社会心理学研究
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書評
フィッシュホフ,B.・カドバニー,J.(著)中谷内一也(訳)『リスク 不確実の中での意思決定』(2015年,丸善出版)
大友 章司
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2016 年 31 巻 3 号 p. 212

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本書は、人間社会のさまざまなリスクについて、自然科学と人文科学の見地から解き明し、その意思決定のあり方を含めて議論を展開している。リスク分析と意思決定理論が本書のキーワードとなっている。複雑怪奇なリスクを、事実(起こるだろうこと)と価値(大切であろうこと)の評価の枠組みを用いて系統的な説明が展開されている。社会心理学でリスク研究を始めようとする研究者にとっては、心理学以外の視点を理解するのに役立つ待望の入門書である。以下に私の主観で概要を説明する。

第1章の「リスクについての意思決定」では、多様なリスクに共通する枠組みを意思決定理論から見出し、リスク決定の統一的な“言語”表現と説明している。未成熟児の治療選択、自動車保険、性教育プログラムの問題を扱い、一見すると異なるリスクの事例には、選択肢、結果、選択肢と結果を結ぶ不確実性という共通する意思決定の側面があることを指摘している。第2章の「リスクを定義する」では、リスクを価値を失う可能性についての概念とし、価値の問題からリスクの測定方法を考えている。死亡リスクにおける死亡総数の年齢の論争、スターのリスク・ベネフィットのトレードオフの研究やローレンスのハザードの因子分析の研究を紹介し、リスクが単なる死亡率ではなく多様な要素を含んでいることを議論している。また、専門家と市民のリスクの順位付や、現世と将来世代における将来割引の問題などを挙げ、価値の置き方により、受容できるリスクも異なるという概念の特徴を指摘している。

第3章の「リスクを分析する」では、ジョン・スノウ候のコレラの分析をリスク査定の事例とし、データの蓄積により、リスク原、経路、ばく露、ばく露集団の性質などの特徴を明らかにすることを紹介している。複雑なばく露の問題では“ヘルシー・ワーカー効果”(仕事に従事している健康な人はリスクの影響を受けにくい)などの問題を挙げて、情報と分析結果の信頼を含めた一連の査定作業の重要性を示唆している。第4章の「リスクについての意思決定を実行する」では、意思決定における決定ルールとして、合理的な選択のための基準としての期待値や効用理論、文脈効果といった選好の非一貫性の内容が説明されている。次に、プロスペクト理論、限定合理性におけるヒューリスティック、規制や公共心の決定ルールの問題を扱っている。

第5章の「リスク認知」では、一般の人々のリスク認知の仕方の問題を扱っている。一般の人々は相対的なリスクについては認知できるが、絶対的な大きさについては測定する文脈に左右されることを示唆している。その中でも利用可能性のヒューリスティック、リスク評価における“メンタルモデル”による判断、感情ヒューリスティックを説明し、このような認知の仕方の意義やその限界について議論が展開されている。第6章の「リスクコミュニケーション」では、コミュニケーションが失敗する背景には、公衆の情報提供やその意図(誠実性)が不十分であったり、情報の送り手のコミュニケーションの過大評価がある。また、コミュニケーションの良し悪しはデザインに左右されることを、薬剤情報欄の表示や安全保障リスクの情報の表現などで議論している。リスクコミュニケーションは、それ以上事実を知らされても選択が変化しない状態が目標である。参加型リスクコミュニケーションでは、公衆の“知る権利”と“発信する権利”の社会的契約を尊重し、公衆をリスク管理手続きのあらゆる段階で関与する存在として位置づけるあり方の必要性を説明している。まとめでは、リスクコミュニケーションがうまくいくことには社会的な必然性があることも示唆している。

第7章の「リスク・文化・社会」では、社会におけるリスク分析の役割について議論している。リスクの定義において分析者は社会的正当性の問題に直面するだけでなく、リスク社会に生きる個々人もリスクの問題に対して道徳や葛藤の調停者の役割が課されている。最後に、社会的な文脈の中で生じるさまざまなリスク決定の問題に、リスク分析は対処するための意思決定とそれを伝える科学的道具(方法)を用い、実践的に理解する規範体型を提供している。また、そのような観点からリスク分析を評価しなければならない。本書ではリスク分析の取り組みを理解するための系統的な内容がまとめられている。

個人的に興味深かったのは、意思決定理論からリスクについての統一的な枠組みを提唱している点である。心理学の視点ではリスク認知から個人差や事例の問題ばかり焦点を当てられやすいが本書ではそうではない。いまひとつは、リスクの定義において、将来世代や公衆の関与を扱っている点である。福島原発事故後に新たに直面した放射性廃棄物の問題など日本のリスクを研究するうえでも重要な示唆を含んでいる。以上のように、実験室ではなく現場に実存するリスクを読み解くうえで必要な枠組みを紹介している良書である。リスク研究分野の社会心理学の初学者の入門書として推薦したい。

 
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