2015 Volume 31 Issue 2 Pages 101-111
本研究の目的は、多元的無知(pluralistic ignorance: Allport, 1924; Katz & Allport, 1931)のメカニズムについて検討することである。従来、多元的無知とは、「集団の多くの成員が、自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず、他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状況」と定義されてきた(神,2009, p. 300)。しかし、多元的無知の状況が集団レベルで維持され、ひとつの社会現象として成り立つには、成員間の選好に関する認知のズレという側面にとどまらず、個々の成員が自身の選好に反して、他者が受け入れている(と信じる)規範に従った行動を採用する、という行動的側面も重要である(e.g., 橋本,2014; 山岸,1992)。本研究はこの観点に立ち、多元的無知現象の生起と維持・再生産のプロセスを、成員の認知と行動の連鎖に着目して検討する。
現代の社会において、多元的無知は広く見られる現象である。たとえば、Vandello, Cohen, & Ransom (2008)は、現代のアメリカ南部の白人男性の間で「名誉の文化(culture of honor)」(Nisbett & Cohen, 1996)がどのように維持されているかについての研究を行い、多元的無知がその鍵であると指摘した。名誉の文化とは、名誉を維持するための暴力を是認する傾向を意味する。実際、アメリカ南部では、言い争いや軋轢をきっかけとした殺人が多いとのデータがある(Nisbett & Cohen, 1996)。しかし、Vandello et al. (2008)によれば、アメリカ南部の男性が名誉を維持するための暴力を起こそうと考える程度は、北部の男性と差がない。一方で、南部の人々は、他の南部人が名誉を維持するための暴力を起こす可能性を実際より高く推測していた。そして、そのように誤って推測する者ほど、高い可能性で名誉を維持するための暴力を起こすと回答したのである。すなわち、南部の人々の多くは、自分自身は名誉を守るための暴力を受け入れていないにもかかわらず、他の南部人のほとんどがそれを受け入れていると信じており、こうした多元的無知の状態で、南部において名誉の文化が維持されていると考えられる。
また、日本人を対象とした研究で多元的無知を扱った例として、橋本(2011)による相互協調性(Markus & Kitayama, 1991)の維持過程に関する研究を挙げることができる。橋本(2011)の研究に参加した日本人の多くは、個人的には相互独立的な生き方をより理想的と考えていたが、同時に、周囲の他者は自分に比べて相互協調的な生き方に価値をおいていると推測していた。こうした知見を踏まえ、橋本は、日本において相互協調性が維持されるメカニズムについて、日本人は「実際には相互独立的な生き方を望んでいるにも関わらず、(中略)相互独立的な行動をとるとまわりの人たちから嫌われてしまうだろうと予想するために、相互協調的な振る舞いが人々に採用されて」いると述べている(p. 190)。
多元的無知の生起に関わる個人内メカニズムこのように、ある文化が多元的無知の状態で維持されていることを示す研究は数多く存在するものの、それらの研究の多くは現象の記述の段階にとどまっている。橋本(2014)は、多元的無知という現象の総体を理解するうえでは、自己とは異なる他者の選好を推測する段階にとどまらず、そのような推測から他者の反応を予測する段階、さらにはその予測に基づいて実際に規範に従った行動を採用する段階をも視野に入れた、ダイナミックなプロセスの検討が重要であると論じている。しかしながら、多元的無知状態が個人の認知、次いで行動のレベルで生起し、やがて集団レベルで再生産されていくメカニズムを精緻に扱った研究は、これまであまり行われていない。
Miller & McFarland (1991)は、多元的無知状況にある個人の状態について、「(自らの)公の行動は(他者と)同じであるにも関わらず、自らの考え・感情・態度は他者とは異なっているという信念」を有していると指摘している(p. 287)。こうした状態が生起し、集団レベルで維持されるプロセスを上述の橋本(2014)の議論に即して段階的に述べると、個々人はまず、自身には受け入れがたい集団規範(多くの成員がとっている行動)を多くの他者が受け入れていると信じ、次いで、集団規範から逸脱した場合の他者からのネガティブな反応を予測し(橋本,2011; Vandello et al., 2008)、他者が受け入れている集団規範から逸脱することに伴うきまり悪さを危惧する(fear of embarrassment: Miller & McFarland, 1991)。その結果、誤推測された他者の選好に合致するよう、自らも規範に合わせて行動する。かくして表出された行動が自己と他者の間で相互に観察され、お互いの選好についての誤認識がますます確固たるものとなる。こうして、個人レベルでの認知と行動が集団レベルでインタラクティブに連鎖することによって、多元的無知という現象が生起し、維持されるに至ると考えられる。
以上を踏まえ、本研究では、(1)個人が他者の選好を誤解し、その結果として自分の選好とは異なる行動をとるに至るプロセスがいかにして生じるか(多元的無知の生起)、(2)多元的無知状態で個人が自分の選好とは異なる行動をとることがどのような影響をもたらすか(多元的無知の帰結)、という2つのリサーチ・クエスチョンについて、検討を行う。具体的には、実験室に最小レベルでの多元的無知の先行因を作り出し、そのような状況のもとで個人の認知や行動に生じる変化のプロセスを個々に検討する。
いうまでもなく、多元的無知は、他者の選好の誤推測と同調行動といった個人レベルから、集団構成員同士の相互作用に伴う(選好とは異なる)規範の再生産という集団レベルまで及ぶ重層的な現象である。とりわけ、多元的無知が集団の中で維持され、再生産されるメカニズムを検討するうえでは、他者の選好に対する誤推測と、それに基づく他者の反応の予測が、集団レベルで「共有」され、そのような共有された予測に従って、人々が同じ行動を「互いに採用し合う」プロセスへの着目が重要である(橋本,2014)。
しかしながら、これらの複合的なプロセスの全てを単独の実験研究で扱うことは難しい。そこで本研究では、多元的無知の段階的な生起プロセスに着目しつつ、それぞれの段階における個人の認知・行動に焦点を絞って、検討を行っていくこととする。このように個人レベルから多元的無知のメカニズムを探究することは、山岸(1992)が述べるマイクロ・マクロ過程、すなわち「マイクロ・レベルでの個人の意識や特性や行動からマクロな社会現象や社会特性が生まれてくるプロセス」(p. 106)について、精緻な考察を行うための一助となると考えられる。
多元的無知の生起:先行因としての対応バイアス本研究のリサーチ・クエスチョンの第1点は、なぜ人は他者の選好を誤推測しやすいのかという問題である。すなわち、多元的無知が生起する原因について、個人の認知プロセスの観点から検討する。
Miller & Nelson (2002)は、多元的無知が生じやすい状況として、成員それぞれの行動が消極的にとられている場面を想定し、実験的検討を行った。ここでの「消極的」とは、個人にとって別の実行可能な行動をとることが好ましくないがゆえに、それを避けた結果として、ひとつの行動が選択されることを意味する。このとき、当該成員のとった行動は積極的な選好に基づいたものではない。しかし、観察者の立場に立ってこの事態を眺めた場合、他者の行動がそのような消極的な選択の結果としてもたらされたことは理解されにくい。人は、他者の行動は他者の選好に基づいていると推測する傾向があり、たとえ自分が嫌々ながらとった行動と全く同じ行動を他者がしていた場合でも、他者の行動は選好に基づいて行われたものであると解釈してしまうためである。このような誤推測は、Gilbert & Malone (1995)の言う対応バイアス、すなわち他者の行動を他者の属性に過度に帰属させてしまう傾向にほかならない。
Miller & Nelson (2002)は、四つの実験によって上記の問題にアプローチした。このうち、Study 3においては、実験参加者は2人1組となり、ひとりずつ、多彩な種類のジェリービーンズをあらかじめ味の好みに従って順位付けたうえで、それらの中から改めて提示された二つのジェリービーンズについて、より好きな方を選択するよう求められた。この二者択一の選択課題は二度行われた。参加者は、課題に用いられたジェリービーンズの組み合わせはランダムなものだと信じていたが、実際には最初に彼らが行った順位付けに基づいて実験的に操作されており、一方は「好きなジェリービーンズ」と「好きでも嫌いでもないジェリービーンズ」の組み合わせから一方を選ぶ(積極的選択)課題、もう一方は「好きでも嫌いでもないジェリービーンズ」と「嫌いなジェリービーンズ」の組み合わせから一方を選ぶ(消極的選択)課題であった。その後、参加者は、同じ2組のジェリービーンズの組み合わせに対して、パートナーも自分と同一の選択行動をしたと告げられ、パートナーがそれぞれのジェリービーンズをどの程度好んでいるかを推測するよう求められた。その結果、参加者は、自分自身が消極的選択によって選んだジェリービーンズについても、パートナーはそれを積極的に好んでいると予測する傾向があった。
一連の実験結果に基づき、Miller & Nelson (2002)は、実際には消極的になされた他者の行動から、他者の選好が誤って推測されてしまうことが、多元的無知の生起に結びつくのではないかと論じた。この主張は、「他者の行動から推測された信念や選好と外れた行動をとることがきまり悪さ(Miller & McFarland, 1991)やネガティブな評価(橋本,2011; Vandello et al., 2008)を引き起こしうるため、それを避けるために自分の選好に反しても他者の行動に同調する」という先行研究の議論と整合的である。しかし、Miller & Nelson(2002)の研究においては、この議論は理論的考察にとどまっており、実証的な検証は行われていない。
そこで、本研究では、対応バイアスに基づく他者の行動の誤帰属がその後の個人の行動を実際に規定するか否か、すなわち、当該の誤帰属が多元的無知の先行因といえるのか否かを実験的に検討する。具体的には、Miller & Nelson(2002)の実験手続きに準じて、成員2名という最小単位の集団状況を設定する。参加者にはパートナーの行動についての情報が与えられるが、この行動は、参加者自身が消極的選択の結果としてとった行動と同一になるよう、実験的に操作されている。本研究では、こうした状況のもとで、個人は次の2段階のプロセスを経て多元的無知の状況に陥るとの予測を立て、これを検証する。
1) 個人は、他者(パートナー)の行動を、たとえ消極的選択の結果であっても積極的選択の結果であると判断し、自分とは異なった形で他者の選好を推測する
2) 個人は、自分の選好ではなく、推測された他者の選好に基づいて、次の行動をとる
多元的無知の帰結:認知的不協和に基づく自己の選好の修正リサーチ・クエスチョンの2点目では、多元的無知の帰結に対して焦点を当てる。すなわち、多元的無知状態での行動が、行動をとった人物にどのような影響をもたらすのかについて検討する。
Prentice & Miller(1993)は、大学における飲酒行動の伝播過程について通時的な調査を行い、大学入学後のある段階においては飲酒の規範が多元的無知の形で維持されていることを明らかにした。すなわち、大学2年になったばかりの学生たちは、実際に各自が飲酒を好む程度を越えて、他者が飲酒を好んでいると推測していることがわかった。そして彼らは、自らの飲酒選好ではなく、誤推測された他者の選好に基づいて、飲酒行動をとっていた。この結果から、大学2年になったばかりの学生における飲酒規範は各々の飲酒に対する選好ではなく、他者の選好に対する誤った推測によって維持されることが示唆された。ところが、3か月後の学期終わりに同様の調査を行ったところ、彼らの飲酒に対する選好に変化が見られた。具体的には、男子学生に限り、彼ら自身の飲酒に対する選好が上昇し、その選好は他者の選好に対する推測と同程度になっていたのである。その結果として、入学直後に見られた男子学生の多元的無知状態は解消されていた。この現象は、女子学生の間では生じていなかった。
このように、多元的無知状態の形で維持されている文化が多元的無知状態のまま存続するとは限らない。彼らの研究のように、時の経過とともに自分の選好が他者の選好に対する誤った推測と同程度まで上昇し、多元的無知状態が解消されることがあるのである。
それでは、なぜ多元的無知は解消されるのだろうか。Prentice & Miller (1993)はこの点について、男子学生の場合、アルコールに慣れて飲酒規範を内在化することへの社会的プレッシャーをより強く感じていることが要因であると考え、それ以上の考察は行っていない。
しかし、Festinger(1957 末永監訳 1965)の認知的不協和理論に基づけば、他者に合わせて自己の選好に合致しない行動をとり続けることは認知的不協和を引き起こす可能性がある。Prentice & Miller (1993)の研究に参加した男子学生たちは、飲酒をするという行動と飲酒に対する選好が適合していないという不協和状態を低減するために、飲酒に対する選好を変化させたのではないだろうか。その帰結として、男子学生の多元的無知が解消されたのかもしれない。実際、彼らの研究で測定された飲酒に対する自己の選好と自己の行動との相関を見ると、男子学生の場合には、進学直後の9月にはr=.28 (n.s.)だったが、12月にはr=.59 (p<.01)まで上昇している。一方で、女子学生の場合、両者の相関は進学直後の9月の時点でr=.56 (p<.01)と高く、男子学生ほどの不協和を経験していないものと推察できる。
本研究では以上の観点に基づき、個人レベルでの認知的不協和の解消が、集団レベルでの多元的無知の解消に結びつく可能性について検討する。具体的には、自分の選好に反して他者に合わせた行動をとった個人は、そうでない個人と比べて、その後の自分の選好を行動に合致する方向に変化させやすいという予測を立て、これを検証する。
仮説のまとめ本研究のリサーチ・クエスチョンは、①個人の認知プロセスのどのような特徴が多元的無知の先行因となるのか(多元的無知の先行因)と②多元的無知状態での行動が、行動をとった人物にどのような影響をもたらすのか(多元的無知の帰結)の2点である。それぞれに対する仮説をまとめると、以下の通りである。なお、仮説1はMiller & Nelson(2002)の追試であり、仮説2・3は本研究のオリジナル仮説である。
本研究では、Miller & Nelson(2002)にならって実験室内に2人集団というミニマルな集団状況を作り出し、自己の選好ないし推測された他者の選好に基づく行動の選択課題を通して、最小レベルの多元的無知状況を実験室に生起させることを意図した実験をデザインした。以下、実験前半の手続き(1~4)はMiller & Nelson (2002)を、後半の手続き(5~6)は自由選択パラダイムを用いた実験(Brehm, 1956)を参考にして立案した。
実験参加者実験参加者は都内国立大学の学部学生50名であった。実験参加者のうち、男性は27名、女性は23名であった。平均年齢は20.58歳であり、その標準偏差は1.27であった。
材料実験の材料として、味の異なる7種類のグミを用いた。
手続き1:偽の目的・手続きの教示実験参加者を実験協力者とペアにして実験室に誘導し、目的について偽の教示を行った。具体的には、人々がどのように好みというものを構成し他者の好みを解釈するかについて理解することが目的であると伝えた。次に、実験の条件に関して、2人の参加者が同じ部屋でグミを食べる条件と2人の参加者が別々の部屋でグミを食べる条件があると偽の教示を行ったうえで、全ての実験参加者に対して、今回の実験は2人の参加者が別々の部屋でグミを食べる条件であると説明を行い、実験協力者を実験室から退室させた。
2:グミの順位付け実験協力者の退室後、実験参加者に7種類のグミと質問紙を提示し、グミを試食して好きな順番を質問紙に記入するよう求めた(以下、実験参加者が1番目に選んだグミ・3番目に選んだグミ・4番目に選んだグミ・7番目に選んだグミを、それぞれグミ1・グミ3・グミ4・グミ7と記す)。
3:グミの選択行動1(順位付けの確認)実験参加者に2種類のグミを提示し、どちらかより好きな方を選ぶよう求めた。まず、グミ1とグミ3を提示し、好みのグミを一つ選択させた(積極的選択課題)。続いてグミ4とグミ7を提示し、同様に好みのグミを一つ選択させた(消極的選択課題)。
4:グミの価格付けとパートナーの価格の推測1実験参加者に、先の二者択一課題で用いた4種類のグミ(グミ1・グミ3・グミ4・グミ7)を提示し、それぞれのグミ50 gに対してどの程度の価格を支払っても良いか回答するよう求めた。
同時に、同じ課題に対して、隣室にいるパートナー(実際は実験協力者)はどのような回答をするか、推測するよう求めた。その際、判断材料として、パートナーは先の二者択一課題で参加者と全く同じ選択を行った(すなわち、グミ1・グミ3からグミ1を選択し、グミ4・グミ7からグミ4を選択した)という情報を与えた。
5:グミの選択2(土産用グミの選択)実験参加者に、グミ3・グミ4のうちいずれか一方を実験参加の御礼(土産)として持ち帰ることができると告げ、選択するよう求めた。その際、参加者が選択したものと同じグミをパートナーにも持ち帰ってもらうことになると強調した。また、実験終了前に、実験参加者の選択内容をパートナーに伝えたうえで、2人でグミの味について話し合いを行ってもらう旨を説明した。この実験操作は、他者の選好に合致しない行動を選択することが決まり悪さへの危惧や他者からのネガティブな評価を予期させる、とする先行研究の知見に鑑み、ミニマルな実験場面という制約の中で、参加者にできるだけ同様の危惧や予期を抱かせることを意図して設定された。
6:グミの価格付けとパートナーの価格の推測2実験参加者に対して、4種類のグミ50 gに対してどの程度の価格を支払って良いかについて、再び回答するよう求めた。ここでの4種類のグミとは「グミの価格付けとパートナーの価格の推測1」と同様で、グミ1・グミ3・グミ4・グミ7である。同時に、パートナーは上の4種類のグミ50 gに対してどの程度の価格を支払って良いと答えるかについて推測するよう求めた。
7:フェイス項目など実験参加者に対して、生まれた年・性別についての回答を求めた。その他、文化的自己観を測定する尺度への回答を求めたが、本論文では分析に加えていないため、詳細は割愛する。
8:ディブリーフィング実験参加者に対して、実験の本当の目的と手続きの全体像を提示するとともに、ディセプションの内容とその必要性について十分に説明し、理解を求めた。
作業仮説先述した本研究の仮説を具体的な実験手続きに照らしてまとめると、以下の通りとなる。
仮説1)に対応する作業仮説参加者は、パートナーがグミ3とグミ4のうちどちらを好むかについての情報を得ていないにもかかわらず、パートナーの選択行動がその選好を反映しているという対応バイアスに基づく推測に陥りやすいため、(グミ7との二者択一課題で)選択されたグミ4に対して、(グミ1との二者択一課題で)選択されなかったグミ3よりも高い価格をつける傾向があるだろう。
仮説2)に対応する作業仮説仮説1のような対応バイアスに基づく推測を行った(パートナーがグミ3よりもグミ4を好むと推測した)参加者は、その推測に基づき(自らはグミ3をより好むにもかかわらず)、二人分の土産としてグミ3よりもグミ4を選択しやすいだろう。このとき、参加者は、自分自身が受け入れていない選択肢(グミ4)を他の参加者が受け入れていると推測し、その結果として自らが好まない行動をとったという点で、ミニマルな多元的無知状況にあると考えることができる。他方、パートナーの選好についてそのような推測を行わなかった参加者は、自分自身が好むグミ3を二人の土産として選択しやすいだろう。
仮説3)に対応する作業仮説推測されたパートナーの選好を重視し、自己の選好に合致しない行動をとることは認知的不協和を引き起こすため、土産として自分が好まないグミ4を選択した参加者は、選択後の第二回目の価格付けにおいて、選択前よりもグミ4の価格を上昇させる傾向があるだろう。他方、自らが好むグミ3を選択した参加者については、そのような価格付けの変化は見られないだろう。
分析対象としては、手続き3においてグミ1とグミ3からグミ1を選び、かつグミ4とグミ7からグミ4を選んだ者に限定した。その結果、分析対象者は47名となった。
仮説1の検証本研究の仮説1は、「他者の行動は、たとえ消極的選択の結果であっても、積極的選択の結果である、すなわち他者の選好を反映していると判断されやすいだろう」というものだった。この理論仮説に基づき、本研究では、参加者が第1回目の価格付けに際して、自らはグミ4よりもグミ3に高い値段をつける一方で、パートナーの価格付けはその逆になると推測する傾向があるだろう、と予測した。
そこで、第1回目の価格付けでの価格を従属変数とし、価格付けの主体(自分・パートナー)とグミの種類(グミ3・4)の2要因の分散分析を行った。価格の平均値と標準偏差は、表1が示す通りである。分析の結果、価格付けの主体(F(1, 46)=9.14, p<.005)、グミの種類(F(1, 46)=4.66, p<.05)、両者の交互作用(F(1, 46)=16.22, p<.001)において全て有意な結果が得られた。単純主効果について分析を行った結果、参加者自身の価格付けについて、グミの種類の有意な単純主効果が見られた(F(1, 92)=20.34, p<.001)。一方で、パートナーの価格付けについては、グミの種類の単純主効果は有意傾向にとどまった(F(1, 92)=3.57, p<.10)。つまり、自らはグミ4よりグミ3を好んでいるにも関わらず、参加者自身と全く同じ行動をとったパートナーの選好に関してはグミ4よりグミ3を好んでいるとは推測せず、むしろグミ4がグミ3より好んでいると推測する傾向さえ見られることがわかった。以上より、同じ選択行動をとったパートナーの選好を自らとは異なるように認識しているとわかった。
集団 | 全体(N=47) | |
---|---|---|
自分 | パートナー | |
グミ3に対する価格 | ||
平均値 | 94.36 | 91.55 |
標準偏差 | 25.80 | 18.14 |
グミ4に対する価格 | ||
平均値 | 81.66 | 96.87 |
標準偏差 | 29.15 | 22.13 |
加えて、グミ4の価格について、価格付けの主体の有意な単純主効果が見られた(F(1, 92)=25.11, p<.001)。すなわち、参加者もパートナーも消極的選択課題においてグミ4を選択しているにも関わらず、自らが消極的に選択したグミ(グミ4)に対して、パートナーの選好は自らよりも高いと推測していることがわかった。このことは、他者の行動は、たとえ消極的選択の結果であっても、積極的選択の結果である、すなわち他者の選好を反映していると判断されやすいことを支持する結果であると考えられる。したがって、仮説1は支持された。
仮説2の検証二人分の土産用に自分が好まないグミ4を選んだ参加者は19名、自分が好むグミ3を選んだ参加者は28名であった。
本研究の仮説2は、「推測された他者の選好が自分の選好と異なっていた場合(仮説1の通りの判断がなされた場合)は、自分の選好に反して、推測された他者の選好に合致する行動を選択しやすいだろう」というものだった。この理論仮説が正しければ、パートナーがグミ3よりグミ4を好むと推測する参加者は、それ以外の参加者に比べて、グミ4を土産として選択する比率が高いと考えられる。第1回目の価格付けに基づくパートナーの選好の推測と土産用に選択するグミの種類をクロス集計して(表2)カイ二乗検定を行ったところ、有意な比率の差が認められ(χ2(2)=11.02, p<.001)、仮説2は支持された。
土産の選択 | ||||
---|---|---|---|---|
グミ3 | グミ4 | 合計 | ||
パートナーの選好の推測(第1回目の価格付けにおける推測値の大小) | グミ3<グミ4 | 8 | 16 | 24 |
グミ3=グミ4 | 7 | 1 | 8 | |
グミ3>グミ4 | 13 | 2 | 15 | |
合計 | 28 | 19 | 47 |
χ2(2)=11.02, p<.001
さらに、土産用にグミ3を選択した参加者と、自分が好まないグミ4を選択した参加者との間で、パートナーの選好に対する推測がどのように異なるかをより精緻に検討するため、グミ3を選んだ者とグミ4を選んだ者が各々行った第1回目の価格付けに対して、価格付けの主体(自分・パートナー)とグミの種類(グミ3・グミ4)の2要因の分散分析を行った。従属変数は手続き4における価格であり、それぞれの参加者における価格は表3の通りであった。
まず、自分が好まないグミ4を選択した参加者を対象に分析を行った。その結果、価格付けの主体の主効果と(F(1, 18)=5.75, p<.05)、価格付けの主体とグミの種類の有意な交互作用が見られた(F(1, 18)=12.46, p<.005)。続けて、単純主効果について分析を行った。その結果、自分が支払う価格について、グミの種類の有意な単純主効果が見られた(F(1, 36)=4.92, p<.05)。同様に、パートナーが支払うと予想する価格についてもグミの種類の有意な単純主効果が見られた(F(1, 36)=11.79, p<.005)。すなわち、自分自身についてはグミ3に対してグミ4より高い値段を付けていた一方で、パートナーについてはグミ4に対してグミ3より高い値段をつけると推測していたことがわかった。
集団 | グミ3を選んだ群(N=28) | グミ4を選んだ群(N=19) | ||
---|---|---|---|---|
自分 | パートナー | 自分 | パートナー | |
グミ3に対する価格 | ||||
平均値 | 95.36 | 93.57 | 92.90 | 88.58 |
標準偏差 | 25.81 | 17.72 | 25.72 | 18.34 |
グミ4に対する価格 | ||||
平均値 | 81.07 | 91.61 | 82.53 | 104.63 |
標準偏差 | 28.30 | 25.67 | 30.35 | 11.80 |
次に、グミ3を選択した参加者を対象にした分析を行った。分析の結果、グミの種類の主効果と(F(1, 27)=21.86, p<.001)、価格付けの主体とグミの種類の有意な交互作用が見られた(F(1, 27)=5.25, p<.05)。続けて、単純主効果について分析を行った。その結果、自分に対する価格についてはグミの種類の有意な単純主効果が見られた(F(1, 54)=19.90, p<.001)。一方で、パートナーに対する価格についてはグミの種類の単純主効果は有意でなかった(F(1, 54)=0.38, n.s.)。すなわち、自分自身についてはグミ3に対してグミ4より高い値段を付けていた一方で、パートナーについてはグミ3とグミ4は同じ程度の値段をつけると推測していたことがわかった。
一連の実験手続きにおいて、参加者は、パートナーが二者択一課題において自身と同一の行動をとった、すなわち(グミ1と比べて)グミ3を選ばず、(グミ7と比べて)グミ4を選んだ、ということを知らされた。また、参加者自身は、グミ3をグミ4よりも好んでいた。この状況では、パートナーがグミ3とグミ4のいずれを好んでいるかはわからないはずである。そうであるにも関わらず、参加者のうち19名が土産用にグミ4を選択したが、彼らは、(自分自身に対する価格付けとは違って)パートナーがグミ4に対して付ける価格をグミ3に対してつける価格より高く推測していた。グミ4選択者のこのような推測は、パートナーの行動をそのままパートナーの選好として帰属させる、対応バイアスの表れであると考えられるだろう。
以上の点から、グミ4を選択した参加者では対応バイアスが生じており、グミ3のグミを選択した参加者では対応バイアスが生じていないと結論付けることができる。
仮説3の検証本研究の仮説3は、「個人は、他者に合わせて自己の選好に合致しない行動をとった場合、その行動を自ら正当化するよう動機付けられるだろう。したがって、そのような個人は、行動と同じ方向に自身の選好を変化させやすいだろう」というものだった。具体的には、土産用のグミとして自分が好まないグミ4を選択した実験参加者は、グミ3を選択した実験参加者よりも正当化のニーズが高いため、土産選択後の第2回目の価格付けにおいて、自らが付けたグミの価格を変化させる度合いが大きいだろうと予測した。価格の変化による正当化のしかたには、土産として選択したグミの価格を上げることと、選択しなかったグミの価格を下げることの2方向が考えられるため、ここでは、選択したグミの価格の上昇度と選択しなかったグミの価格の低下度を合算した値を正当化度合いの指標とした。
この正当化度合いを従属変数として、2(選択行動:グミ3を選択・グミ4を選択)×2(価格付けの主体:自己・パートナー)の2要因で分散分析を行った。「価格付けの主体」の効果を検討することによって、2種類の正当化のあり方、すなわち、自らの価格を正当化することで自分の選択行動は選好に基づいたものであると解釈しなおす場合(価格付けの主体:自己)と、パートナーの価格を正当化することで自分の選択行動は他者を喜ばせるために行ったものであると解釈しなおす場合(価格付けの主体:パートナー)を区別することができる。正当化度合いの平均値は、図1の示す通りであった。
分散分析の結果、価格付けの主体と選択行動の有意な交互作用が見られた(F(1, 45)=6.67, p<.05)。単純主効果について分析を行った結果、自分が好まないグミ4を選択した参加者についてのみ、価格付けの主体の有意な単純主効果が見られた(F(1, 45)=5.13, p<.05)。すなわち、自分が好まないグミ4を選択した参加者は、選択行動の後にパートナーが支払うグミの価格を低下させる一方(M=−1.90, SD=4.96)、自分が支払うグミの価格を上昇させることによって(M=5.11, SD=9.72)、自分の選択行動は選好に基づいたものであると解釈しなおし、元々は自分の選好に反するグミを選んだという行動を正当化していることがわかった。
さらに、土産として選択されたグミに対する自己の価格付けの変化のみに注目し、グミ3を選択した参加者とグミ4を選択した参加者の間で、選択前後のグミの価格変化の程度がいかに異なるかを検証した。価格変化の程度は表4の通りである。t検定を行った結果、元々自分の好みでなかったグミ4を土産用として選択した参加者(M=6.58, SD=7.26)の方が、グミ3を選択した参加者(M=−0.71, SD=7.41)よりも選択したグミの価格をより上昇させていることがわかった(t(45)=3.27, p<.005)。以上より、仮説3は支持された。
集団 | グミ3を選んだ群(N=28) | グミ4を選んだ群(N=19) | ||
---|---|---|---|---|
自分 | パートナー | 自分 | パートナー | |
グミ3に対する価格 | ||||
平均値 | 94.64 (−0.71) | 93.04 (−0.54) | 94.37 (1.47) | 89.16 (0.58) |
標準偏差 | 25.25 (7.41) | 21.89 (9.00) | 22.97 (8.02) | 17.55 (2.85) |
グミ4に対する価格 | ||||
平均値 | 80.71 (−0.36) | 87.14 (−4.46) | 89.11 (6.58) | 103.32 (−1.32) |
標準偏差 | 27.93 (11.80) | 26.24 (12.98) | 31.18 (7.26) | 11.29 (4.54) |
Note: 括弧内は、「第1回目の価格付け」からの変化量の平均値・標準偏差を示す。
それでは、土産用として選択したグミに対する自らの選好が上昇した結果、自らの選好とパートナーが抱いていると推測した選好との間の差異は消えたのだろうか。すなわち、グミ4に対して、自己の選好は(推測における)パートナーの選好と同じ程度となったのだろうか。
そこで、自分が好まないグミ4を土産用として選択した参加者について、第2回目の価格付けでの価格を従属変数とし、価格付けの主体(自分・パートナー)とグミの種類(グミ3・4)の2要因の分散分析を行った。価格の平均値と標準偏差は表4が示す通りであった。分析の結果、価格付けの主体とグミの種類の交互作用(F(1, 36)=8.23, p<.05)において有意な結果が得られた。単純主効果について分析を行った結果、グミ4の価格について、自分よりもパートナーの方が高い価格を付けるという形で有意な単純主効果が見られた(F(1, 36)=8.38, p<.01)。加えて、パートナーの価格付けについては、グミ4に対してグミ3より高い価格を付けるという形で有意な単純主効果が見られた(F(1, 36)=10.16, p<.005)。
つまり、土産選択後に自分が好まないグミ4に対する選好が上昇したにも関わらず、依然として、参加者自身と全く同じ行動をとったパートナーは自分よりもグミ4が好みであると推測していることがわかった。自らはグミ4をグミ3程度にしか受け入れない一方で、パートナーはグミ3よりもグミ4を好んでいると推測している点を考えると、多元的無知状態は解消されてはいないと考えることができるだろう。
序論で述べた通り、文化が多元的無知によって維持されていることを示す研究は数多く存在するが、それらの研究の多くは現象の記述の段階にとどまっており、多元的無知状態が、個人の認知、次いで行動のレベルで生起し、やがて集団レベルで再生産されていくメカニズムを精緻に扱った研究はあまり行われていない。本研究は、こうした現状に鑑み、ミニマルな集団状況における多元的無知状態の生起・再生産のメカニズムを、個人の認知と行動に着目しながら実験的に検討することを試みた。具体的に焦点を当てたのは、以下の2つの問題であった。すなわち、(1)個人が他者の選好を誤解し、その結果として自分の選好とは異なる行動をとるに至るプロセスがいかにして生じるか(多元的無知の生起)、(2)多元的無知状態で個人が自分の選好とは異なる行動をとることがどのような影響をもたらすか(多元的無知の帰結)の2点である。
実験では、参加者2名という最小単位の集団状況を設定した。参加者にはパートナーの行動(好きなグミを二者択一で選択する行動)についての情報が与えられたが、この行動は、参加者自身が消極的選択の結果としてとった行動と同一になるよう、実験的に操作されていた。その結果、パートナーの行動は、たとえ消極的選択の結果であっても積極的選択の結果であると判断されやすく、他者の選好を自分とは異なる形で推測する傾向へと結びつくことがわかった。これは、対応バイアスに基づく誤推測であると考えられる。さらに、そのような誤推測に基づいて、パートナーが自らとは異なる選好を持つ(自分が好むグミ3よりもグミ4の方を好む)と推測した参加者は、自分の選好ではなく、推測された他者の選好に基づいて次の行動(自分とパートナーが持ち帰る土産として、パートナーが好むグミを選択する)をとりやすいことがわかった。以上より、人は他者の選好に関する十分な情報がない状況においても、観察可能な限られた行動を手がかりとして他者の選好を誤推測しやすく(対応バイアスに基づく)、これが自分の選好と異なっている場合に、多元的無知の先行因となることが示唆された。
さらに本研究では、他者に合わせて自己の選好に合致しない行動をとった場合、その行動を自ら正当化するよう動機付けられ、行動と同じ方向に自身の選好を変化させやすいだろうという仮説を立て、これを検証した。分析の結果、(自らの選好とは異なる)グミ4を土産用として選んだ参加者に限って、選択したグミの価値を相対的に上昇させることによって自分の選択行動を正当化し、また自分が選択したグミをより好ましいと解釈しなおしていることがわかった。こうした認知の変化は、認知的不協和とその解消のメカニズムとして理解することが可能である。以上の結果は、自らの選好に合致しないはずの行動を人々が取り続け、結果的に多元的無知に基づく行動が集団内で再生産されてしまう、ある種のマイクロ・マクロ過程を理解するための、ひとつの手がかりとなると考えられる。
ただし、本研究の実験参加者は、自分が好まないグミを選択した後に、そのグミの価格を上昇させるという正当化を行う一方で、そのように認知を変化させた後もなお、自分よりはパートナーの方が、よりそのグミを好んでいるという推測を維持していた。つまり、人は多元的無知に基づく行動の後、自らの選好を当該の行動と同じ方向に変化させるとしても、そのことによって多元的無知状態は完全に解消するとは限らず、依然として存在し続ける可能性があることが示唆された。ただし、本実験では他者の選好を誤って推測したことによる(自らの選好とは異なった)行動は一度きりである。現実場面においては、人は多くの場合、他者の選好の誤推測に伴う(選好とは異なる)行動を繰り返し採用せざるをえない。それゆえ、実社会においては規範の内在化が生じやすくなり、ひいては多元的無知状態が解消される可能性もあるかもしれない(e.g., Prentice & Miller, 1993)。この点の検討は今後の課題である。
多元的無知と文化の維持に関する2つのメタ理論と、本研究の意義近年、文化の維持と再生産というマクロな社会現象を理解する鍵としても多元的無知が着目されている。「文化への制度アプローチ」を提唱とする山岸らは、「人間は自分の目標(選好)の実現を求めているが、他の人たちを無視して自分の好きなことをするわけにはいかない」(増田・山岸,2010, p. 133)という前提に基づき、人は、「一般に人間はこういった状況でこう行動するだろうといった、人間一般についてのモデル(信念)」(p. 133)を用いて行動し、その行動が他の人々の信念の内容に反映されると論じている。
ここでのポイントは、その行動が自らの選好と一致しない可能性があるという点である。そのような状態は実際に存在しており、人々が自らの選好に一致しない行動を選択し続けることによって文化が維持されていることを示した研究もある(e.g., Zou, Tam, Morris, Lee, Lau, & Chiu, 2009)。このような研究は、多元的無知の生起が文化の維持や再生産に寄与することを示唆していると考えることができるだろう。
一方で、「文化は実質的に心を作り上げており、また同時に文化そのものも、多くの心がより集まって働くことによって、維持、変容されていく」(北山,1998, p. 10)、すなわち、人々の選好(心)が行動に反映され、集合的に共有されることによって文化が維持されるという主張もある。たとえばMasuda, Gonzalez, Kwan, & Nisbett(2008)では、東アジア人が文脈における情報にも敏感であるという心の性質について、文化的産物・行動・選好において一貫した傾向が得られている。こうした文化心理学的視点は、人々が自らの選好に一致しない行動を選択し続けることによって文化が維持されているとするZou et al.(2009)のアプローチとは異なるものである。
実際、全ての文化的慣習がもっぱら多元的無知によって維持されていると考えることには無理があるだろう。多元的無知は、特定の行動傾向が集団内の人々の間で共有されていく過程のある部分では重要な鍵となりうるが、その一方で、当初は多元的無知に基づいて意に染まない行動をとった個人が、やがてその行動に合致するように自らの選好を変化させ、いわばその行動に即した価値を内面化させていくことも考えられる。
本研究の実験参加者は推測された他者の選好に基づいて行動を行い、その結果として、参加者の一部は自らの選好とは一致しない行動をとった。しかしながら、それらの参加者は自分の選好と異なる行動をとった後に、その行動と一致するように選好を変化させた。こうした結果は、多元的無知に基づく行動の表出と、行動に合致した価値の内面化という2つのプロセスの両方が、文化的慣習の維持と再生産のために重要である可能性を示唆している。その意味で、本研究の結果は、文化の維持に関する2つの異なるメタ理論をブリッジするひとつの可能性を呈示していると考えられる。
選択行動後の選好の変化:2つの異なった認知的不協和の可能性本実験では、自分の選好に反する行動を選択した者(グミ4を土産用に選んだ参加者)には認知的不協和が生じるため、その解消のために選好を自分の行動の方向へ変化させると予測した。結果はこれを支持し、自分が選択したグミ4を、第2回目の価格付けにおいてより高く評価していた(図1右側,表4)。グミ4を選んだ参加者は、自らの選好を変化させることによって、「自分の選択行動は選好に基づいたものである」という形で自らの選択行動を正当化し、認知的不協和を解消させたと考えられる。
しかし、一方で、本実験で自分の選好に沿った行動をとった者(グミ3を土産用に選んだ参加者)は、その後の価格付けにおいて、パートナーの選好に対する推測を変化させていた。具体的には、自分の選ばなかったグミ4に対して、パートナーがより低い価格をつけるだろうと回答していた(図1左側,表4)。たとえ自分の選好に合致していても、他者の選好に合致するかどうかわからない状態であれば認知的不協和が生じるのかもしれない。人は他者から嫌われたくないという思いを持っているとするならば、他者の選好に合致するかどうかわからない状態は認知的不協和を生み出すだろう。つまり、グミ3選択者が行ったパートナーの価格付けに関する推測の変化は、「自分の選択行動は他者を喜ばせるために行ったものである」という正当化によって、認知的不協和の解消をはかったものと考えられる。
上記の解釈を行うと、認知的不協和には少なくとも2種類存在すると考えられる。すなわち、自分の行動が自分の選好と一致しないことによる認知的不協和と、自分の行動が他者の選好と一致しないことによる認知的不協和である。本研究の結果(図1の交互作用)に鑑みると、両者の認知的不協和はその解消方法が異なるかもしれない。つまり、自分の行動が自分の選好と異なる場合には自分の選好に対する解釈を変更することによって認知的不協和を解消させ、自分の行動が他者の選好と異なる場合には他者の選好に対する推測を変更することによって認知的不協和を解消させるのである。
自分の選好には合致するが他者の選好に合致するかどうかわからない状態での選択が、認知的不協和に結びつくのであれば、自らの選好に即した行動をとることが、必ずしも不協和を引き起こさない選択だとはいえない。人が、自らの選好ではなく(推測された)他者の選好に合わせた行動をしばしば選択するのは、このような、いわば他者由来の認知的不協和を避けようとする動因に基づくものかもしれない。とはいえ、この解釈はあくまで仮説に過ぎない。今後は実験を精緻化し、2種類の認知的不協和とそれぞれの不協和に対する解消方法について検討し、上記の解釈が妥当であるか検討を深める必要があるだろう。さらに、このような他者に焦点化した認知的不協和に関する解釈は東アジア人特有に対してのみ妥当であるのか、あるいは欧米人に対しても妥当なものであるかについても、今後検討していく必要があるだろう。
本研究の限界本研究は2人集団というミニマルな状況設定のもとで行われた実験研究である。また、多元的無知の生起プロセスを検証するとはいっても、実際に長い時間をかけて集団内の変化の過程を追ったものではない。特に、二者のグミの選好の差異という問題は、集団規範と呼ぶには適切な事例とはいえないため、他者の選好の誤推測がなぜその後の個人の行動に作用するのかという点に関して、本研究は十分な回答を用意することができない。さらに本研究は、他者の選好の誤推測に伴って生じた(自らの選好とは異なる)行動が別の他者の推測・行動に影響を与えるという、多元的無知の維持にとって極めて重要なダイナミクスを直接扱うには至っていない。それゆえに、本研究の知見を文化の維持・再生産というマクロレベルの事象にまで拡張して解釈することには限界がある。継時的な実験・調査による精緻な検討の蓄積によって初めて、実際に構成員が持つ選好・信念・行動がどのように変化するかを検討することができるだろう。
また、実験の後半で検証された多元的無知の帰結としての認知的不協和の問題については、別解釈の可能性も否定できない。たとえば、グミ4を土産として選んだ実験参加者は、このグミがパートナーに好まれているという自らの推測を重視して、グミ4の価値に関する自らの評価を上方修正したのかもしれない。この場合、認知的不協和を解消しようとする動因がなくても、グミ4の価格付けが変化する理由を説明できることになる。今後は実験方法を改良し、より正確に認知的不協和を測定する必要があるだろう。