2008 年 59 巻 1 号 p. 151-166
国家という統治組織の自律的な役割を強調するシーダ・スコチポルの歴史社会学的な革命研究では,外国との軍事競争の圧力に迫られた旧体制国家の近代化政策が他の集団や階級との利害対立を引き起こすという側面に焦点が当てられていた.本稿はこうした視点を継承しつつ,主観的には国家の統治権力の強化を目指す政策に内在するメカニズムそのものの中に,革命を引き起こす対抗的な勢力や社会的な条件を創出していく側面が存在していることを強調し,そうした国家形成と社会との相互浸透的なプロセスを表現するために,「集権化」ではなく「帰属化」という概念を用いる.
中国における辛亥革命(1911)は,まさに国家帰属化に内在するメカニズムが引き起こしたものであった.清朝国家は1900年代に諮議局の設置などによって,地方行政の自主的な運営に委ねた帰属化政策を推し進めていった.しかし,それは地方の政治的アクターが清朝への異議申し立てを直接的に行使するための能力と回路を提供しただけではなく,地方に遍在する「漢人」という自己理解を抱く革命知識人が,中央の「異族」(満州人)政権に対抗するための拠点となった.以上のような,地方を基盤とする国家帰属化の政策と革命運動とが,軍事組織という体制変動の実力行使にとって決定的に重要な場において絡み合うことによって,王朝国家体制の崩壊が引き起こされていく.