抄録
ミードの「社会心理学」を、もっぱら「自己」、とりわけ「I」と「me」の相互関係を焦点に個体の「主観的世界」を叙述する理論として結像するならば、議論は、そこに本来内包されていた社会批判的性格を失ってしまう。彼の議論はしばしば論じられるような自我論ではない。また、意味解釈の過程を扱う理論でも主体性論でもない。むしろそれは、自らの進歩観を拠所にした社会制度批判と、社会再構成の過程の理論的基礎付けとを指向している。複雑で高度な組織化=普遍化の進展と、これに伴う諸個人の個別化の進行とをいかに調和させ得るか。絶えず現れる諸問題に対処すべく、諸集団の対立・葛藤を克服し、より大きな社会を再構成することはいかにして可能か。ミードの議論は、これらの課題への解答を、社会に共有される共通パースペクティヴと諸個体の持つ個別パースペクティヴとの相互関連的再構成過程の考察を通じて試みようとする。
だが、その論述は必ずしも成功してはいない。かかる再構成過程は明確な理論的言明を与えられておらず、そのため、ミードが主張する社会過程への科学的方法の適用は十分な解答とはなっていない。むしろそれは、儀礼的制度や対立・葛藤を繰り返す諸集団の実際、パースペクティヴの狭小化の悪循環の実際を照出しているかのようである。しばしば楽観的だとされる彼の叙述の背後にあるこうした逆説-我々はそこに何を見て取るべきであろうか。