抄録
人間は一人では生きていけない生物であり仲間と共に生きる社会的存在である。子どもが「共に生きるあたたかい心」を母親から学ぶのは、自分以外の人が絶対的な愛を与えてくれることを認識し、私たちは一人ひとりが異なった存在なのに根源的にはつながっていることを感じるからである。本講演では、その背景にある「連続と不連続の思想」が大きな役割を果たしていることを解説する。
1.連続した宇宙:私たちの世界では、時間も空間も連続で、物質さえも素粒子のレベルでは空間と連続となる。しかし私たちは生きて行く知恵として人為的に不連続にして扱っている。人間と原始的な生き物のゾウリムシのDNAの基本的な構造は同じであり、すべての生物は系統発生という連続したつながりがある。それを知りながらも人間は特別であると、他の動物と不連続な存在であることを認めなければ生きてゆけない。さらに生命体と物質の間においてもその連続性が示されているが、私たちは両者を不連続とし受け取っている。
2.私と貴方の連続性:人間は、自分は自分であると他人との不連続を認めながら、「我と汝」の立場を代えれば、我は汝に汝は我になり、貴方の苦しみは私の苦しみ、と連続性を感じ「あたたかい心」の源泉となり共に生きる社会を造っている。健康な成人も、かつては弱い赤ちゃんであり、いつかは必ず弱い老人となり、障害者となるかもしれない。病気の新生児は助かっても障害を残すからと切り捨てる者は自分が新生児であったことを、また老人を「うざい」と怒鳴る若者は自分が必ず老人になるという連続性を認識しないからである。同様に障害者を自分とは違う他人のように見てしまう者は、私たちが障害者になるかは紙一重であるだけでなく、多少なりとも障害のない人などいないことに気が付かないからである。このように弱い新生児は自分の過去であり、弱い老人は自分の未来であり、弱い障害者は自分の分身である、と感じることが、共に生きる社会を支える「連続と不連続の思想」である。
3.時間と空間を越えた縦と横の連続性:人がこの世に生を受けたのは父母が居たからであり、さらに祖父母が居たからであると、どんどん考えていけばすべての命は40億年に渡る生命の歴史さらに人類の歴史の結果であることに思い至る。また私が今ここに居るのは、学会から声を懸けてもらい電車に乗って、と奇跡的なほど多くの人とのつながりの結果であり、突然宇宙から飛んできたわけではない。私たちの世界はアミの目のような人間関係で成り立っており、すべての人の存在に関与しており誰もが重要なのである。
4.社会を型造る接着剤の役目:現在世界各地で起っている戦争やテロも、お互いに相手と自分のつながりを感ずれば、あれほどの残酷な行為はできないはずである。われわれの社会を形成している接着剤のような役目をしている最も大切なものが、「連続と不連続の思想」に基づく「共に生きるあたたかい心」である。あたたかい心を失ったときに人と人との心のつながりが失われ、その社会は一瞬にして崩壊し、人類の歴史の中で数多くのフォロコーストと呼ばれる痛ましい大量虐殺がくり返されてきた。人間は人為的に作られた不連続の線で区切られた国家や部族の集団として生きているが、それを超えた人間としての連続性を思い、相手の痛みや苦しみを自分の痛みや苦しみとして捉えることができるならば、その不連続線を認めながらも、あたたかい心に根付いた人間性を保った共存が可能なはずである。われわれの身近な家族という小さな共存の単位でも、愛しあって生活してきた家族が、憎しみ合い、いがみ合い、そして崩壊することが稀ならず起こっている。あらためて、子どものときから母親等の養育者からあたたかい心を授受することの大切さを思う。
略歴
1968年慶応義塾大学医学部卒業、1969−74年:米国(シカゴ大学・ジョンズ・ホプキンス大学)で研修し米国小児科および新生児科専門医を取得、1974−84年:北里大学小児科講師、1984−2008年:東京女子医科大学母子総合医療センター教授・センター長、1984−2008年:早稲田大学人間総合学部研究員(生命倫理)、2008年より東京女子医科大学名誉教授・慈誠会病院名誉院長・北里大学客員教授