日本労務学会誌
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Print ISSN : 1881-3828
研究レビュー
高齢者の就労と生きがいに関する研究の現状と課題
有馬 教寧
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2021 年 21 巻 3 号 p. 92-102

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ABSTRACT

The purpose of this paper is to review the conditions necessary for the elder people in Japan to gain a sense of meaningful life through paid employment. The paper also summarizes the key issues that needs clarification with a particular focus on the following three: corporate human resource management, employment needs for elders, and successful aging.

First, I will confirm that in a typical corporate human resource management system, elderly workers extended with non-regular appointment are managed within a welfare-type employment, with no rating or raises in salaries. However, in order to increase elderly employment as effective work resource, it is necessary to revisit corporate human resource management so that it provides appropriate remuneration (not limited to salaries, but also opportunities for obtaining intrinsic rewards and sense of accomplishment) through work. Second, I will focus on elders’ employment needs and their sense of meaningful life, exploring the possibility that welfare-type human resource management may hinder elders’ attainment of sense of meaningful life through work. I will clarify differences in elders’ sense of meaningful life and their employment needs. Third, I will examine the applicability of theoretical arguments of successful aging to the issues of job search behaviors for the elderly. I will focus on the notion of "Selective Optimization with Compensation" and explore possibilities of using the notions of "selection", "optimization", and "compensation" to understanding elders’ positive attitudes toward work and motivation for employment. In the concluding section, I will review the points that have been overlooked in the past research. Although there are a number of discussions based on the viewpoints of corporate human resource management, the perspectives of elders are often times underestimated, despite the fact they are the main players. Elders are often discussed as one monolithic group of people, even though they are individuals with diverse health, financial, and many other conditions and needs. There are few studies focusing on elderly people who are looking for employment. Through these, key issues that need to be studied in future research will be clarified.

1. はじめに

本論文の目的は,日本の高齢者が就労を通じて生きがいを持つために必要な条件,および今後研究を通して明らかにすべき事柄ついて,企業の人事管理制度,高齢者の就労ニーズ,サクセスフル・エイジングの視点をもとに整理することにある。

我が国において,高齢化問題が叫ばれるようになってから既に20年以上が経過している。総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)も2018年には28.1%となり,今後も上昇を続け,2065年には38.4%と国民の2.6人に1人が65歳以上となる超高齢化社会が到来すると予想されている1。世界の中で高齢化率の推移をみても,2015年の比較では,日本の高齢化率が26.6%に対し,2位のドイツが21.1%,3位のスウェーデンが19.6%であり,日本が突出して高い。アジア諸国と比較しても2位の韓国が13.0%,3位のシンガポールが11.7%であり,日本は明らかに高齢化の最先端を進み続けていることがわかっている。現在においても未来においても,日本が高齢化社会問題に最も早く,真正面から取り組まなければならない国であることは明らかである。

高齢化率の上昇に伴う問題として,介護福祉施設の不足や社会保障費の増大等と同時に取り上げられるのが,労働力不足の問題である。日本における15~64歳の生産年齢人口は2018年時点で7,545万人まで減少しており,2065年には4,529万人と,4割も減少するとみられている2。労働力の不足は,直接的に国内の経済活動の縮小につながる。少子高齢化の中で労働力を確保するため,政府は働き方改革の一環として,「ダイバーシティの推進」や「ワーク・ライフ・バランスの実現」による多様な労働力の活用とあわせて,高齢労働者の雇用促進を掲げている。平成28年6月2日閣議決定の「ニッポン一億総活躍プラン」においても,「同一労働同一賃金の実現」「長時間労働の是正」とあわせて「高齢者の就労促進」が取り上げられており,労働供給の増加による経済成長の実現を図ろうとしている。政府による高齢労働者の雇用支援策により,定年年齢は段階的に引き上げられ,2018年時点では,全国の中小規模以上の企業のうち,99.8%の企業において希望者全員が65歳まで働くことができる環境が整った3。しかし現状は,高齢者の7割近くが65歳を超えても働きたいと願っているにもかかわらず,実際に働いている高齢労働者は2割にとどまっている4。これまで政府は,この「働きたいと願っているが,働いていない高齢者」を減らし,働く高齢者を増やそうと定年延長を行う企業等に対する支援や優良事例についての情報発信,ハローワーク,シルバー人材センターを通じた高齢労働者と企業とのマッチング支援等の支援を中心に行ってきた5。しかしながら,現在においても多様な高齢者の就労促進は十分とはいえず,明確な解決策は見出されていない(後山,2007)。

2. 高齢者の変化と人事管理制度

2-1. 高齢者の変化

一般的に「高齢者」は65歳以上の人々を指す。しかし昨今の健康寿命の伸長により,65歳以上でも心身の健康が保たれ,活発な社会活動が可能な人が多数を占めていることから,この「高齢者」を再定義すべきとの意見もある。1960年当時の65歳と同程度の健康状態にある人々の年齢を示した「平均余命等価年齢」では,2010年段階で1960年当時の65歳と同程度の健康状態の年齢は,男性で74.8歳,女性で76.5歳となっており,75歳以上を新たな高齢者の定義とすることも提案されている。このような環境変化によって,昨今では65歳から74歳の高齢者を「アクティブシニア」と称することで,従来の「シニア」とは区別して扱おうとする傾向があり,元気な「アクティブシニア」に働いてもらうためには,どのような制度・処遇が必要かに関する議論が広がりつつある。

2-2. 高齢者の人事管理

1986年の「高年齢者の雇用の安定等に関する法律(高年齢者雇用安定法)」制定以降,2度の改正により,政府は定年年齢を段階的に引き上げてきた。これにより,現在は60歳定年制が義務化され(1994年までは努力義務であり,55歳定年から段階的に引き上げられた)60歳までは正社員で雇用し,その後65歳まで嘱託社員等の非正規社員として働くことが一般的となっている。この間に議論されてきたのは,主に「キャリア(人事制度)と報酬(賃金テーブル)」に関する問題であった。従来の日本の人事管理制度は,年齢が上がるにつれ能力と給与が上昇することを前提とし,定年までキャリアも報酬も右肩上がりの制度が導入されてきた。しかし,65歳(今後はさらに高年齢)まで働くとなると,身体能力の低下に伴う判断力や体力の低下も考慮する必要があり,また,組織の活性化のためには役職定年も設ける必要が生じるため,右肩上がりのキャリアと報酬は成り立たなくなってしまう。その中で生み出されてきたのが,定年を機に非正規社員として働くという「1国2制度型」人事管理(今野,2014)である。

内閣府(2019)によると,定年後の継続雇用制度がある企業のうち,68.7%の企業が非正規社員としての雇用形態をとっている。定年までは正社員として雇用し,それ以降は就業自由度(働く時間,働く場所(転勤可否等)に関する自由度)が低い非正規社員として雇用する。この制度を今野(2014)は「1国2制度型」と表現し6,その問題として以下の点を指摘している。1点目は,人事評価の有無である。高齢・障害・求職者支援機構が2011年に行った調査7によると,高齢労働者の評価に関する質問に対し,44.9%の企業が「評価を実施していない」と回答しており,また報酬(賃金)についても,昇給がない企業が85.5%にも上り,高齢社員には成果も期待せず(評価せず),報酬もアップさせない企業が多く存在することを示している。2点目は,賃金の決定方法である。賃金の決定は,定年時点の職能資格,職位,賃金が考慮され,定年時賃金の3割程度を減じた額が報酬の基準の一つとなっている。賃金は仕事の内容によって規定されるのではなく,定年時にどれだけ高い役職についており,どれだけ高い賃金を支給されていたかによって決定されることとなる。

今野はまた,これを「福祉雇用型」人事管理とも表現しており,高齢者に雇用機会を提供するという社会的要請に応えて設けられた雇用であり,成果をあげてもあげなくても賃金が変わらないという現状の雇用制度とその慣習の中では,高齢労働者を戦力として活用することはできないと指摘している。また解決の方向性として,企業側が“戦力”として雇用するためには,高齢労働者が求める就労ニーズを探り,彼ら彼女らに対して適切な仕事役割やキャリア形成の機会を準備する必要があると指摘している。これまで,65歳までの人々の雇用整備に関わる課題に対して「福祉雇用型」のしくみで対処してきた日本の人事管理制度は,さらなる雇用年齢の延長を進めるうえでは限界にきているといえる。人事管理制度の見直しは継続して議論され,新たな解決策を提示する必要がある。

3. 高齢者の労働と生きがい感

3-1. 労働の効果

高齢者の就労促進を議論する際,しばしば「高齢者が働き続けることは,そもそも本人たちにとって良いことなのか」といった疑問が投げかけられる。高齢者は,それまで必死に働いてきたのであるから,一定の年齢を超えてからは悠々自適な生活を送るべきであり,労働に参加させるべきではないという意見である。果たして,高齢者に働き続けてもらうことは良いことなのだろうか。

この疑問に対する回答として,南(2016)の結果を紹介する。南が2008~2012年に行った研究では,65歳以上の高齢者4,169人に対するアンケート調査8から,高齢者の就労状況によって主観的健康感や精神的健康,また日常生活を行うために必要な身体機能において差異があるかについて分析を行っている。その結果,65歳以上の就労者は,主観的健康感,精神的健康,高次生活機能の3つの指標のいずれにおいても,無業者(無職)と比較してより良好な状態であることが明らかになっている。また同時に,離職が精神的健康と高次生活機能に対して有意にマイナスの影響を与えることも明らかにしている9。この研究のように,就労が高齢者の健康や機能面に与える影響については医学や公衆衛生の分野で多くみられるが,概ね就労は健康や生活機能の維持に対してよい影響を与えることが報告されている。

また,2015年に長野県(2015)において,都道府県別の平均寿命・健康寿命と,健康に関係があると思われる指標81項目10についての相関分析を行っているが,本分析によっても,就業率の高さと健康長寿との間には正の相関関係があることが示されている。特に男性においては,65歳以上に限定した就業者割合と平均寿命・健康寿命との間にも相関があることが明らかになっており,就労を通じて社会とつながり続けることは高齢者の心身の健康維持に良い影響を与える可能性が示唆されている。

3-2. 高齢者の生きがい

高齢者にとっての生きがいとは何か。近藤・鎌田(2003)は「高齢者向け生きがい感スケール(K-I式)の作成および生きがい感の定義」の研究において,日本における高齢者の生きがい感の測定を試みている。この研究では,高齢者が考える生きがいの範囲について調査・検証し,仮の定義を行ったうえで,これを基に生きがい感スケールを作成し,その信頼性,妥当性を検証することによって,生きがい感の操作的定義を行っている。本稿では,この研究の中で行われた高齢者の生きがい感に関するアンケート調査の結果をもとに,日本の高齢者にとっての生きがい感がどのようなものかを確認する。

この調査では,筆者が選定した生きがい感に該当すると思われる15項目について,60歳以上の在宅高齢者162人11に対してアンケートを行った。アンケートでは,各項目について生きがい感といえるかどうかを〇,△,×の3段階で回答を求め,〇は+1点,△は0点,×は-1点として合計得点を算出している。なお,調査結果は表1のとおりである。

表1 高齢者の生きがい感

表からわかるように,1~10位までの項目については合計得点がプラス得点(生きがいを感じる高齢者のほうが,感じない高齢者よりも多い)となっており,これらが高齢者の生きがい感の構成要素となっていると捉えることができる。その一方で,11位以下の「人生観,価値観の形成」「安らぎ感」「生活のメリハリ感」「生への執着」「気晴らし」についてはマイナス得点となっており,これらの感情が生きがいと関連すると考える人の割合は低く,生きがい感を構成する要素にはなっていないと解釈することができる。

1~10位の中でも,特に「意欲と目的感」「役割感,貢献感,有用感」「達成感」「使命感,責任感,義務感」「張り合い感」の5項目の得点が高く,目的や目標の設定と,それを成し遂げるという達成・使命感が高齢者にとっても重要な要因であることがわかる。また,「向上したと感じる気持ち」「他人から認められ評価されている気持ち」といった自己実現や評価も生きがい感として捉えられており,高齢であっても,引き続き成長し,認められたいという欲求が背景にあると考えられる。この結果をもとに,近藤・鎌田は日本の高齢者にとっての生きがい感を「なにごとにも目的をもって意欲的であり,人の役に立つ存在との自覚をもって生きていく張り合い意識であり,なにか向上した,人に認めてもらっていると思えるときにも感じられる意識である」と定義した12

ここで注目すべきは,上記の生きがい感は必ずしも働くことと関連付けられてはおらず,高齢者の生活全般を想定するものであり,仕事を通じて獲得する生きがいとは一致するとはかぎらないという点である。仕事はあくまでも手段の一つにすぎず,仕事以外にも趣味やボランティア,教育,育児等さまざまな活動が存在する。現役世代であれば,仕事が全て(仕事=生活)という人も存在するかもしれないが,高齢者においては,仕事以外にもさまざまな活動を行っていることが想定されるため,前述のような生きがい感を仕事を通じて獲得したいと考えているとは言い切れない。

3-3. 高齢者の就労ニーズ

では,高齢者は仕事に対してどのようなニーズを持っているのか。この疑問に対して一つの答えを導き出した研究が,福島(2007)による「高齢者の就労に対する意欲分析」である。この調査では,企業やNPO法人などで生き生きと働く高齢者23名に対してインタビュー調査を行い,就労動機,働き方に対する考えや価値観を分類し,高齢者の就労ニーズを4つに類型化した。また,これらの類型をもとに,高齢期の4つの就労モデルを提示している。

福島による「生き生きと働く高齢者の就労ニーズ(仕事の目的)の4類型」は表2に示すとおりである。

高齢者の就労ニーズとして表2から読み取れるのは,無理のない範囲で仕事に取り組みたいといった柔軟な働き方を求める姿勢である。また,これらの就労ニーズには表1の生きがい感にみられた意欲的な目標の設定や達成感に関わる項目が見られず,高齢者の生きがい感と異なるものであることがわかる。この生きがい感と就労ニーズとの違いから,福島の調査対象者は,生き生きと働く高齢者でありながらも,仕事を通じて生きがい感を得てはいないことが予想される。

なぜ,このような結果となったのか。一つの可能性として,この調査が「福祉雇用型」人事管理制度を導入している企業で行われていることが考えられる。「福祉雇用型」人事管理制度では,成果にかかわらず賃金が変わらないことが多く,目標設定がしにくく,達成感を得にくい環境に調査対象者が置かれていたことが予想される。もし,この予想が正しいならば,人事管理制度が障壁となり,高齢者の生きがい感を阻害しているのかもしれない。

また福島(2007)では,調査対象の企業13社の事例をもとに4つの高齢者の就労モデルを提示しているが(表3),この調査企業と前述の調査の23名が働く企業とは同一であることから,このモデルに該当する企業が,高齢者が生きがい感を得ることができる就労モデルであるとは考えにくい。今後,日本において高齢者就労を促進する上では,人事管理制度上の課題解決とあわせて「生きがい感を獲得できる就労モデル」を検討する必要があると考える。

表2 生き生きと働く高齢労働者の就労ニーズの類型
表3 4つの高齢者の就労モデル

4. サクセスフル・エイジングの視点

4-1. サクセスフル・エイジング

サクセスフル・エイジング(successful aging)の理論は,社会学の領域で多く扱われている。人は老いるものであることを前提に,望ましい年齢のとり方について議論されてきた。サクセスフル・エイジングの理論には「活動理論(activity theory)」(Lemon, B.W., et. al., 1972),「離脱理論(disengagement theory)」(Cumming,E., & Henry, W.E., 1961),「継続性理論(continuity theory)」(Atchley, R.C. 1989)の3つがあるが,老年学の分野では,1960~70年代にかけて,「活動理論」と「離脱理論」に関する論争が活発に行われた。まず,この2つの理論の論点を整理する。

「活動理論」は,年齢を重ねても,中年期の活動や態度を可能なかぎり維持すること(社会に参加しつづけること)が望ましいと主張する。この活動は,仕事に限ったものではなくボランティアや学習等も含んでおり,社会活動を継続することが高齢者にとって良いという考え方である。これとは逆に「離脱理論」は,高齢者は社会からの離脱を望み,社会も高齢者が離脱しやすいようなシステムを用意して,高齢者を解放すべきという理論である。社会につなぎとめるべきか,離脱させるべきかに関して2つの理論は競合的なものとしてとらえられ,1960~70年代には論争が繰り広げられたが,結論には至らなかった。理論的な主張の正しさではなく,年齢層も幅広く,多様な高齢者を説明するには双方の理論の要素を交えながら,現実の事象を捉えることが必要だというのが,この論争の結論となっている。

「活動理論」と「離脱理論」の論争は,前述の「働き続けることは,良いことなのか」との議論に近い。南(2016)は65歳以上を対象としたアンケート調査から,働き続けることが高齢者自身の健康にも,生活機能の維持にも良い効果をもたらすことを明らかにしたが,もし,この調査対象が,健康状態等がさらに多様な75歳以上の高齢者だった場合は,異なる結果が示されていた可能性も考えられる。現実の社会において,多様な高齢者を説明するためには,2つの理論的視点を統合する必要がある。

「継続性理論」は,「活動理論」と「離脱理論」の論争により派生した理論である。「継続性理論」によると,人が高齢期のさまざまな変化に適応する際には,それまでの生活や行動様式を可能なかぎり維持しようとし,その実現のために馴染みの行動範囲で馴染みの方法を好んで用いることで適応しようとすると論じている。また,継続性理論によると,継続性には内的継続性と外的継続性の2種類があるとされ,前者は自己の内面(考え方や価値観,興味関心等)を,後者は外部構造(自身の持つ技術や活動,社会的役割等)を維持しつづけることを指す。高齢者が経験するさまざまなライフイベント(例えば,定年退職)において,それまでの経験とよく似た行動をとること(例えば,定年退職前とよく似た職場でよく似た仕事を行うこと)は容易ではなく,この枠組みだけでは実社会における選択のプロセスを十分に説明することができない(小田,2004)。このため,近年では選択のプロセスを説明するための枠組みとして,「老年的超越論」や「補償を伴う選択的最適化理論」,「社会情動的選択性理論」などが用いられるようになってきている。

4-2. 老年的超越理論

「老年的超越理論(gerotranscendence theory)」(Tornstam, 2005)は,トルンスタムが離脱理論を再構築する中で提唱した理論である。トルンスタムは「老年的超越」を説明する上での具体例として,元看護婦であるエヴァへのインタビューの内容を紹介している13

エヴァは69歳の元看護婦であった。結婚し,3人の子どもを設け,順調な生活を送っていたが,数年前に離婚したことにより精神的な苦痛を経験していた。エヴァは離婚について「精神的な苦痛をあえて求める人はいない。しかし,精神的苦痛を通じて何かを学ぶことができる。」と答え,人生における辛い経験を乗り越えた様子がうかがえた。また,人生に関しては「元はコントロールできない流れに乗って,川を流れているように感じていた。今は,私自身が川であり,楽しいことも,そうでないことも全てを含んだ流れになっていると感じる。」と説明しており,自らの存在を時間の流れをも含んだ超越的な存在と認知していた。トルンスタムはこのエヴァの例を挙げ,人は年齢を重ね,人生における大きな危機を乗り越えることにより心身を超越した発達を遂げると説き,これを「老年的超越(gerotranscendence)」と表現した。なお,gerotranscendenceは老人を意味する“geron”と超越“transcendence”を合わせた造語である。

トルンスタムは,個人は老年的超越を経験する過程において「宇宙的次元(cosmic dimension)」,「自己(self)」,「社会と個人の関係(social and individual relationships)」の3つの次元で変化が表れると説明している。

  • ①   「宇宙的次元(cosmic dimension)」

    時間と場所の考え方が再定義される。例えば,過去と現在の境界を超えたり,祖先を大切に思うことを意識する。また,死に対する恐怖が薄くなり,生命の神秘性を受け入れる。

  • ②   「自己(self)」

    自己の隠された内面を発見し,自己中心的な世界から撤退し利他主義へと移行する。また,外見などにとらわれなくなり,人生のジクソーパズルの一片が人生全体を形作ることを理解する。

  • ③   「社会と個人の関係(social and individual relationships)」

    表面的な関係への関心が減り,一人を望むことが多くなる。自己の役割を再認識する。子どものような純粋な感情が解放され,善悪の区別や判断の保留,アドバイスを与えることの難しさを認識する等,日常の知恵を得る。

トルンスタムによると,これら3次元の変化により人はより超越的な発達を遂げるが,より高い段階の超越に到達した人は,低い段階の人に比べて以下の5つの特徴がみられるという。1点目は,社会的活動の自己の管理度が高い。2点目は,より高い生活の満足感を得ている。3点目は,社会活動により高い満足感を経験している。4点目は,社会活動への依存度が低い。最後に,より活動的で複雑なコーピング・パターンがみられる。また,これらの変化は人生における大きな危機を乗り越えること(前述のエヴァの例)により,より発展を促すとされる。

なお,本理論は哲学的な要素を多く含んでおり14,合理的な説明を行うことが難しい。また,本理論が説明する変化については個人の信条や宗教によっても左右されると想定され,また変化を予測することも困難であり,実社会において活用することは難しいと考えられる(佐藤他,2016)。

4-3. 補償を伴う選択的最適化理論(SOC理論)

個人は日々の生活の中で何等かの目標を設定し,それを達成することによりポジティブな感情を経験している。このような目標達成のためのプロセスを説明しようと試みたものが「補償を伴う選択的最適化理論(以下,SOC理論)」(Baltes & Baltes, 1990)である。SOC理論では,加齢に伴い自己の資源(精神的,身体的,社会的)が喪失する中で,獲得を最大化し,喪失を最小化するために「選択(selection)」「最適化(optimization)」「補償(compensation)」の3つの戦略を用いて自己の資源を最適化することが有効であると論じられている。SOC理論の射程は高齢期に限られたものではないが,高齢期には,定年退職等のライフイベントにより,目標を再設定しなければならないケースも多く,サクセスフル・エイジングの議論において取り上げられることが多い。以下,3つの戦略について確認する。

  • ④   「選択(selection)」

    選択とは,達成が困難になった目標から,新たな目標に絞る(設定しなおす)ことを指す。選択には,個人が優先順位を見直し,目標を絞る「選択的選択(elective selection)」と,資源の損失が生じることにより,達成が困難になった目標を変更し,新たな目標を設定する「損失ベースの選択(loss-based selection)」の2つの戦略がある。

  • ⑤   「最適化(optimization)」

    最適化とは,残された資源の活用方法を見直し,より効率良く配分することを指す。

  • ⑥   「補償(compensation)」

    補償とは,ある資源が利用できなくなった時に,その資源を補完する機能を持つ別の資源を活用することを指す。

この理論を援用することで,高齢者のさまざまな行動の説明が可能となる。例えば,これまでゴルフのスコアで80台を目指していた人が目標を90台に変更することは,ドライバーの飛距離の低下という資源の喪失を自覚したことによる「損失ベースの選択」と説明できる。また,長距離トラックの運転手であった人が,体力の衰えによりタクシードライバーに転向することは,運転技術という個人資源の活用方法を見直した「最適化」と説明することができる。他にも,老眼による視力の低下を補うために,老眼鏡によって補完する「補償」である等,SOC理論には,高齢者が個人資源を喪失した際のさまざまな選択行動に対する説明力がある。この理論の援用により,高齢者の就労行動における仕事の選択を促すことができると考えられる。

4-4. サクセスフル・エイジングの評価尺度

サクセスフル・エイジングの評価に用いられる指標にはさまざまなものが存在するが,主だったものとして,主観的幸福感,心理的ウェルビーイング,生活の質(QOL)があげられる。主観的幸福感尺度(Lyubomirsky and Lepper, 1999)は①個の幸福度,②人との関わりの幸福度,③自己評価の幸福度,④社会とのかかわりの幸福度の4項目で測定するもので,個人の主観的な幸福に関する代表的な尺度とされている。心理的ウェルビーイング(Ryff,1989)は,①人格的成長,②人生の目的,③自律性,④環境制御力,⑤自己受容,⑥積極的な他者関係の6次元により構成されており,人生全般に関わる評価尺度として活用される。また,QOLは主観的幸福感尺度と同じく個人の主観に基づくもので,生きがいを含む心理的側面と,環境での暮らしやすさを表す社会環境的側面により構成されている。どの指標を用いて研究を行うかは研究分野により異なる。医学分野では健康や長寿,生活機能の維持といった機能面に焦点が当てられることが多いのに対し,社会学や心理学の分野では,個人の幸せや楽しみといった情緒的な面をとらえた尺度で測定されることが多い。どの評価尺度を用いて研究を行うかについては,研究の内容,目的にあわせて,十分に考慮する必要がある(熊野,2006)。

5. 今後の課題と研究の方向性

最後に,高齢者の就労に関する先行研究で見過ごされてきた点について確認する。第1に,政府と企業による取り組みは,政府がどのように企業を動かし,高齢労働者の雇用促進を図るか,企業がどのような雇用制度で高齢者を雇用するかという企業の行動を促すためのものであり,主体者であるはずの高齢労働者側の視点が欠けているという点である。高齢労働者は学歴・職歴,健康状態,経済状態等が,それぞれの面において多様な個人の集まりである。例えば,「給与がほしい」と願っていても個人によってその度合いが異なっており,困窮により,生活のために働く高齢労働者もいれば,無理をせず,小遣いが稼げればよいと思っている高齢労働者もいるだろう。しかし,これまでの高齢労働者に関する議論ではこれらの多様性が十分に考慮されておらず,国の政策や人事管理制度は,これら多様性の高い高齢労働者を,ひと括りで捉えてしまっている点に課題がある。

第2に,高齢者の就労促進を考える際には,就職を希望しながらも働いていない潜在労働力としての高齢者にも目を向けるべきであるが,これまでの研究では,彼ら彼女らが十分に注目されてこなかった点である。就労ニーズに関する調査についても,働いている高齢労働者を対象とした調査は存在するが,就職活動中の高齢労働者を対象とした調査は見当たらない。就労促進を図るためには,企業と高齢者のマッチングだけではなく,潜在労働力としての高齢者が,生活全般においてどのような生きがい感を求めており,仕事を通じて何を獲得しようとしているのかを明らかにすることが有効と思われる。彼らがどのような知識や適性,興味関心等の個人資源を持っているのか,またそれをどのように活用し,再就職を果たすのか等,丁寧な分析が必要である。

上記の点を踏まえ,今後の研究では,分析の視点を高齢労働者個人(特に,就労希望を持ちながらも働いていない潜在労働力としての高齢者)に置き,高齢労働者がどのような知識や適性,興味関心等の個人資源を保有しており,それらの資源がどのように活用され,再就職活動に活かされるのかを,サクセスフル・エイジングの理論の一つであるSOC理論の援用可能性も踏まえながら,高齢労働者にとって望ましい働き方について検証していくことが必要である。

(筆者=同志社大学大学院総合政策科学研究科博士課程(後期課程)) 

【注】
5  「独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構」を通じた企業支援。

7  東京商工リサーチが保有する企業データベースより抽出した30,000社の人事担当者に対し,郵送にて行った調査。有効回答7,106件をもとに分析を行っている。

8  都市部近郊地域である和光市に在住する65歳以上高齢者4,169人を対象とした調査。同一の対象者に2008年,2010年,2012年の3回調査を実施し,3回とも有効回答した1,768人を分析対象とした。

10  人口動態や保険,食生活,医療等の各分野から,就業率,出生率,病院数,保健師数等の健康寿命に影響を与える可能性があると想定される81項目を選定し分析している。

11  1999年4月上旬,60歳以上の都市部の在宅高齢者162人(男性102人,女性60人),平均年齢68.56歳に対し,郵送方式により調査を行った。

14  トルンスタム自身が東洋の哲学(禅)を参考にしたと説明している。

【参考文献】
 
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