抄録
近年、「言説の資源」である記憶に対する関心が高まりつつある。特に、国民国家という統一体の記憶をどのようにかたちづくるのかという議論が活発化している。そこでは、一方では真実の記憶を可視化させようとする試みがあり、他方では歴史認識に恣意的な「修正」を加えたうえで、公共的記憶として一般化させようという試みが生まれている。それゆえ、負の記憶を抱える国々では、記憶を相対化させながら新たな言説を作り出そうという思惑にどう抗うのかということが、喫緊の課題となっている。
このような背景から、本論の目的は、他の国々に先駆けて公共的記憶をめぐる議論を可視化させたドイツの「歴史家論争」を手がかりに、同国の公共的記憶の礎がどのようにかたちづくられたのかということを、多文化関係学的な視点から描き出すことにある。そのうえで、負の記憶が公共的記憶へと変容する過渡期に見られる「修正」と「抗い」について考察し、そこでは「公共的なコミュニケーション」という視点が、どのような媒介的役割を担い得るのかを明らかにする。