デュルケムは既存社会諸科学との緊張関係の中で自己の社会学を形成している。「歴史学」に対しても例外なく彼は批判的である。デュルケムの歴史学認識の基礎にあるのは<事件> (événement) と<制度> (institution) の二分法である。両者を区別するのは、法則の存在を科学的思考の決定的要因とする彼の哲学的立場である。<事件>は一見したところいかなる明確な法則からも由来しないように思われ、<事件>の領域は科学に反抗的とされるのである。
この二分法を基礎に、彼はセニョーボスに典型的な<事件>に極端な重要性を与える伝統的歴史学を批判し、社会の骨組である<制度>を認識しないならば<事件>を理解することはできない、と主張する。この主張の具体的展開が、従来あまり評価されてこなかった彼の戦争分析である。そこでは、マンタリテすなわち集合心理の側面で捉えられた<制度>と<事件>の関係の考察が中心である。彼は社会学を<制度>の科学と定義しているし、彼が社会学における「説明」を因果関係の確立に求めるときにも、伝統的歴史学批判は底に存在している。これらの意味で、デュルケム社会学における歴史学の位置はネガティヴではあれ大きいといえる。更に、彼の伝統的歴史学批判は歴史学におけるその後の動向と軌を一にするものであり、彼の思想史的意義を示すものである。