)に一部記載されるに留まっている。本総説では著者が撮影した写真を用いて,マウスの側頭骨解剖に必要な知識,および標本作製の方法について述べる。これまで内耳基礎研究を行ってきた施設では諸先輩方から必要なノウハウが受け継がれていると思われるが,それ以外の施設でも,本稿などを通じて知識を共有することによって内耳基礎研究が可能となり,また議論するための素材となれば幸いである。(本研究は信州大学動物実験委員会で承認されている[承認番号:020116])
マウスを用いたin vivo実験は全身麻酔導入後に顕微鏡下での操作となる。筆者は全身麻酔をケタラールとキシラジンを用いて実施している。ケタラール(50 mg/mL)の原液を生理食塩水で10倍希釈し,これをマウス体重20 g当たり0.4 mL腹腔内投与している(100 mg/kg)。キシラジン(2 g/100 ml)は原液を生理食塩水で10倍希釈し,マウス体重20 g当たり0.2 mL腹腔内投与している(10 mg/ kg)。内耳へのアクセスは通常耳後切開で中耳腔経由となる。耳後切開後,外耳道に沿って剥離していくと,顔面神経が同定され,重要なメルクマールとなる(図1A,A')。顔面神経の深さは鼓膜面とほぼ一致し,顔面神経の尾側に中耳との隔壁(otic bulla)が存在するため(図1B,B'),表面の筋組織を剥離するとotic bullaを露出することができる(図1C,C')。Otic bullaは比較的若い週齢であれば針などで容易に穿破できるが,週齢が進んでいくとドリルなどでの開放が必要である。筆者は購入コストも考え,歯科用の0.5 mmのダイヤモンドバーを使用している。Bullaを開放すると,ほとんどの場合アブミ骨動脈が確認できる(図1D,D')。ヒトでは稀に遺残例はあるものの,通常胎性3ヶ月頃には消失するが,マウスでは成体でも存在している。ただし走行には奇形例もあるので注意が必要で,損傷した場合は止血に難渋する。アブミ骨動脈より上方に正円窓膜がみえてくるが,全周を明視下に置くには上方のやや厚くなったbullaの骨壁処理が必要である。ドリルでの削開でも可能ではあるが,削開しながら骨壁を深部へ押し込んでしまうと正円窓膜との距離が近くなり正円窓膜を穿破する危険があるため,ある程度骨壁を薄くした後に鑷子などで鉗除する方が無難である。内耳への薬剤などの投与は卵円窓ではなく,視野確保が容易な正円窓経由で行われることが多い。卵円窓へのアクセスは可能ではあるが,鼓膜の頭側への翻転,およびアブミ骨の前脚・後脚との間に走行するアブミ骨動脈の処理が必要であるため容易ではない。参考までにマウスもツチ骨・キヌタ骨・アブミ骨が存在する。キヌタ骨とアブミ骨の形態はヒトとほぼ同一だが,ツチ骨の形状は大きく異なる(図1D)。半規管はotic bullaを開放せずに露出することが可能であり,otic bullaよりも上方の筋組織を剥離することによって明視下に置くことができる。特に後半規管の同定は容易であり,薬剤投与や遺伝子治療実験で後半規管アプローチを好む研究者が多いのは,やや煩雑であるotic bullaの処理が不要であることも一因となっている。半規管の開窓は針を用いる研究者もいるが,筆者は膜迷路の損傷を最小限にするため,ダイヤモンドバーを使用している。
A,A':耳後部切開し,外耳道(EAC)に沿って深部へ剥離していくと顔面神経(FN)が確認できる。
B,B':(耳介を除去すると)鼓膜(TM)が観察され,顔面神経との位置関係が分かる。顔面神経の尾側がotic bulla(OB)の位置に相当する(写真では表面に筋組織がある)。
C,C':Otic bulla,および上方の筋組織を除去すると,外側半規管(Ls)・後半規管(Pc)が観察できる。
D,D':Otic bullaを除去すると,アブミ骨動脈(SA),上方に正円窓膜(RWM)がそれぞれ観察できる。広範に除去するとツチ骨(M)・キヌタ骨(I)・アブミ骨(S)が観察され,アブミ骨動脈が前脚・後脚の間を走行することが確認できる。
標本作製のために側頭骨を使用する場合には,安楽死させた後に断頭し,脳実質を除去した後に側頭骨を摘出する。側頭骨を周囲骨と剥離するのは用手的に実施可能である。摘出後は,免疫染色ではあればパラホルムアルデヒド,電子顕微鏡での観察目的であればグルタールアルデヒド,mRNAの抽出であればRNA laterなど用途に合わせた試薬に側頭骨を浸透させる。免疫染色に使用する場合でも組織切片標本での観察であれば,EDTAやスクロースを用いた脱灰処理後にミクロトームで切片作製となるが,有毛細胞数のカウントなどではホールマウント標本が有用であり,作製には内耳解剖の知識が必要となる(図2)。マウス内耳のmicrodissectionは1956年にWersällらがモルモット内耳を観察するために報告した手法が応用されている3)。本稿では蝸牛・前庭のホールマウント標本の作製に必要な内耳解剖について述べ,実際の標本作製の手法について論じる。
A:ホールマウント標本は取り出された膜迷路を上から観察でき(左図),免疫染色にて右図のような観察が可能である(写真は1回転で切除した標本)。
B:組織切片標本は垂直面(図中の□)での観察が可能であり,免疫染色にて右図のような観察が可能である。
ヒトの蝸牛は約2.75回転であるが,マウスは約1.75回転である。Otic bullaを用手的に外した後の右側頭骨外観を示す(図3A)。ホールマウント作製では周囲の骨壁を除去する必要があるが,脱灰処理を行った上でマイクロ剪刀や鑷子を用いて骨壁を除去する施設もある4)。筆者は染色性が落ちることを懸念し,脱灰処理を行わない方法を好んでいる。成体マウスでも比較的若い場合は頂回転に針で穴を開け,そこをきっかけにして鑷子で回転に沿って骨壁を除去していくことが可能である。週齢がすすむにつれて,針で穴を開けるのが困難となるため,筆者はダイヤモンドバーで頂回転だけでなく部分的に開窓をしていき,膜迷路と骨迷路の接着を丁寧に外した後に骨組織を除去するようにしている。迷路同士の接着を外す前に強引に骨を除去しようとすると基底膜が裂け,サンプルが台無しになるため注意を要する。全回転の骨壁を除去後に中心部のRosenthal管を針で外し,膜迷路を摘出する(図3B,C)。膜迷路からマイクロ剪刀でlateral wallを外すとほとんどのReissner膜は除去されるが,残存がある場合は鑷子で除去する(図3D)。蓋膜は非常に透明度が高く可視が困難なことが多いが,サンプルを傾けて観察するなどして同定し,マイクロ鑷子で除去する。蓋膜除去を省くとカバーガラスを置いた後に蓋膜がコルチ器に接し観察しにくくなるため,必ず行いたい。以上でサンプル準備は完了となり,免疫染色の作業へと移ることとなる。有毛細胞をラベルするためにMyo7a抗体(赤)で染色して共焦点レーザー顕微鏡(Leica TCS SP8 confocal microscope)で撮影した標本を示す(図3E,F)。ホールマウント標本の一番の利点は有毛細胞数のカウントができることにある5)6)が,他にも内有毛細胞・蝸牛神経間のシナプス数のカウントや支持細胞の観察にも優れている。蝸牛全体のタンパク発現や血管条・らせん神経節の観察に優れた組織切片標本7)とそれぞれの特徴を理解して使い分けることが望まれる。
A:側頭骨外観。矢印の部分が蝸牛となる。
B:骨壁を除去し,露出させた膜迷路。
C,D:組織を2分割し,取り出した膜迷路(C)より,lateral wall・Reissner膜・蓋膜を切除した標本(D)
E,F:Myo7a抗体で免疫染色した(E)の□部分を拡大した(F)。内有毛細胞(IHC)・外有毛細胞(OHC)がそれぞれ確認できる。
側頭骨を摘出後,アブミ骨を除去し深部に球形嚢が観察される(図4A,A')。同部位をきっかけに外側半規管・上半規管の膨大部方向へ骨壁を除去すると,卵形嚢・外側半規管膨大部・上半規管膨大部が露出される(図4B,B')。後半規管の膨大部は側面から観察し,骨壁を除去する必要がある(図4C,C')。蝸牛と同じく比較的若い成体マウスであれば骨壁は鑷子で除去できるが,週齢がすすむにつれてダイヤモンドバーを用いて除去することでサンプルを損傷せずに取り出すことが可能である。膨大部を超えたところで半規管を切離して卵形嚢・外側半規管膨大部・上半規管膨大部の3つを一体にして摘出する。耳石器の場合は耳石の除去を行ってから有毛細胞を観察することが多いが,一週間ほどPBS(リン酸緩衝生理食塩水)などの保存液に放置すれば自然に耳石は脱落するため,除去する作業を省略できる(図4D,E)。すなわち,側頭骨摘出後にダイセクションまで日数をおいた場合は自然と耳石が剥がれたサンプルが摘出される。待てない場合はシリンジに27Gなどの針を付け,PBSを耳石に向かって噴射すれば除去される。球形嚢は耳石が剥がれると明視が困難になるため,固定後は摘出の作業までは速やかに行うのが良い(図4F,G)。免疫染色は表面の膜迷路をマイクロ剪刀で除去し,有毛細胞を露出させた上で実施する。特に球形嚢や後半規管膨大部は極小検体であり,容易に見失うため顕微鏡補助下での作業が推奨される。有毛細胞をラベルするためにMyo7a抗体(赤)とアクチンをラベルするPhalloidin(緑)で染色して共焦点レーザー顕微鏡で撮影した標本を示す(図4H–K)。ホールマウント標本の場合,特に耳石器における有毛細胞カウントが容易となる(図4K)。
A,A':側頭骨外観。アブミ骨底板を外すと,深部に球形嚢(Sa)が観察できる。
B,B':卵形嚢(Ut),外側半規管膨大部(Ls),上半規管膨大部(Ss)が観察できる。
C,C':側頭骨を側面からみて,骨壁を外すと後半規管膨大部(Ps)が観察できる。
D,E:一塊にして摘出した卵形嚢・外側半規管膨大部・上半規管膨大部(D)より耳石(Otoconia)と表面の膜迷路を除去(E)した標本
F,G:摘出した球形嚢(F)と耳石と表面の膜迷路を除去(G)した標本
H–K:EをMyo7a抗体(J),Phalloidin(I),共染色した(H)を示す。Jの黄部分を拡大した画像(K)により有毛細胞のカウントが可能である。
マウス内耳研究,特に内耳への薬剤投与や遺伝子導入に必要な側頭骨解剖,およびサンプル作製方法につき報告した。解剖はヒトと類似している点もあるが,相違点に留意して実験を行うことが重要である。繊細な操作が要求されることが多く,耳鼻咽喉科頭頸部外科医が研究に携わることの意義が大きい分野と思われる。本稿は今後内耳研究を開始する施設や研究者への参考となると考えられた。
利益相反に該当する事項はない。
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