抄録
イタリアの盛期ルネサンスを代表する建築家の一人バルダッサーレ・ペルッツィは, 1503年にブラマンテの助手としてサン・ピエトロ大聖堂の設計に従事し, 1520年にはラファエロのあとを受け継ぎ, サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命され, 残する1536年までその建設工事に携わった人物のである。本稿では, ペルッツィが1533年に描いた「サン・ピエトロ大聖堂の計画のための鳥瞰図」を分析対象として, その図を描く際に用いられたであろう作図線を推定する。つぎに, イタリアの建築家ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ (1507年-1573年) の著作『実践的透視図法に関する2つの解法』 (1583年) のなかで, ペルッツィの透視図法について記述された文章を鑑み, ペルッツィの透視図法を想定する。考察の結果, 「サン・ピエトロ大聖堂の計画のための鳥瞰図」には消点の存在が確認でき, それにもとついてこの図の作図線を想定した。さらに, ペルッツィの透視図法と自分の方法を比較するかたちで記述されているヴィニョーラの文章から, ヴィニョーラの透視図法と異なってペルッツィの透視図法は, 縦方向の寸法を用いて, さきに画面に描く図の高さを設定し, それによって必然的に横幅の寸法が確定される方法であったと考えられる。