本稿は幼稚園年少級における「列になる練習」が行われる場面の分析を通して,保育者の合図によって園児集団がある隊形をつくり上げるような「一言の指示」が成立していく過程の相互行為のワークを記述するものである.
幼稚園では園児たちが列になることが日常的に行われる.その際に特徴的なのは,保育者の「一言の指示」によって,子どもたちが一斉に特定の列になることがめざされる点である.この「一言の指示」の成立はいかになされているのか.本稿は H. Garfinkel による「教示」と「教示に導かれた活動」の議論,および相互行為履歴を経た教示に関する議論に依拠し,幼稚園入園まもない年少級の「列になる」練習場面の分析を行った.
分析から,保育者が,指示に対する園児たちの反応を資源にして,オノマトペと具体的な身体動作を連結させる指示の再調整を行っていること,また,指示に従った状態としての列が作り上げられた際に,その状態を評価したりその列の呼称を確認したりすることで,それぞれの指示の従い方に学習事項としての地位が与えられる過程が明らかになった.また,「一言の指示」の成立過程において,それ以前の教示活動の構成に用いられた資源が使用されるという相互行為履歴を用いた教示の構成が行われていることが明らかとなった.
本稿はあるまちづくりの取り組みをもとに,炭鉱の遺構と記憶が開発主義以降の産炭地でいかに見出されてきたかについて検討する.そして,地域に残された炭鉱の遺構を保存し活用するという営みが,産炭地の地域再生にとっていかなる意味をもちうるか明らかにすることを目的としている.
かつてであれば見向きもされなかった古い建築物や遺構,街並みや景観が今日,地域や社会にとって重要な歴史的・文化的価値をもつ「ヘリテージ(遺産)」として理解されるようになった.戦前・戦後の日本における石炭産業の遺構も,こうした状況の下,産業遺産として注目を集めており,各地で地域に残る炭鉱の遺構の保存と活用が模索されている.本稿が取り上げる「大町煉瓦館」の活動もその一つである.
佐賀県杵島郡大町町はかつて九州屈指の産炭地だったが,炭鉱の閉山により深刻な打撃を被った.その結果,炭鉱の歴史は地域で顧みられることはなかった.だが近年,町に残された炭鉱の遺構の保存と活用を模索する取り組みが「大町煉瓦館」を中心に始まった.その活動からはまず,地域に残された産業の遺構がそこで暮らす人々のさまざまな関わりや対話を通して価値づけられていく文化的・社会的プロセスが明らかになる.そして,炭鉱の遺構を保存し活用するという営みは産炭地にとって,地域の有様を見つめ直し,住民主体のまちづくりを展開する上での端緒を開くものでもあった.
抗議行動の空間的力学を問う議論において,運動参加者以外の傍観者や歩道・繁華街空間との関係性は重要な論点だが,具体的な分析は少ない.本稿は1960年安保闘争の無党派層のデモ参加を事例に分析する.
先行研究は無党派層のデモ参加について,市民的政治意識に基づく動機や,戦後まもない当時のメディア・社会構造を重視してきたが,それらの要因だけでは人々が当初デモの現場で参加を躊躇した事実が説明できない.互いに見知らぬ沿道の傍観者たちは,どのようにデモに参加し,デモを主体的に遂行したのか.本稿はデモを都市的な集合現象として捉え,空間における身体的振る舞いの分析を通じて解明する.
傍観者の参加への躊躇は,参加者の表情や態度から感知されるデモの気楽さによって克服された.デモは,参加者の服装や沿道の見物人,露天商,そして繁華街の街並みを含んで成立する,祝祭的イベントとして経験された.沿道の傍観者に囲まれながら行進する実践や,繁華街の路上を見知らぬ人々とともに歩く実践の中で,デモ参加の主体性が遂行的に発揮された.言語による意思疎通というより,都市空間に集合する互いの身体やモノの感受・触知によって,人々は積極的にデモを遂行した.
積極的運動家やデモ空間のイデオロギー的側面に注目してきた抗議行動の空間研究に対し,本稿は傍観者や繁華街に注目することで,都市空間での身体の集合現象として抗議行動を説明する枠組みを提出した.
近年男性の社会的孤立が社会問題となっている.この現状に対して,これまでの研究は性役割論に則り,男性が男性役割に拘束されているがゆえに孤立しやすいという直線的な説明しか与えてこなかった.そこで本稿では,レイウィン・コンネルの男性性理論を応用し,他者との相互作用や男性個人の主体的選択などを含め,社会的孤立,つまり集団からの排除もしくは分離の過程を詳細に分析することを目的とした.学校内で孤立を経験した男性4名にライフヒストリーインタビューを実施したところ,2 つの社会的孤立のプロセスが明らかになった.1つ目は障害を抱えるなどして男性の会話文化に参入できなかった場合,無視や軽視といった形で追い詰められ,排除されていくプロセスである.2つ目は,今いる集団より優位な男性集団への参入をめざすも,それが叶わなかった男性たちが,その葛藤に対処するために優位にいる男性と自己を差異化することで心理的優越を図り,結果的に他の男性との関係から遠ざかっていく〈自己孤立化〉のプロセスである.以上の結果は,これまで明らかになっていなかった男性の社会的孤立のメカニズムを描き出した.また,排除や分離といった相互作用を通して男性間に階層性が作り出され,維持されていく動態も明らかになった.
本稿では2つのことに取り組んだ.まず,元野宿者が野宿生活の理由を語る場面において,野宿生活の正当化が達成されるやり方を分析した.そして,その知見に基づいて,「見守りの支援」の実践について先行研究とは異なる意義を考察した.
現代日本社会の常識から出発すると野宿生活は逸脱的なふるまいにみえる.ゆえに,野宿生活を営む者にはその理由が問われる.野宿者研究においては,研究者が野宿者に代わって理由の説明に取り組み,野宿生活の正当化が行われてきた.ただし,福祉制度が充実し「洗練」するなかで,野宿生活の正当化に足る理由を組み立てることはますます困難になっている.本稿では,こうしたものの前提にある,野宿者に野宿生活の理由を問うことを適切たらしめる構造を,分析から明らかにした.
また,そもそも「見守りの支援」は路上から野宿者の居場所がなくなることを危惧してその必要性が指摘されており,その支援の価値を再評価する動きもある.ただし,先行研究の知見では野宿者が直面する野宿生活の正当化という課題と支援との関わりが不明瞭であった.対して本稿は,野宿生活を正当化する場面の記述を通して,正当化の活動が野宿者に課している負担を明らかにした.そしてその知見に基づいて,先行研究で明らかにされてきた「見守りの支援」の実践が,野宿生活の理由を問うことを適切たらしめる,野宿者に負担を課す関係性を,無効化する実践でもありうると考察した.
これまでの研究では,家事分担の平等化に遅れが生じる理由の1つとして家事スキルのジェンダー格差が重要であることが指摘されてきた.本稿の目的は,カップルにおける家事スキルの格差が各パートナーの家事行動に影響を与えるのか,どのようなメカニズムによって影響を与えるのかを検討することにある.具体的には,専門化理論や地位特性理論を用いて異なるメカニズムに関する仮説を導出し,日本在住の20~50代の男女を対象にした要因配置実験を用いて検証する.家事意欲を従属変数とした分析結果は,専門化メカニズムから予想されたように家事スキルの格差が家事意欲に影響を与える一方で,その効果の大きさは有償労働での比較優位の大きさによって左右されないことを示していた.家事スキルの格差の効果について,ジェンダーステレオタイプによる評価メカニズムから予想されるような,ヴィネットパーソンの性別や性別と家事スキルに関する地位信念による違いはみられなかった.以上の結果は,家事スキルの格差が,不平等な家事分担の合理化の方便としてだけ機能するわけではなく,家事行動そのものに影響を与える可能性が高いことを示唆する.ジェンダーに基づく社会化によって男女で異なる家事スキルを身につけているという仮定が成り立つ場合には,家事スキルが家事労働での生産性に基づく専門化メカニズムを通じて不平等な家事分担をもたらす可能性を示している.