歴史研究と社会学の合流点にある研究は,1つの事例を詳細に分析しながら,いかにして一般化可能な理論を構築することができるのだろうか.本稿は,理論志向のエスノグラフィーの方法論に着想を得て,歴史社会学者が外的妥当性を備えた理論を構築するための1つの枠組みを提案するものである.
近年のエスノグラファーは,その解釈的・記述的な性格を保ちつつ,因果関係の説明や限定的に一般化できる理論の構築を試みてきた.こうした理論志向のエスノグラファーによる「構成的主張」(Pacewicz 2020)は,ある現象や特性が「どのように(how)」存在するようになったかを詳細に記述することで,それらが「なぜ(why)」生じたかについての理論的説明に貢献することをめざすものである.
本稿は,歴史分析のために構成的主張を改良し,歴史社会学者が単一事例研究から外的妥当性のある理論を作り出すための1つの方法を提案する.歴史社会学者は,研究対象とする歴史的アクターの可能性の世界を再構築し,既存の研究が前提としてきた説明変数それ自体が歴史的アクターのさまざまな時点における可能な選択肢としてどのように出現し,どのように放棄されたかを詳細に追跡することで,ある結果についての理論的説明を精緻化することができる.
教育達成と到達階層の関連性を検討する研究は,主に学歴と大学ランクが高いほど到達階層が高いことを明らかにしてきた.しかし,この関連性を検討するには,高校ランクや学科などの後期中等教育段階内部の差異の効果,高等教育機関への進学の効果,大学ランクや専門分野などの高等教育機関内部の差異の効果の3つを分けて分析し,解釈する必要性があるため,後期中等教育段階にこそ焦点を当てる必要がある.
そこで,本稿は,高校ランクや学科が個人の地位達成にどのように影響しているのかを,高等教育機関への進学の効果,高等教育機関内部の差異の効果があることを考慮に入れたうえで検討した.とくに,高校ランクの上下が到達階層の上下にそのまま対応するのかに着目して分析を行った.
その結果,高等教育機関への進学および高等教育機関内部の差異の効果を考慮しても,高校ランクおよび高校学科の到達階層に対する効果は依然として強く,さらにその関係性は単純な高校ランクが上がれば到達階層が上がるという関係として捉えることができず,上位の階層以外の階層に対しては高校学科の影響が強いことが明らかとなった.これは,より良いランクの学校に進学し,高い学歴を得た者が上位の階層に到達する業績主義的地位達成と各学科が想定する職業に各人が到達できるようにめざす職業志向型地位達成の2つが存在することを示唆する.
本稿は,「老い」の社会的構成という理解に基づいて超高齢社会に対する社会学の新たなアプローチの可能性を検討するものである.従来の研究では,「老い」は個人における生理学的な不可避のプロセスとして理解され,社会状況における所与として捉えられてきた.それゆえ,高齢化に対する対応は個人への医学的,理学的介入が中心となり,また同じ理由で社会学的アプローチにおいては,「老い」そのものではなく「老い」とともに高齢者がおかれることになる派生的な社会状況すなわち「老境」が主題となってきた.
本稿は,先行研究として「老境」の社会的構成を論じるいくつかの研究を概括したのちに,その限界を乗り越えるべく,「老い」それ自体を社会的に構成されたものと理解する理論的説明を行う.具体的には,個人の機能あるいは能力と環境との関わりに着目する M. Powell Lawton の「老いの生態学的モデル」を下敷きにして考察を展開する.しかし,そのモデルにもなお潜む「老い」を実体化する議論の限界を超えるために,アクターネットワーク理論の観点を導入し,「老い」の社会的構成という理解の理論的基礎づけを行う.
最後に,この理論的基礎づけの成果が社会構成主義の理論発展上に占める固有の位置と意義を確認するために,アクターネットワーク理論の従来の理解との比較から考察を展開する.
本稿の目的は,キャリア選択の理由づけや要因の分類,さらには選択の責任帰属がいかになされているかを,そのキャリア選択を経験する当人の理解に基づいて明らかにする方法を提示することである.先行研究では,分析者によって,当事者たちの語りから進路意識のタイプやキャリア形成の要因が特定され,またキャリア選択の責任帰属が争われてきた.これに対し本稿では,エスノメソドロジーの方針に依拠して高校生のインタビュー調査での語りの分析を通して,生徒や調査者がインタビューのやり取りにおいて行っていることを記述し,かれら自身のキャリア選択の経験がいかに編成されているかを明らかにした.
まず生徒Aの語りでは,一般的な知識に基づく商業高校生の進路選択パターンから,Aの回答が進路選択理由として定式化され,A固有の進路選択の過程が編成されていた.さらに生徒Uは,調査者からの規範的な期待を伴う質問に対し,そうした期待に反する自身の行動に進路未定に至った要因があることを語り,自らに責任帰属を行っていた.最後に生徒Kは,1年ごとの3回の調査を通して,自身の意思や外的な状況などの記述を変化させることで,進路選択の理由も変化させ,また責任の所在も変更させていた.以上の分析から,当事者自身の理解のもとでのキャリア選択の経験を跡付けていくために,かれらがインタビューにおいて行っていることを記述するという方針とその重要性を提示した.
日本では,戦後,性役割意識の平等化が急速に進んだ後,2000年代にはその勢いは弱まり,性役割分業肯定への「ゆりもどし」が確認される.こうした性役割意識の長期的変動について理解を深めるため,本稿は,「社会的地位の構成変化による性役割意識の平等化」に着目し,1985年から2015年までのSSM調査データを用いて,時代・世代・構成効果の線形要因分解と媒介分析を行った.分析の結果,第1に,世代→社会的地位→性役割意識の間接効果,すなわち社会的地位の構成変化による平等化が確認された.女性と有配偶女性では高学歴化,専門・管理職の増加が,有配偶男性では母親の正規雇用増加や配偶者の高学歴化と専門・管理職の増加が,平等化に大きく寄与していた.この結果が示すのは,高学歴化や女性労働力率の上昇が性役割意識の平等化を帰結するというよりも,学歴・仕事・家族に関するさまざまな社会的地位の構成変化が,ジェンダー差をともないつつ,時には本人以外の重要な他者の影響も反映しながら意識を変化させるという複線的な経路を通じた価値変容の姿である.第2に,戦後生まれ以降,新たな世代で性役割意識に変化はみられないが(総合効果),構成変化による平等化(間接効果)を統制すると,女性では新たな世代で平等化とは逆方向への変化(直接効果)があらわれることを示し,性役割分業肯定への「ゆりもどし」の背後にあるメカニズムの一端が明らかになった.
本稿は,日本人児童と移民的背景のある児童との間の学力格差に関して,移民世代および児童の親の出生地(日本か否か)の組み合わせに着目し分析する.
移民世代は,同化理論における重要な概念であり,移民世代を重ねることで,主流社会への統合が進むとされる.日本においても,学力に関して,移民世代を経ることによって学力格差が縮小しているかについて分析する.また,TIMSS や PISA を用いた研究の分析上の定義では,移民的背景のある児童を「両親のうち最低限いずれか一方が外国出生の児童」とすることもあるが,両親ともに外国出生の場合といずれかのみが外国出生の場合(父のみ外国出生と母のみ外国出生),その学力に差異が生じていないのかは,分析が限定的である.本稿は,親の出生地の組み合わせにも着目し,その影響を分析する.
分析の結果,第1に,小学生において,移民第一世代の児童が最も学力的に低位であり,移民第二世代と日本人児童との間の格差はほとんどなかった.第2に,両親の出生地の組み合わせについて,両親ともに外国出生の場合には,日本人との間に統計的に有意な差が確認された.第3に,こうした学力格差は,移民第一世代か否かを考慮することで多くが説明できることから,移民世代間の学力格差の一部が,両親ともに外国出生の児童の学力格差の一部を媒介していることが明らかとなった.
日本で働く高度外国人材に関する研究は,政策的・理念的な議論が先行し,彼ら/彼女らがどのような存在であるのかという点について,とりわけ企業の視点からはほとんど実証的な考察がなされていない.そこで本稿は,企業別シティズンシップの概念を参照しながら,外国人総合職の雇用を積極的に行う日本の大企業9社へのインタビュー調査を通して,日本企業が総合職を与えるのに相応しい外国人をどのように考えているかを質的に検討した.その結果,外国人総合職には現在の組織システムに適応できる人材であると同時に,多様性を生かして組織内部の変革を促しうる人材であることが求められていた.これは日本人総合職同様の能力に上乗せして,多様性を生かした革新という外国人としての異質性を要求する,企業の複層的な期待を示している.
以上の分析結果は,外国人が総合職社員として企業のシティズンシップを獲得することがいかに困難であるのかを示唆するとともに,日本企業において不平等と排除を生み出す企業別シティズンシップの論理を鮮明に映し出している.本稿の分析は,高度外国人材を企業社会と市民社会において二重にシティズンシップが付与される対象として認識可能であり,その視点が独立に蓄積される移民研究と組織研究を架橋しうることを示唆する.今後は日本企業の特性や労働市場における布置,社会規範などの要素を考察対象として,調査を発展・継続させることが望ましい.
本稿は人口減少が進展する農山漁村地域に回帰する若年層Uターン者の語りを分析の主軸に据え,移動を実現させるメゾ・レベルの要因に着目する観点から,その現代的特徴を考察した.その結果,縮小しつつ維持されてきた社会経済的構造・生活構造の <すき間> と,課題対応を求める地方社会の現状が,若者の多様な価値志向と結びつき,Uターンを生み出していることが明らかになった.
事例対象地域である広島県大崎上島町は近年,多様な転入層を受け入れつつも,進学や就職を機に若年層の多くが他出する地域であり,人口減少に伴う各種課題を抱えている.一方で若年層Uターン者たちはそうした地元をむしろポジティブに評価している.同年齢集団の大半が他出している状況だが,家族や地縁共同体との間に築かれた土地に根差した生活の記憶がUターンの理由として語られる.また家族・親族が地元社会のインフォーマルな労働市場と結びついて仕事を紹介し,子育て支援をするなど社会的資源として機能する結果,不安定なライフコースを生きる現代の若い他出子たちにおいて,地元は相対的に良質な生活環境となっていた.他方で持続可能性の観点で先行き不透明な現状は,一見私的な家業相続に地域課題に対応する新たな事業展開の必要性をもたらしており,山積する地域課題の存在は,問題を自覚し,その解決をやりがいに結びつける若者たちを引き込む要因となっていた.
差別や排除に関する従来の議論では,周縁化される対象がマジョリティから差異化されていると自明視されてきた.これに対して,排除の対象としてあからさまに名指されるのとは異なる,差異化をともなわない周縁化が存在する.この周縁化を,本稿では「抹消」と概念化する.そのうえで,現象学的社会学の差別研究とシュッツのテクストを読み解くことによって,抹消現象を理論的に考察する.
本稿と似た問題関心の理論としては,バトラーの「予めの排除」論が挙げられる.しかし,これはあくまで嫌悪の対象として社会的に差異化されたセクシュアリティに関する理論であるため,本稿でいう抹消を捉えきれていない.これに対して現象学的社会学は,意味や類型の生成だけでなく非-生成を捉えることができ,それゆえ差異化されないという現象を理論化できる.
まず「類型化されていないこと」に関するシュッツの記述をもとに,類型化されていないものが類型化されないままとなる現象を「非類型化」と概念化したうえで,抹消を「非類型化をともなう周縁化」と定義する.次に,レリヴァンス体系の相応性の理念化と,主題的レリヴァンスの消滅に関するシュッツの記述から,抹消を維持するレリヴァンスの問題について論じる.そして抹消において「主観的意味連関の否定」が生じることと,そのさいの周縁化が間接的なものであるということを指摘する.最後に,抹消が問い直される局面について検討する.