抄録
コロナウイルスは、どこからやってきたのだろうか。元々の自然宿主は、中国奥地のコウモリの1種であることを支持する研究者は多い。だが、なぜこれだけのパンデミックを起こしたのだろうか。センザンコウなど他の野生動物が仲介したのか、一部の国や研究者が主張するように中国の研究所からウイルスが流出したのか。議論はつづいている。
だが、この2年間、世界中のウイルス研究者が追求した結果、ウイルスの起源はかなり明かになってきた。実は、私たちはほぼ全員がコロナウイルスに感染していた。通常の風邪を引き起こすウイルスには、インフルエンザウイルスなど約100種類もある。
コロナウイルスは代表的な風邪のウイルスである。むろん、「新型コロナウイルス」とは、近縁だが別の種類である。風邪感染者の10~15%(流行期35%)は、この4種類のコロナウイルスが原因だ。これを「コロナ風邪」と呼ぶことにする。これは毎年発生するありふれた風邪で、とくに冬期に流行することが多い。私たちの9割以上の成人が、このいずれかのウイルスに感染した証拠であるIgG抗体を保有している。
コロナ風邪は以下の4種だ。
名称 発見年 起源 自然宿主 中間宿主
① HCoV-229E 1966年 1800年代 コウモリ アルパカ
② HCoV-OC43 1967年 800年代 ネズミ類 ウシ
③ HCoV-NL63 2004年 1100年代 コウモリ ?
④ HCoV-HKU1 2005年 不明 ネズミ ?
私の専門は環境史であり、とくに近年は感染症史に関心を抱いて研究してきた。この4種のコロナ風邪ウイルスが、新型コロナウイルスにどう関係しているのかが目下の私の研究テーマである。これが分かれば、新型コロナウイルスの起源もわかる。
約100年前に世界的な大流行を起こして推定5000万~1億人を殺したスペイン風邪は、その後どうなったのか。スペイン風邪の流行後に「アジア風邪」「ソ連風邪」など世界で4回のインフルエンザの大流行があった。これらの遺伝子の配列からみて、いずれもスペイン風邪の末裔だった。毒性を弱めて「季節性インフルエンザ」へと変身、私たちと共存する道を選んだのだ。
新型コロナウイルスが「妙に人慣れしている」というのが、長年ウイルスを扱ってきた研究者がもらす感想だ。邪悪な過去があるのでは、と当然疑われる。ベルギーのルーヴェン大学の研究グループは、②のウイルスに目をつけた。
19年末に世界的パンデミックを起こした「ロシア風邪」(実はインフルエンザ)の正体は、コロナウイルスであると以前から主張してきた。病状がインフルエンザとは大きく違って新型コロナウイルスにそっくりだった。最近になって②こそが、新型コロナウイルスの祖先である疑いがますます濃くなってきた。①③④のコロナ風邪も「前科」が追及されている。
私も、当時のフランス政府の報告書や欧州各国の新聞記事を探し出して調べているが、味覚・臭覚の喪失など、インフルエンザにないコロナ特有の症状が明らかだ。ウシに悪質な肺炎を起こすウイルスとして知られていた②のウイルスが、スピルオーバー(乗り移り)を起こしてヒトに感染したと考えられる。新型コロナウイルスが、コウモリからヒトに乗り移ったのと同じことが起きた。
1889~95年に4波にわたって世界をめぐった。当時の約15億人の世界人口のうち、約100万人が死亡したと推定される。各国で大パニックになった。震源地はウズベキスタンだった。日本には東南アジアを経由して侵入し、40万人ほどが犠牲になったとみられる。庶民の間では「お染風」と呼ばれた。当時はやっていた歌舞伎の人気演目「お染久松」の主人公から命名されたものだ。
その後、「ロシア風邪」のウイルスは、これまでパンデミックを起こした多くのウイルスのように、おとなしくなってヒトと共存する道を選んで今日まで「風邪」として生き残った。新型コロナウイルスも遠くない将来に、5番目の「コロナ風邪」になる可能性は高い。
略歴 石 弘之(いし・ひろゆき)
1940年東京都に生まれる。東京大学卒業後、朝日新聞社に入社。ニューヨークなどの特派員、編集委員を経て退社。国連環境計画(ナイロビ・バンコク)上級顧問。東欧復興委員会環境センター理事(ブタペスト)。帰国後、東京大学大学院・北海道大学大学院教授、北京大学招聘教授、ザンビア特命全権大使。この間、国際協力事業団参与などを兼務。英ロイヤルソサエティ(RSA)フェロー。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞などを受賞。主な著書に『地球環境報告』(岩波新書)、『名作のなかの環境史』(岩波書店)、『私の地球遍歴』(講談社)、『感染症の歴史』『砂戦争』『環境再興』(以上角川書店)など。