2024 年 74 巻 4 号 p. 605-623
本論文は,排除の一形態としての差別に焦点を当て,植民地期朝鮮における朝鮮人と日本人との差異に関する知識の産出過程を分析の対象とする.差別が排除を伴うことは先行研究から指摘されており,差異が差別の根拠ではないことも指摘される一方で,差異と差別との関係は十分に記述されてきたとは言いがたい.そのため,本論文では差別と差異との関係を,日本の植民地支配期における朝鮮人と日本人との差異に関する知識を生み出した条件とその知識の用いられ方から論じることを試みた.朝鮮人を身体的・文化的に日本人と異なるものとして識別する知識は,植民地朝鮮における政策を実行するために必要とされた慣習の調査や,日本人の民族的起源を明らかにしようとする人類学的試みの中から生まれてきた.また日本へ移住した朝鮮人労働者は,民族差別のために劣悪な環境で労働せざるをえなかったが,大正期に発展した社会行政は朝鮮人コミュニティを行政が対策を打つべき問題とみなした.他方で,朝鮮人と日本人との差異が常に明らかでないことや,朝鮮人が日本人に類似しつつあることもしばしば感じられていたが,そのような場合には,植民地支配の正当化や標識の維持,あるいは危険とみなされた他のカテゴリーとの同一化によって,日本人と朝鮮人との差異が維持された.