日本重症心身障害学会誌
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特別講演
重症心身障害医療の達成してきたこと
有馬 正高
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2010 年 35 巻 2 号 p. 207

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抄録
重症心身障害児(以下、重症児)という概念は、「重度の知的障害および重度の肢体不自由が重複している児童を入所させ、保護するとともに、治療および日常生活の指導をする目的をもつ専門の病院」の設立とともに始まった。1960年代に始まったこの制度は、1970年代になると、全国の国立療養所にも重症児病棟が併設され、重症児医療は国の政策医療の一つと認められることになった。演者は、小児科医の研修を始めた当初から神経疾患の臨床にかかわる機会は多かったが、重症児という制度で長期入院児童に対応したのは、1967年、都立府中療育センターの新設に当たり、多数の重症児の受け入れに従事したときが最初であった。以来、勤務地を転々としたが、どこでも重症児とは接点があり、さらに1994年以後は、重症児専門施設の専従の職員として今日に至っている。 今回、会長から指定された課題は、日本で誕生し、50年にわたり継承され発展してきた重症児医療の総括とも言うべき内容と理解する。ただし、振り返ってみると、2000年、第26回の本学会において、類似の表題で講演した記録(資料1)もあるので、今回は、その部分は簡略化し、主に、重症児医療の創生期とも言うべき、1976年以前の、本学会設立以前の先人の実績に触れ、以後40年が過ぎた21世紀の10年間の発展と比較することにしたい。 50年前、重症児施設の開設のころは、どこも引き受けない重い障害のある子に人並みの医療と幸せな生活を保障し、家庭の崩壊も救うという人道的な使命感が出発点であった。施設の名称に療育園、療育病院等が過半数を占めるようになった理由であろう。 しかし、重い知的障害と運動機能障害の重複障害という定義から考えて、脳神経系に重い障害を受けた子供たちなので、その子供たちを扱う重症児施設は、広範な脳障害に対し専門の医療と難しい育児を行う専門病院の責任を担うことになった。高い死亡率と文献にもない数々の合併症に戸惑いながら、病名診断、症候分類、病理解剖的解析、死因分類、対症的治療の工夫、などに加え、施設共同調査の開始、地域の疫学的調査等が発表されるようになった。このような時代を基礎として、施設内医療は発展し、21世紀は社会に開かれた重症児医療への責任と期待が大きくなりつつある。 資料:1.特別講演:20世紀の重症心身障害医療の足跡―21世紀に向けて。     日重障誌26:9-32.2001.   2.昭和62年度全国重症心身障害児施設長会議講演録:重症心身障害児の医療について       重症児とともに:56号、昭和62年12月15日発行 経歴: 昭和29年東京大学小児科入局、同36年講師、同39年東邦大学小児科助教授、同42年-45年都立府中療育センター医長兼任、同45年鳥取大学脳神経小児科教授、同53年国立神経センター研究部長、同61年国立精神・神経センター武蔵病院副院長、平成2年同国府台病院院長、平成4年同武蔵病院院長を経て、平成6年都立東大和療育センター院長、同16年都立東部療育センター開設準備室室長、同17年院長
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© 2010 日本重症心身障害学会
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