抄録
東京医科大学病院は,2002年から2004年に発生した医療事故に遭われた患者さんのご家族との対話を通じ,メモリアルデーを作り開催してきた.事故の後に,病院とご家族とが対話をすることができたのは,両者が第三者による医療事故調査委員会の報告書を受け入れ,共有したからであった.この共有なしに,その後の対話はなかったといえる.対話を通じ,ご家族から出された提案の一つにメモリアルデーがあり,毎年,事故を思い出し,講演を聞き,医療安全を誓う機会としている.
とくに事故に遭われた患者さんのご家族から,直接講演いただいたことは,病院職員にとって,事故がご家族へどれほどの影響を与えるものなのかを知る,印象的なものであった.時間の経過とともに,メモリアルデーに対する病院側の受け取り方は,反省から医療安全へ関心へと変化してきている.また,一時期は風化の兆しともとれる雰囲気もあった.病院と家族は,こうした変化や雰囲気をも共有することで,メモリアルデーを,事故を風化させず,医療安全を誓う日として,現在まで行ってきた.
メモリアルデーや医療安全誓いの碑というものは,当院が反省を示すために作ったのでもなく,家族から強く要求されて作ったというものではない.事故を共有し,対話を繰り返した先に,たまたまメモリアルデー,あるいは医療安全誓いの碑といったものが出来たのである.まず対話があり,その結果,有形無形の文化が出来上がると考える.