Equilibrium Research
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第84回学術講演会シンポジウム2「耳石器障害の基礎と臨床」
耳石器と空間識
田村 敦
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2026 年 85 巻 3 号 p. 173-180

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Translated Abstract

During flight, pilots may experience spatial disorientation, one of the most important causes of aircraft mishaps, when exposed to complicated vestibular stimuli, such as acceleration and tilt changes, via the otolith organs in an environment with limited visual information. A better understanding of how the human body interacts and interprets the environment of flight is important, as it can help avoid loss of spatial orientation, secure control of a flight, and prevent aviation mishaps associated with the loss of spatial orientation.

 航空医学とは

航空業務と医学の接点が航空医学と呼ばれる環境医学の一つであり,上空への移動により発生し得る医学的諸問題,具体的には,一般臨床医学に加えて,航空生理学,防疫,法規,航空行政等を取り扱う1)2)。一方,航空生理学の中で扱う主な内容として,低圧,低温,低酸素を始め,気圧の変化により発生し得る減圧症や圧外傷,航空機の飛行に伴い生じる自身の体重の数倍分の過重力の負荷を含めた加速度,そして後述する空間識が含まれる。

 航空医学における空間識

空間識とは,人間が空間の中での自身の位置や運動,姿勢を無意識に認知する能力を呼ぶ。空間識の維持は,「視覚情報」,「前庭感覚情報」,「体性感覚情報」が,中枢,具体的には脳幹の前庭神経核,小脳,中脳の上丘,大脳辺縁系の海馬,大脳の頭頂連合野で統合処理されることにより成り立っている3)4)図1)。

図1  空間識及び空間識形成に関与する3つの感覚機能

一方,航空医学での空間識とは,パイロットが操縦する機体の姿勢や位置,傾き等を認識する能力を意味する。視覚は,空間識形成のために最も重要な感覚であり,日常生活と同様に,距離,明るさ,色彩を始め,自分の位置情報や姿勢情報を視覚から得た情報より認知している3)4)

前庭感覚は,内耳の三半規管及び耳石器に受容器を有する。三半規管は回転角加速度を感知し,耳石器は主に頭部水平方向の直線加速度を感知する卵形嚢と,頭部垂直・前後方向の直線加速度を感知する球形嚢の2種類が備わっている。尚,直線加速度の一つである重力は,主に球形嚢で常に感知されていることになる4)

体性感覚は,皮膚及び粘膜での触覚・圧覚・痛覚といった皮膚感覚と,皮下,筋,腱,関節などでの振動覚・運動覚・深部痛覚といった深部感覚をまとめたもので,視床を経て大脳皮質頭頂葉の体性感覚野に達する。航空機操縦中の空間識に主に関連する体性感覚としては,加速度の変化が生じることで自身の体重の数倍に至る過重力が負荷され,背部,腰部,臀部,下肢の皮膚が座席に押し付けられることにより得られる皮膚感覚の情報が挙げられる4)

 航空医学における空間識失調

空間識を形成するための視覚,前庭感覚,体性感覚を通じて得られる情報のいずれかが乏しい場合,または誤った情報が入力されてしまった場合,人は誤った空間識を認識してしまう。特に航空環境下においてその時々の飛行状況次第では,パイロットが空間識を維持困難となる可能性を生じてしまう。この状態を空間識失調と呼び,航空環境及び航空医学においては,パイロット自身または操縦する航空機の姿勢,位置,運動状態(方向,速度,回転)などを正しく認識できない状態としている。この空間識失調は大規模な航空事故の一因となり得ることより,古くから国内及び海外問わず重要視されている5)~8)

一般的に,戦闘機やジェット練習機といった高機動機と呼ばれる機体を操縦するパイロットらは,航空機の特性及び航空業務の特殊性から航空環境下で複雑な機体の姿勢の変化を経験することが多く,具体的には直線加速度や回転角加速度の頻回の変化等に伴う「前庭感覚入力の攪乱」,及び旋回時中に生じる重力と遠心力の合力の影響による「体性感覚入力の攪乱」を受ける9)。このような飛行中の特殊な状況下で多岐にわたる機内の計器類の適時適切な確認を怠ってしまった場合,機体の姿勢及びパイロット自身が置かれている状況を正しく認識できなくなる状態,すなわち空間識失調に容易に陥ることになる。更に,雲中,霧中,夜間,悪天候下の飛行では視覚入力が著明に乏しくなり,空間識の維持及び形成が更に難しくなるため,空間識失調に遭遇する危険性がより一層高まる9)

 耳石器刺激の影響が関与する前庭性空間識失調

空間識失調は,視覚情報が乏しい場合または誤った視覚情報が入力された場合に生じる「視覚性の空間識失調」と,直線加速度や回転角加速度,傾斜の変化により生じる「前庭性の空間識失調」の大きく2つに分類される2)。本稿では,前庭性の空間識失調の中でも耳石器刺激の影響が関与する代表的な例として,「体重力錯覚」4)10)及び「リーン錯覚」4)11)12)の概要を以下に説明する。

1. 体重力錯覚(Somatogravic Illusion)

体重力錯覚は,内耳の耳石器が慣性の影響を受けて生じる錯覚である。例えば,水平等速飛行中に加速をすると,慣性力が後方に働くと同時に,慣性力と重力との合力が操縦者の後下方に生じるが,この合力の方向を操縦者は下方,つまり重力の方向と誤認した結果,感覚的に機体の機首が上がっているように錯覚してしまうというものである。この錯覚は,飛行機の姿勢が把握しにくい夜間の離陸の際に生じやすく,結果として視覚情報の乏しい夜間は日中に比べて離陸時の上昇感を強く生じる可能性がある13)。その他,水平等速飛行中に急減速した場合,慣性力が前方に働くと同時に慣性力と重力との合力が操縦者の前下方に生じた結果,機体の機首が下がっているように感じることもある4)図2)。

図2  体重力錯覚

内耳の耳石器が加速や減速により慣性の影響を受けた結果,慣性力の方向によって機体の機首が上がっている,または下がっているように感じる現象。

2. リーン錯覚(The Leans)

雲中や夜間等の視覚情報が乏しい状況下で航空機の緩やかな旋回又は傾き動作を行った場合,三半規管や耳石器はこれらの動作を感知することが困難となる。やがて計器の確認にて自身及び機体が傾いていることに気づいて急激に傾斜を修正すると,機体が水平に戻ったにも関わらず,修正した方向,つまり逆方向に傾いた感覚を生じる4)11)。この錯覚はリーン錯覚と呼ばれ,計器が示す正しい航空機の姿勢とパイロット自身の傾斜感覚との間に矛盾を生じるというものである。前庭性の空間識失調の中では,パイロットが遭遇する頻度の高い錯覚とされている12)14)図3)。

図3  リーン錯覚

雲中等の視覚情報が乏しい状況下でゆっくりと傾斜動作を行った場合,傾斜を感知することが困難となるも,急激に傾斜を修正すると,機体が水平に戻ったにも関わらず,修正した方向に傾いたと感じてしまい,正しい航空機の姿勢とパイロット自身の傾斜感覚との間に矛盾を生じる現象。

 前庭性空間識失調が一部関与すると考えられる航空事故

先に述べたとおり,空間識失調は大規模な航空事故の原因となり得るが,本邦においても空間識失調が原因と考えられた航空事故が過去に幾度となく発生している。近年の代表的な航空事故事案の一つとして,令和4年1月31日に発生した,航空自衛隊航空戦術教導団飛行教導群(航空自衛隊小松基地)所属のF-15DJ戦闘機墜落事故が挙げられる。

航空自衛隊の報道発表資料15)(本資料は防衛省ウェブサイト,https://www.mod.go.jp/asdf/news/uploads/docs/2022-06-02.pdfより閲覧可能)によると,事故の原因として,雨と雪が降る中,夜間飛行訓練目的で夕刻の小松飛行場を離陸した当該事故機が,離陸後の雲中における上昇旋回の途中に右への傾斜が過大となるとともに徐々に機首下げ姿勢となり,その後高度が急速に下がっていることに対して当該事故機の操縦者の認識が遅れ,機体姿勢の回復操作を行ったものの間に合わなかった結果,離陸から約1分後に墜落に至った,と推定されている。

本事案を前述した前庭性空間識失調の視点から考えてみると,空間識を形成及び維持する上で重要な視覚入力が著しく不足した不安定な空間識の状態の中,耳石器入力の刺激及び攪乱により前述したリーン錯覚と思われる錯覚が発生し,パイロットが空間識失調に陥ってしまった結果,最終的に大規模な航空事故を引き起こしたものと推測される。

 耳石器刺激が一部関与する前庭性空間識失調研究

空間識失調に関する様々な生理学的研究を行うには,被験者に対して視覚刺激と前庭刺激を同時に負荷可能とする特殊な装置が必要になる2)9)。筆者らは,航空自衛隊航空医学実験隊が所有する空間識訓練装置Gyrolab GL-4000(米国ETC社製)を使用して,航空医学に関連した空間識失調の研究に長年取り組んできた9)11)13)16)~20)。この装置は,半径3.05 mの旋回主軸によるプラネタリ(planetary)と主軸先端のゴンドラによるピッチ(pitch),ロール(roll),ヨー(yaw)の計4軸の自由度を有し,その動きはコンピュータにて制御可能である(図4A)。被訓練者が搭乗するゴンドラ内部は戦闘機のコックピットを模した作りとなっている。またゴンドラ内の前方にはスクリーンがあり,被訓練者に対して静止画や映像の提示が可能となる(図4B)。この装置は通常,「空間識失調シミュレーター」という形で運用されており,航空環境下で遭遇し得る複数の空間識失調の状況を模擬的に作り出し地上で体験させることで,被訓練者へ空間識失調に対する理解を深めてもらうように努めている2)9)12)

図4  前庭刺激と視覚刺激を負荷するための装置

A 空間識訓練装置Gyrolab GL-4000と各回転軸

B 空間識訓練装置のゴンドラ内部

筆者らはこの装置を使用した空間識失調関連の研究の一環として,ゴンドラ内部前方のスクリーンに様々な静止画を提示することにより被験者に対して様々な視覚刺激を行いつつ,訓練装置を稼働させることにより被験者に前庭刺激を負荷した上で,自覚的視性垂直位(subjective visual vertical,以下「SVV」16)18)19)という。)を用いて,被験者が自覚するroll傾斜感覚がどのように変化するのか,表現を変えるとどのような状況下で空間識失調に陥りやすいかを検証しこれまでに報告してきた9)16)18)19)。そこで,本稿では耳石器刺激が一部関与する2種類の研究の概要を紹介する。尚,以下の研究はヘルシンキ宣言を遵守し被験者へ実験内容を十分説明の上で同意を得るとともに,奈良県立医科大学倫理委員会の承認のもと(承認番号356),筆者が過去に所属していた航空自衛隊航空医学実験隊と奈良県立医科大学との共同研究の一環として実施された。

最初は,実際の航空環境で経験しうる過重力と視覚情報の変化がroll傾斜感覚にどのように影響し得るのかを,前述した空間識訓練装置及びSVVを使用して検証した。14名の健常成人男性(平均年齢31.8歳,全員が非パイロット)を空間識訓練装置のゴンドラ内に搭乗させ,過去の実験で使用した静止画11)18)19)による視覚刺激を負荷するとともに,roll傾斜したゴンドラを空間識訓練装置のplanetary軸で回旋させさせることで,被験者の身体軸に沿って「重力(1 G)と遠心力の合力=過重力」を最大2 G,つまり自身の2倍の体重分の過重力を負荷した(図5)。SVVの評価については,過去の報告と同様,SVVを用いて被験者が回答した重力軸(上下軸)と本来の正しい重力軸(上下軸)との誤差が大きい程,被験者は正しいroll傾斜状態の認識が困難,つまりより一層空間識失調に陥っていると判断した9)16)18)19)

図5  被験者に負荷した3種類の重力環境と提示した3種類の視覚情報

過重力は被験者の身体軸に沿って負荷した。視覚情報はv0(常時身体軸に一致した画像),vR20(常時右20°傾斜した画像),vL20(常時左20°傾斜した画像)の3種類を提示した。

結果であるが,視覚情報の違いによりSVVの誤差に有意な差を認めた一方で,1 G,1.5 G,2 Gの各重力環境間でSVVに有意な差は認められなかった(図6)。表現を変えると,本実験では過重力負荷そのものがSVV,つまりroll傾斜感覚又は被験者の空間識には影響しないという結果となった。

図6  過重力及び視覚の影響とSVVの誤差の変化

1 G,1.5 G,2 G環境下で3種類の視覚情報を提示したところSVVの誤差に有意な差を認めるも,各重力環境間でSVVの誤差に有意な差は認めなかった。

過去にも,本実験と同様の前庭刺激のみを実施したものの過重力負荷がroll傾斜感覚に影響しなかったという報告21)があるが,この理由として過重力は耳石器を刺激しなかったからと考察されている。この点に関して,耳石器を球形嚢と卵形嚢とに分けて掘り下げてみると,本実験系において過重力は被験者の身体軸に沿って負荷されているため球形嚢には刺激を与える反面,roll傾斜感覚に関与する卵形嚢へ殆ど刺激しなかったため,結果として過重力負荷がroll傾斜感覚に影響しなかったと考えられた。

続いて,視覚情報が乏しい暗所下で過重力を負荷した際のroll傾斜感覚がどのように影響するかを,6名の健常成人男性(平均年齢31.8歳,全員が非パイロット)を対象に,同じく空間識訓練装置及びSVVを使用して検証した。被験者へ「重力と遠心力の合力=過重力」を負荷する点は先に述べた実験と同様であるが,ゴンドラ,つまり被験者自身はroll傾斜しないため,過重力は被験者の身体軸から逸れた方向へ負荷されつつ大きさ及び負荷角度が変化し,また装置内部は視覚情報非提示の上で計器類を全消灯し暗所17)19)となっている点が異なっている。尚,本実験では被験者に対して最大2.36 G,つまり自身の2倍強の体重分の過重力を負荷した(図7)。

図7  被験者に負荷した過重力

被験者の身体軸から逸れた形で最大2.36 Gまでの過重力を負荷した。

結果を簡単に述べると,過重力の負荷が増大するとともにSVVの誤差が増大する傾向,言い換えると空間識失調へと陥りやすくなる傾向を認め,前述した筆者らの実験や過去の報告21)と異なり過重力負荷がSVVの誤差,つまり被験者のroll傾斜感覚又は空間識に影響を与える形となった(図8)。この理由として,本実験では過重力が身体軸から逸れて負荷されたことで前述の実験と異なり卵形嚢を刺激したため,結果としてroll傾斜感覚が過重力により影響を受けた可能性が考えられた。

図8  被験者に負荷した過重力とSVVの誤差の変化

過重力負荷の増大に伴いSVVの誤差が増大する傾向を認めた。

まとめると,これら2つの実験は条件こそ揃ってはいないものの,過重力が負荷される方向,すなわち身体軸に沿った方向か,はたまた身体軸から逸れた方向か,によって刺激を受ける耳石器が異なった結果,空間識,つまりroll傾斜感覚への影響が異なったものと考えられた。

 おわりに

本稿では,主に耳石器刺激の観点から航空環境における空間識の形成及び維持の重要性に焦点を当てるとともに,大規模な航空事故の一因となり得る空間識失調について紹介した。日常のめまい診療や関連する研究とは毛色の異なる内容ではあるが,多くの方々が空間識及び空間識失調に関心を持って下さると幸いである。

 謝辞

本論文の要旨は第84回日本めまい平衡医学会総会・学術講演会(横浜)のシンポジウム2「耳石器障害の基礎と臨床」において講演した。

シンポジウムでの発表の場を与えてくださった会長の瀬尾徹先生,座長の岩﨑真一先生に深謝いたします。

利益相反に該当する事項はない。

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