社会学評論
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投稿論文
  • 仮想世界において創発的サードプレイスをいかに生み育てるか
    高田 佳輔
    2019 年 69 巻 4 号 p. 434-452
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー
    先行研究では,大規模多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲームの中に存在する仮想世界は,自宅や職場から隔離された心地の良い第3 の居場所である「サードプレイス」としての機能を有するとされる.しかし,仮想世 界におけるプレイヤーの本来の目的は「ゲームコンテンツ」を楽しむことにあり,どのような経緯で他者との世間話といった「交流」を目的に仮想世界に訪問するようになるかが明らかでない.本稿は,同一集団に属するプレイヤーら の語りや「ゲームコンテンツ」と「交流」の各プレイ時間の推移から,仮想世界はゲームコンテンツへの没入期および欠乏期を繰り返すことで,次第にゲームコンテンツを楽しむ場から交流を楽しむ場へと主役割が遷移する『創発的サ ードプレイス』であることを示した.また,創発的サードプレイスの成立には,サードプレイスの基盤を成す「交流」と,各成員の能動的な参加が肝要な「集団活動」との互恵関係が重要となることを示した.ゲームコンテンツ活動は, 集団を構成する成員が垂直的関係の中で共通目標の達成を目指すことで集団帰属意識を向上させ,交流活動の基盤となるコミュニティの成員間のつながりを維持・強化させていた.さらに,ゲームコンテンツ活動中の成員間の垂直的関係性と,交流活動における水平的関係性とが互いに侵食しないように作用させる関係規範の存在が,創発的サードプレイスの成立・維持に大きな影響を及ぼしていた.
  • 文化的トラウマ論の検討から
    兼子 諭
    2019 年 69 巻 4 号 p. 453-467
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー
    社会や社会集団の成員が,自然災害や戦争などの歴史的出来事を,直接経験していないにもかかわらず自らの悲劇として感じ語ることがある.だがその一方で,出来事など起きなかったかのように沈黙を貫く場合もある.これらの現象を記述し説明するのに社会学者も用いるのが「トラウマ」概念である.しかし従来の議論は,トラウマを隠喩として用いるだけで,分析のための独自の視点や方法を展開し損なっている.そこで本稿では,J. Alexander らによる「文化的トラウマ(cultural trauma)」論を検討して,国民国家のような「大規模」社会での集合的な「沈黙」や「覚醒」のダイナミズムを探究する際にトラウマ概念を応用する社会学的意義を示す.文化的トラウマ論が明らかにするのは,悲劇的な出来事に対する集合的な沈黙や覚醒は,出来事の客観的な性格から説明できるとは限らないということである.文化的トラウマ論に従えば,むしろそれは,その出来事がどのように解釈され物語られるかに依存する.悲劇的出来事に対する集合的な反応は,それが社会に深刻な苦悩をもたらす傷として語られるのか,それとも,最終的には進歩の機会として語られるのかに左右されるのである.文化的トラウマ論を土台にして本稿は,悲劇的出来事に対する集合的な覚醒や沈黙は文化的に枠づけられる「社会」現象として説明可能であり,個人の心理や精神には還元することはできないことを主張する.
  • 生成から世界への内属へ
    高艸 賢
    2019 年 69 巻 4 号 p. 468-484
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー
    アルフレート・シュッツの生世界論は,社会学の研究対象領域の1 つを提示しているだけでなく,社会科学の意味を反省するための手がかりを与えている.本稿の問いは,シュッツにおいて生世界概念は何を契機として導入され,その結果彼の論理はどのように変わったのか,という点にある.その際,シュッツの社会科学の基礎づけのプロジェクトに含まれる2 つの問題平面を区別し,社会科学者もまた生を営む人間(科学する生)だという点に注目する.
    1920 年代から30 年代初頭にかけての著作において,シュッツは生の哲学の着想に依拠しつつ,生成としての生を一方の極とし論理と概念を用いる科学を他方の極とする「両極対立」のモデルを採用していた.しかし体験の流れとの差分において科学を規定するという方法には,科学する生を積極的には特徴づけられないという困難があった.こうした状況でシュッツは生という概念の規定を見直し,生世界概念を導入したと解釈される.
    生世界概念の導入によって,日常を生きる人間も科学に従事する人間も,世界に内属する生として捉え直された.私を超越し一切の活動の普遍的基盤をなす世界の中で,生は間主観性・歴史性・パースペクティヴ性を伴う.この観点からシュッツは科学する生を,科学の間主観的構造,科学的状況と科学の媒体としてのシンボルの歴史的成立,レリヴァンス構造による科学的探究のパースペクティヴ性という3 点によって特徴づけた.
  • 戦時下日本の映画上映をめぐる規格化の諸相
    近藤 和都
    2019 年 69 巻 4 号 p. 485-501
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー
    スクリーンにおける映像の現れ方は,たとえば映画であれば「映写機・フィルム・スクリーン」といった器機の複合およびそれらを操作する主体の技法本稿では器機と技法を包括する語として〈技術〉を用いるの節合関係に応じて変容せざるをえない.この意味において,映像的なテクストは「移ろいやすい」性質を持つといえよう.したがって,映像受容のあり方は作品テクストの存立の基盤となる〈技術〉によって条件づけられる.以上を踏まえるならば,映像受容のあり方を捉えるためには,作品テクストを規定する〈技術〉をめぐる問いが不可欠となる.ここから本稿は,プロパガンダ映画の効果を最大化するために,作品テクストを理想的な〈技術〉において呈示することに国家的力点がおかれた映画法制定以降を対象時期として,統制側のアクターと興行側のアクターが交渉/協働しながら上映環境を再構成していく過程を描き出す.具体的には,スクリーンの「移ろいやすさ」を制御することでどの映画館においても同一の経験が媒介されることを目指して,上映作品・上映回数・映写技師・映写機器・従業員といった諸要素が「規格化」されていく様相に焦点を合わせる.考察を通じて,スクリーンにおける映像のあり方が〈技術〉の水準でいかに条件づけられるのかを示し,その上で,映像文化史を「移ろいやすさ」をめぐる制御の観点から展開することの含意について示す.
第17 回日本社会学会奨励賞【著書の部】受賞者「自著を語る」
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