2024 年 40 巻 2 号 p. 100-121
In recent years, the concept and theory of niche construction, originally developed in evolutionary biology, have been increasingly embraced in the humanities and social sciences, at least partly connected by the study of cultural evolution. While niche construction theory is not mainstream in evolutionary biology, there are various reasons for its acceptance in the humanities and social sciences. This paper provides an overview of several trends relevant to niche construction theory, focusing on cultural evolution and related fields. Initially, I will review the terminology associated with niche construction theory and the ongoing debate surrounding it, including the extended evolutionary synthesis in evolutionary biology. Subsequently, I will explore why niche construction is gaining attention in the humanities and social sciences, providing examples of research on cultural and social niche construction. Finally, the paper will present several hypotheses linking niche construction and human evolution.
生物が環境を改変し,選択圧を変化させることを「ニッチ構築(niche construction)」とよぶ。本来は進化生物学の概念だが,特に2000年代に入って,考古学(Laland & O’Brien, 2010),文化人類学(カークセイ・ヘルムライヒ,2017),心理学(Yamagishi & Hashimoto, 2016)など,人文学および社会科学の広い領域で,ニッチ構築を取り入れる動きがある。その理由は後述するようにさまざまだが,人文・社会科学の研究者が,広義の進化に関するアイディアを取り入れたり,自身の研究分野の諸概念を広義の進化の枠組みのなかに位置づけようとした場合に感じる「しっくりこない」部分を,うまく解消できるからではないか,という仮説を筆者は持っている2)。
一例を挙げたい。2020年,当時英国の首相であったBoris Johnsonが,新型コロナウイルス感染症に感染し,隔離期間中に「社会というものはたしかに存在する」と語ったと報道された。これは,1987年,当時の英国首相Margaret Thatcherの「社会というものはない。あるのは個々の男と,女と,家族である」という発言を意識したものと考えられる。これは政治的なメッセージではあるものの,学術的に重要な問いを見出すこともできる。個々の人間が存在する。そのことに疑いはないだろう。問題は,個人の総和を超えた「社会」が存在するかどうかである。方法論的個人主義と方法論的集団主義をめぐる議論だとみなせるかもしれない(大西,2023)。進化生物学は,集団をある生物種の集合として捉え,その相互作用を記述する。Mayr(1959)は,Charles Darwinの貢献として,生物進化の研究において,生物の種に本質的なあり様が存在するという考えを否定し,生物個体が構成する集団内の変異(バリエーション)へと視点と基本的な対象を転換させたことを挙げている。後者の考えを「集団的思考(population thinking)」とよぶ。方法論的個人主義と方法論的集団主義の区分に落とし込むのであれば,方法論的個人主義の立場である。他方,多くの人文・社会科学の研究で,方法論的集団主義がとられる。そこにはギャップがあり,進化のアイディアがいくら有用でも,なんらかの違和感や,物足りなさを感じるかもしれない。進化生物学においては,「環境」とは通常,自然環境や生態環境とよばれる,物理的に存在しているものを想定している。しかし,人間を対象にする研究において,社会環境や文化的環境といった言葉があるように,規範や制度といった物理的な実体がないものが(個々の人間や,人間の作り出した道具や設備に下支えされてはいるが),共有されることで,ある種の「環境」として,人間の行動に影響を与えている。ニッチ構築は,上述の「社会」を環境として捉えることで,そうした違和感の解消に寄与しているのではないかと,筆者は考えている。近年,人文・社会科学でニッチ構築が比較的受け入れられつつある背景には,ニッチ構築の適用範囲が,比較的自然に,文化・社会的な領域まで広げられることもあるだろう。
そうして社会・文化環境の改変も含めれば,進化的なスケールから個体の発達のスケールまでを対象に,生態・社会・文化的な環境が,人間行動とどのようにフィードバックを与え合っているのかを記述できる。その射程は非常に広い。そのこと自体は歓迎すべきことかもしれないが,さまざまな研究者が,多様な方法でニッチ構築を自身の研究に取り入れているため,筆者の印象を正直に話すのであれば,雑然としている感は否めない。研究者がなにを「環境」とみなすかを,かなり自由に反映させられるため,それは当然の帰結だといえるかもしれない。そこで本稿では,考古学や人類史,そして文化進化の研究を中心にしつつ,人間を対象にした諸領域におけるニッチ構築に関する近年の議論を,概観することを試みたい。次節ではまず,用語の整理を試みるとともに,進化生物学においてニッチ構築,あるいはそれを軸の1つに据えた「拡張された進化の総合説(Extended Evolutionary Synthesis; EES)」(Laland et al., 2015)が,進化生物学において傍流である現状を紹介する。続いて3節では,人文・社会科学の諸領域でニッチ構築が取り入れられている理由についてとりあげる。4節・5節では,文化的ニッチ構築と社会的ニッチ構築の実例をそれぞれ紹介する。最後に,近年提唱されている,ニッチ構築を中軸に据えた人類進化の仮説について紹介する。
上述したように,筆者は人間を対象にしたニッチ構築の研究に対して,雑然としているという印象を抱いている。その大きな理由の1つが,さまざまな用語が提唱されていることにある。もともとの進化生物学のニッチ構築に加えて,文化的ニッチ構築,社会的ニッチ構築,認知的ニッチ構築など,そこから派生した概念が多数ある。必ずしも明確に使い分けがなされているわけではない印象もあるが,まずは整理を試みたい。Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007)が,今でもニッチ構築研究の基礎的な教科書であることをまずは述べておきたい。
まず,ニッチ構築の対象となるニッチ(niche, ecological niche)とはなんだろうか。ニッチは「生態学的地位」とも訳され,「各種ないし亜種が,野外で生息する環境条件のこと。ここで環境としては,非生物的環境のほかに,植生や食物・捕食者・競争者などを含む」と定義される(巌佐他,2013, p. 763)。ここではもう少し掘り下げて背景を説明したい。概念としては,Darwinの『種の起源』における「自然の経済における場所」という表現に由来するようだ(嶋田他,2005, p. 278)。もともとは壁のくぼみのことであり,日本語では壁龕ともいう。「壁龕」と入力してGoogleなどで画像検索をおこなえば,彫刻などがおさまっている様子をみることができる。転じて,「人の能力にあったふさわしい地位や適所」の意味でも使われるようだ(嶋田他,2005, p. 278)。生態学において使われ始めたのは20世紀に入ってからとされる。Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007)や,嶋田他(2005)では,ニッチ概念が変遷し,さまざまな定義が生まれてきたことが紹介されている。特に,複数種が餌資源をめぐり競合し一方を排除するか,あるいは逆に分けあって共存するのか,といった研究の文脈では,資源利用パターンの意味で使われる(巌佐他,2013, p. 1038)。注意が必要なのは,強調の程度にはグラディエーションがあるものの,環境とともに生活様式が含まれていることである。Whiten & Erdal(2012)で挙げられている例を用いると,ライオンのニッチには,狩猟対象の利用可能性のみならず,ライオンの狩猟スタイルや,それを可能にする身体形質と心理的特性が含まれている。
Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007)は,Hutchinson(1944)の「生物体に作用する環境因子の総和」という定義を基礎に,ニッチ構築の理論をつくりあげている。Hutchinson(1944)の定義に従えば,n個の環境因子があった場合,生物のニッチはn次元空間上の領域で表現される。これは生態学におけるニッチの概念である。Odling-Smeeらは,ここに進化を含め「集団のニッチは,その集団がさらされる選択圧の総和」と定義する(Odling-Smee et al., 2003, p. 40 佐倉他訳 2007, p. 33)。非常に抽象的ではあるが,Hutchinson(1944)の定義と連続していることがわかる。
この定義にもとづき,Odling-Smeeらはニッチ構築を以下のように定義する。「生物体が現在の空間的,時間的位置において環境の因子を物理的に攪乱することにより,あるいは別の時空的アドレスに移住し,したがってみずからを別の因子にさらすことにより,環境中の1つまたは複数の因子を能動的に変化させ,それによってみずからの特徴と環境因子との関係に変更を加えるときに生じる」(Odling-Smee et al., 2003, p. 41 佐倉他訳 2007, pp. 34–35)。アドレスとは,現実の生息場所である。生物による生息場所の攪乱を「生態系エンジニアリング」とよぶ。Odling-Smeeらは,「注目する集団のニッチ構築の結果としての検出可能な変更が,群集や生態系のどの集団の自然選択圧にもみられなければ,(中略)そのような場合のニッチ構築の結果は生態系エンジニアリングのみである」として,ニッチ構築が選択圧を変化させるものであることを強調している3)(Odling-Smee et al., 2003, p. 44 佐倉他訳 2007, p. 37)。また,Odling-Smeeらは,ニッチ構築を「攪乱」と「移住」に二分する。「動物は,巣や巣穴などの加工物をつくるとき,通常ある程度の注意深さをもってその場所を選ぶ」と述べているように,これらは必ずしも排他的なわけではないようだ(Odling-Smee et al., 2003, p. 44 佐倉他訳 2007, p. 37)。これに加えて,「起動的」か「対抗的」という区分もおこなっている。前者は,生物が行動によって環境の因子を変化させる場合,後者は,すでに起こっている環境の因子の変化を中和したり逆行させたりする場合を指す。この2つの区分に従えば,2×2で,ニッチ構築を4種類に分類することができる。また,適応度の上昇に寄与するか,減少に寄与するのかによって,「プラス(正)のニッチ構築」か「マイナス(負)のニッチ構築」という区分もある。
ニッチ構築により改変された環境は,その世代かぎりの場合もあれば,それ以降も,一定以上の期間改変されたままである場合もある。後者の場合,ニッチ構築をおこなった世代のみならず,将来世代の適応度にも影響を及ぼすことになる。このことを,生態環境が「受け継がれる」とみなすことができる。これを生態的継承(ecological inheritance)とよぶ。ニッチ構築の代表としてよく使われるのが,ビーバーによるダムの建設と,ミミズが土中にトンネルを掘る例である。ビーバーのダムにしろ,ミミズによって改変された土壌にしろ,ニッチ構築をおこなった個体(たち)が死んだ後も,その場に残され,同種・他種の適応度に影響を及ぼす可能性がある。生態的継承はこうした継続する影響を記述する概念である。
これまでは,進化生物学におけるニッチ構築に関連する概念を紹介してきた。ここからは,人文学・社会科学により関連の深い概念をとりあげたい。まず,上述したニッチ構築の概念を直接的に拡張した文化的ニッチ構築についてである。文化を定義することには,常に困難がつきまとう。文化的ニッチ構築において,通常,文化進化研究における「教示,模倣,および他の形態の社会的伝達を通じて同じ種の他の個体から獲得される,個体の行動に影響を与える情報」という,Richerson & Boyd(2005)による文化の定義4)が採用されることが多い(Richerson & Boyd, 2005, p. 5)。短くいいたい場合は,「社会学習される情報」になる。ここで,社会学習は,他個体との相互作用を通じた情報の獲得という,かなり広い意味で使われる。おそらく,Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007)の定義を,もっとも直接的に拡張しているのが,Brown & Feldman(2009)やLipatov et al.(2011)である。ここでは,文化的ニッチは「その集団がさらされている文化的選択圧の総和」である(Lipatov et al., 2011, p. 901)。ここでいう文化的選択圧は,文化人類学者によるGeertz(1973 吉田他訳 1987)をもとに,「個体がすでに内面化しているある考えが,その個体が後にさらされた他の考えを発信し,受容し,内面化することに影響を及ぼす」こととしている(Lipatov et al., 2011, p. 901)。そこで,文化的ニッチ構築は,「ある信念が,特定の信念が有意味なものとして受容されるかどうかに影響を与える」場合に起こる(Lipatov et al., 2011, p. 902)。他の定義もある。Elhanan Borensteinらは,文化的ニッチ構築を,「ある進化している文化形質が,他の遺伝的および文化的形質の進化に影響を与える文化的ニッチを形成する」こととして定義している(Borenstein et al., 2006, p. 92)。文化進化の研究は,基本的に方法論的個人主義の立場をとる。上述した進化生物学の集団的思考を引き継いでいるためである。そのため,社会の規範のような場合も,各個人の内面にあるものとしてモデル化し,それゆえの上の定義である。また,「文化的背景(cultural background)」という語が使われることもある。上述した2つの定義と異なる現象が同じ文化的ニッチ構築とよばれることもある。Jeremy R. Kendalは「文化的に獲得された行動が環境を改変する」ことを文化的ニッチ構築とよんでいる(Kendal, 2011, p. 241)。この定義では,ニッチは,必ずしも文化的な淘汰圧の総和としての文化的ニッチ(Lipatov et al., 2011)に限定されるわけではなく,進化的ニッチも含まれる。文化的ニッチ構築の具体例については,次節でとりあげる。また,後述するが,文化的ニッチという語が,文化を用いて環境に適応することが,人類の生態学的成功を支えたとする仮説として使われる場合もある。
社会的ニッチという概念もある。文化的ニッチ構築の場合と同じく,Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007)の精神をもっとも受け継いでいるのは,Lipatov et al.(2011)である。社会的選択を「社会的な役割に期待される行動」が形成されるプロセスであるとし,社会的ニッチを「社会的選択圧の総和」と定義している(Lipatov et al., 2011, p. 901)。社会的ニッチ構築は,共有された社会的役割への期待を変化させるために,社会的慣例にフィードバックが生じるときに起こる。Kendalは,Lipatov et al.(2011)と基本的には共通の概念に依拠しつつも,「構築される環境が社会システムにおける社会構造である」場合,「このようなニッチ構築の形態は文化的ニッチ構築ではなく社会的ニッチ構築とよばれることが多い」としている(Kendal, 2011, p. 245)。山岸俊男と橋本博文も,社会的ニッチ構築というアプローチを提唱している(橋本,2014; Yamagishi & Hashimoto, 2016)。この社会的ニッチは,制度であるとされる。橋本(2014)によれば,ここでいう制度とは,Aoki(2001 瀧澤・谷口訳 2001)の「自己維持的な共有信念体系」という制度観にもとづいており,「その社会を構成する他個体の予測可能な反応からもたらされる誘引のセット」と定義される(高橋他,2022, p. 141)。山岸のいう社会的ニッチ構築は,この意味での制度の構築と同義である。豊川航は,山岸らの社会的ニッチ構築を,(社会)制度を「人々がプレイするゲームの構造」として,社会的ニッチ構築を「制度を構築し,適応すべき新しいゲームへ自らをさらすこと」と表現している(豊川,2023, p. 124)。同様の定義に,Ryan et al.(2016)がある。
ニッチ「構築」に限らず,適応論的な人間行動の研究において,ニッチをもとにした概念が提唱される場合がある。Steven Pinkerは,ヒトの知性の進化を,「知識を用いた(他個体との)社会的に相互依存した生活様式」への適応によって説明しようと試みている(Pinker, 2010, p. 8993)。そして,そうした生活様式を「認知的ニッチ5)」とよぶ。高度な推論の能力,個体間のコミュニケーションや協力は,先史時代の狩猟採集生活においても適応的だったと考えられる。上述したライオンの例になぞらえていえば,ライオンの爪や牙に相当するのが,人間の認知的能力ということになる(Whiten & Erdal, 2012)。Tooby & DeVore(1987)やPinker(2010)との異同は明確ではないが,Iriki & Taoka(2012),入來・山﨑(2022),松本(2020),齋藤(2022)などが,人工環境の構築による認知能力の増大を指し,認知的ニッチ構築という言葉を用いている。認知的ニッチという言葉が,人類の知性の進化を,認知的ニッチへの適応として説明しようとする仮説として使われる場合もある(Morgan, 2016)。Boyd et al.(2011)は,この認知的ニッチの仮説に批判的である。Tooby & DeVore(1987)やPinker(2010)は,現生人類の認知能力を高く見積もりすぎであり,それだけでは地球上のこれほど広い領域に適応することはできないと主張する。Boyd et al.(2011)が代わりに重要な適応手段として挙げるのが,社会学習によって文化を蓄積させる能力である。彼らは認知的ニッチに対抗して「文化的ニッチ」仮説を掲げる。これは,上述した文化的ニッチとは必ずしも同じではないし,ときに理論(あるいは仮説)を指す場合がある(e.g., Morgan, 2016)。これは,現生人類の多様な環境への適応において,推論などの認知能力(あるいは即興的知性)が重要なのか,それとも文化を蓄積させる能力が重要なのかをめぐる対立である。
ここまで紹介してきたニッチおよびニッチ構築の概念を,Table 1および2にそれぞれまとめた。ニッチ(構築)に文化や認知といった語をつけるうえで,2つの方向性に大別できるかもしれない。1つめは,(物理的な)環境因子の空間としてのHutchinson(1944)のニッチの定義を,他の空間,たとえば文化空間も含むものに拡大する発想である。Lipatov et al.(2011)などがこれにあたる。もう1つは,ニッチとしては生態学的ニッチ(Hutchinson, 1944)や進化的ニッチ(Odling-Smee et al., 2003 佐倉他訳 2007)のままで,そこを占めるために使っている手段をつけるものである。Boyd et al.(2011)による文化的ニッチや,Tooby & DeVore(1987)やPinker(2010)による認知的ニッチはこの方向性による命名だと思われる。文化的ニッチ構築を例にとると,文化的ニッチを構築する場合と,文化的な手段により進化的ニッチを構築する場合の2つがある。Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007)の定義が諸概念の中心にあることは間違いないが,この教科書の著者らとその学統に連なる研究者たちも,異なる定義を使う場合があるため(たとえばLipatov et al., 2011とKendal, 2011),読む際には注意が必要である。また,定義について精緻化するよりは,それぞれの研究領域で広義の環境として捉えることができるものをニッチと呼称し,諸現象を包摂する方向に進んでいるように思われる。
ニッチの名前 | 定義 | 提唱した文献 |
---|---|---|
(生態学的)ニッチ | 生物体に作用する環境因子の総和 | Hutchinson(1944) |
進化的ニッチ | その集団がさらされる選択圧の総和 | Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007) |
文化的ニッチ | その集団がさらされている文化的選択圧の総和 | Lipatov et al.(2011) |
文化的ニッチ仮説 | 現生人類の多様な環境への適応において社会学習と文化の蓄積を重視する仮説 | Boyd et al.(2011) |
社会的ニッチ | 社会的選択圧の総和 | Lipatov et al.(2011) |
社会的ニッチ | 制度(その社会を構成する他個体の予測可能な反応からもたらされる誘引のセット) | 橋本(2014); 高橋他(2022); Yamagishi & Hashimoto(2016) |
認知的ニッチ | 知識を用いた(他個体との)社会的に相互依存した生活様式 | Pinker(2010); Tooby & DeVore(1987) |
ニッチ構築の名前 | 定義 | 提唱した文献 |
---|---|---|
ニッチ構築 | 生物体が現在の空間的,時間的位置において環境の因子を物理的に攪乱することにより,あるいは別の時空的アドレスに移住し,したがってみずからを別の因子にさらすことにより,環境中の1つまたは複数の因子を能動的に変化させ,それによってみずからの特徴と環境因子との関係に変更を加えるときに生じる | Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007) |
文化的ニッチ構築 | ある信念が,特定の信念が有意味なものとして受容されるかどうかに影響を与える | Lipatov et al.(2011) |
文化的ニッチ構築 | ある進化している文化形質が,他の遺伝的および文化的形質の進化に影響を与える文化的ニッチを形成する | Borenstein et al.(2006) |
文化的ニッチ構築 | 文化的に獲得された行動が環境を改変する | Kendal(2011) |
社会的ニッチ構築 | 共有された社会的役割への期待を変化させるために,社会的慣例にフィードバックが生じるときに起こる | Lipatov et al.(2011) |
社会的ニッチ構築 | 制度を構築し,適応すべき新しいゲームへ自らをさらすこと | 豊川(2023) |
認知的ニッチ構築 | 人工環境の構築による認知能力の増大 | Iriki & Taoka(2012); 入來・山﨑(2022); 松本(2020); 齋藤(2022) |
関連する概念として,ここで「ボールドウィン効果(Baldwin effect)」を紹介しておきたい(Baldwin, 1896)。ダーウィン的な進化のメカニズムに矛盾せず,表面的にはラマルク的な進化にみえる現象が生じることの説明になりうる。ボールドウィン効果において重要な働きを果たすのが,学習である。ここでは,文化進化の研究や他の社会科学の定義よりも広範で,個体が情報の獲得により,後天的に表現型を変化させることを指す。表現型可塑性に置き換えてもよい。学習には,コストがかかると想定される。ボールドウィン効果は,二段階からなる。第一段階では,学習によって,適応的な表現型を獲得した個体が,次世代に多く子孫を残すことになる。しかし,学習にはコストがかかるため,表現型は同じでも,生得的にその表現型である個体のほうが,コストの差の分有利になる。そのため,見かけ上,学習によって獲得されていた形質が,遺伝的に固定されていくようにみえる。これが第二段階である。つまり,先に表現型が変化し,後から遺伝子型が変化していくことになる。学習とニッチ構築の相互作用や,ボールドウィン効果の研究は,進化生物学のみならず,計算機科学や複雑系科学の領域でおこなわれてきた。ディープラーニングの考案者としても有名なGeoffrey Hintonらによる遺伝的アルゴリズムの研究(Hinton & Nowlan, 1987)によって基本的な枠組みがつくられ,後の研究者たちが発展させた(有田,2002, 2章)。この枠組みでは,配列中の各遺伝子は,0, 1, ?の3つの状態をとりうる。「?」は可塑的な状態であり,学習によって0にも1にもなる。配列中のすべての要素が1になった状態がもっとも適応度が高いとしよう。この枠組みにおいて,「?」を利用して適応的な表現型の個体が増えていくことがボールドウィン効果の第一段階に,「?」が「1」に置き換わっていくことがその第二段階に相当する。オリジナルのHinton & Nowlan(1987)の研究では,おそらく集団中の遺伝的多様性が減少し進化がとまったため第二段階が不明瞭であるが,突然変異を導入することでHinton & Nowlan(1987)よりも明瞭なかたちで第二段階が生じることが報告されている(有田,2002)。鈴木麗璽と有田隆也は,こうした枠組みを基本にしつつ,さらに発展させて,ニッチ構築を導入したシミュレーション研究をおこなっている。たとえば,野場他(2008)では,ニッチ構築により環境値を自身の遺伝子型値に近くする(正のニッチ構築)ことも,遠くする(負のニッチ構築)こともできる設定のもと,学習とニッチ構築の相互作用を検討している。その結果,各個体がニッチ構築をおこなう方向がばらばらであることにより環境が不安定化し,それにより学習能力が増大,続いて正のニッチ構築が増加し学習能力が減少,その後最初の状態に戻る,といったサイクルが起こることが報告されている。また,鈴木・有田(2023)では,仮想環境のなかで,仮想生物が建造物をつくるシミュレーションをおこなうことで,生態的継承の起こりやすさが進化に及ぼす影響について調べている。たとえば,仮想生物がゴール地点に到達することを目指すタスクでは,ほぼ完全な生態的継承では適応度が最大になるものの,中途半端な生態的継承では,親世代のニッチ構築がむしろ邪魔になり,仮想生物の適応度は生態的継承がない場合よりも低くなるケースも生じた。また,ブロックを作り出すことで捕食を回避するタスクでは,ブロックによる構造物と親が空間中にいた位置の両方を継承する場合に,構造物の多様性が最大になることなどを報告している。
ニッチ構築と自然選択・学習は,ある見方をすれば,対照的なプロセスと捉えることができる。各個体がなんらかの形質値を持っており,それが環境によって決まる最適な形質値に近いほど適応度が高いと考えよう。その際,自然選択によって,生物集団の形質値の分布は,世代を経るにつれて,最適な形質値に近づいていく。あるいは,学習によって,個体の一生のうちに最適な形質値に近づいていくことになる。反対に,ニッチ構築は,環境を改変することで,最適な形質値を自身のほうに引き寄せる行動となる。複雑系科学のシミュレーションは,抽象的ではあるが,さまざまな理論的な示唆を与えてくれる。たとえば,上の例では,ニッチ構築により環境が変動し,環境変動に対応する生得的な能力が進化しうると解釈することもできる。この結果は,6章で触れるWilson(1991)やLaland(2017 豊川訳 2023)による,新しいイノベーションの創出が新しい選択圧を生み出し,遺伝的変化を駆動するという仮説と共通する部分がある。
最後に,拡張された進化の総合説にも触れておきたい。現在,進化生物学において主流なのは,「進化の総合説」とよばれる,集団遺伝学を基礎に置き,古生物学や分類学,生態学などを取り込んだパッケージ,あるいは学問的動向である。成立したのは1930~40年代であるが,それ以降も,木村資生の中立説などを取り込み,修正と拡張を続けている。進化とは継承される情報システム全般に起こりうる現象だが,ここでは遺伝的継承が中核に据えられている。他方,Kevin N. Lalaをはじめとするニッチ構築の研究者たちは,遺伝以外の継承の重要性を訴え,「拡張された進化の総合説(EES)」を唱えている(Laland et al., 2015)。EESでは,遺伝的継承以外の継承——文化的継承,生態的継承,エピジェネティクスなど——の重要性を強調する。また,表現型可塑性や,ニッチ構築も,EESのなかでは重要な地位を占めている。EESの世界観のなかでは,個体の発生から生態系,進化までの異なるタイムスケールにおいて,さまざまな要素が多数の相互作用の糸でつながっている。影響は双方向的であり,したがって多数のフィードバック・ループのなかに生物は存在していることになる。EESは単なるモデルというよりは,研究者の哲学としての側面があり,研究プログラムといったほうが適切だろう。こうした側面は,理論としてのニッチ構築にも存在しており,おそらくではあるが,人文・社会科学において好意的に受け取られる理由の1つになっている。
整理をかねて振り返りたい。ニッチは資源利用のパターンなども含む広義の「環境」であり,文化的・社会的ニッチ構築の対象には物理的な実体を持たないものも含まれる。そうした広義の環境を改変し,選択圧を変化させるのがニッチ構築である。進化生物学におけるニッチ概念のみならず,認知的ニッチ,文化的ニッチ,社会的ニッチといった,多様なニッチ概念がある。注意が必要なのは,「認知的ニッチ」や「文化的ニッチ」が,広義の環境としてのニッチではなく,仮説の名前として使われることもあることである。ニッチ構築理論という言葉も,なにかのモデルを指す場合もあれば,さらに俯瞰して,生物や環境のさまざまな相互作用とフィードバック・ループを拾い上げていく研究哲学やアプローチを指す場合もある。以下では,ニッチ構築研究の歴史に簡単に触れるとともに,進化生物学コミュニティにおける反応について紹介する。
2.2 学史と進化生物学における反応ニッチ構築の学史についても簡単に触れておきたい。ニッチ構築の概念を確立したのは,Odling-Smeeとされる。しかし,発想の大元としては,Richard Lewontinが挙げられることが多い(Odling-Smee et al., 2003 佐倉他訳 2007; Riede, 2019)。その理由は,ニッチ構築の研究者が強調するような,生物は環境から影響を受けるが逆はないという非対称性を前提とした「古典的」な見方に反し,生物も環境に影響を与えうるという視点を提示したためである。Lewontinは,遺伝学者だが,社会生物学論争においてEdward Wilsonと対立したことや,政治活動に非常に熱心であったことでも知られている6)(Segerstrale, 2000 垂水訳 2005)。「適応主義」への批判として,Stephen Gouldの名前が挙がるが,「スパンドレル論文」の共著者がLewontinである(Gould & Lewontin, 1979)。1980年代から,Odling-Smeeや,Henry Plotkinらによって,ニッチ構築という用語は使われていないにしても,基礎となる概念が提示されている。Riede(2019)はまた,Luigi Luca Cavalli-SforzaやMarcus W. Feldmanによる文化進化の研究が1970年代の後半から進められていたことが,ニッチ構築が理論的に形成されるために重要であったと述べている。1980年代の後半になって,Odling-Smeeによって,Lewontinに由来する環境と生物の非対称性を疑問視する進化観と,文化進化研究の数理的なフレームワークが合わさって,現代のニッチ構築の基礎的なスタイルができたとされる。Odling-Smeeとともにニッチ構築の教科書を執筆したのが,文化進化研究の創始者のひとりでもあるFeldmanと,Plotkinの学生であり,ポスドク時代にFeldmanと共同研究をおこなっていた,Lalaである。Lalaは,現在もニッチ構築研究を主導している。彼らがさらに,ニッチ構築をはじめ,発生学などの成果も取り入れ,親から子への遺伝子の継承以外の広範な「継承」を取り込んだ,「拡張された進化の総合説」を提唱しているのは,上で述べたとおりである(Laland et al., 2015)。
しかし,進化生物学において,ニッチ構築を中心に置く進化観は,かならずしも主流派にはなっていない。ニッチ構築に対する批判として,先行する「延長された表現型(extended phenotype)」概念を用いるだけで十分ではないか,というものがある。ビーバーの巣のような構造物も,形態や行動といった形質と同様の表現型として扱えるというものである(Dawkins, 1982 日高他訳 1987)。Odling-Smee et al.(2003)も,ニッチ構築が「延長された表現型」概念と類似していることは認めているが,この批判に対して,「延長された表現型」概念は,環境と個体のあいだのフィードバック・ループを十分に記述していないと応答している7)(Odling-Smee et al., 2003 佐倉他訳 2007, p. 25)。また,延長された表現型として生物の行動を捉えると,それは比較的短い時間スケールでその生物の適応に寄与していることを暗黙の前提にすることになる。ヒトが生み出す道具も,延長された表現型の一種だとみなすことができる。たとえば,Iovita et al.(2021)は,石器も延長された表現型だとみなすことができると述べているが,他方で,延長された表現型ではなくニッチ構築の視点をとる利点の1つとして,人工物に短期的な適応上の有利さを期待しなくても良いことを挙げている。
拡張された進化の総合説(EES)をめぐる論争が近年盛り上がりをみせている。Laland et al.(2014)は,賛成派・反対派両方の見解を掲載した論文である。EES反対派の批判は多岐にわたる。そこにはたとえば,EESの擁護者たちが使う言葉が,もともと進化生物学にあった概念に新しい名前をつけているだけとするものがある。それこそDarwinが,ミミズによる土壌の攪乱についての研究をおこなっており,ニッチ構築はその時点から概念的には存在したというのである。また,遺伝子を中心に据え,物理的な実体のあるものを対象にした実証研究の重要性を説く。Laland et al.(2014)で,EES批判側の文章は,Darwinがミミズの研究を発表し,その重要性を説くために,40年間データを集め続けたことで締めくくられる。Laland et al.(2014)以降も批判と応答は戦線を拡大しつつ続いており(Charlesworth et al., 2017; Feldman et al., 2017; Gupta et al., 2017; Pigliucci & Finkelman, 2014),なかには,ニッチ構築理論の提唱者たちは,「アカデミック・ニッチ」を構築しているという辛辣な主張をするものもある(Gupta et al., 2017)。
あくまでも傾向であるが,EESの支持者は理論家や哲学者が多く,批判者は実証研究者が多い。ここには,ニッチ構築をただ現象として捉え実証可能性に関心を持つか,あるいは,もう少し広い研究のスタンスや世界の見方の指針のような側面まで含めるかの違いもあるように思われる。Lalaらは,ニッチ構築の実証性を軽視しているわけではないだろうが,同時に研究者コミュニティ全体に新しい視点を与える,いわば仮説の生成能力もまた重視している(Laland & O’Brien, 2011)。また,微細な相互作用をすくい上げようとすればするほど,あらゆることをニッチ構築として捉えられるようになる。しかし,そうした相互作用は,実際には存在するとしても,その適応度への影響を実証するのは容易ではない。このことを適用範囲の広さや柔軟性とみなすこともできるであろうし,なんでも言える理論は何も言っていないことに等しいとみなす立場もあるだろう。計測技術の発展と同時に,観念的な進化観を切り捨て,理論上の存在でしかなかったものの物理的な実体を突き止めることで実証主義を強めてきた進化生物学のコミュニティからすれば,受け入れ難いのはある意味当然といえるかもしれない。両者のあいだの乖離を埋めるのは簡単ではないように思われる。
ここまでは,ニッチ構築に関わる基礎的な用語を概観するとともに,進化生物学においてニッチ構築理論や拡張された進化の総合説(EES)が,必ずしも好意的に受け入れられていない現状について紹介してきた。その一方で,筆者の印象ではあるが,人文・社会科学分野ではむしろ,少なくともこれまでの進化理論に比べれば,ニッチ構築理論やEESが好意的に受け取られ,各分野に取り入れようとする試みがなされている。本節では,特に人類史に関連する論考における,ニッチ構築理論の有効性についての言及を紹介する。
Iovita et al.(2021)は,考古学分野において,ニッチ構築を導入する意義を3つ挙げている。第一に,遺伝的・文化的継承に加えて,生態的継承が導入されることがある。たとえば,ピラミッドや前方後円墳といったモニュメントは,世代を超えてその場に存在し続ける。これは,生態的継承の一例とみなすことができる。こうしたモニュメントを,当時のひとびとも視認しつつ生活していたと想定されており,社会の統合やイデオロギーの形成などの機能を果たしたと考えられる(松本,2020)。あるいは,定住がはじまると,防御施設を備えた集落がうまれる。日本の弥生時代の環濠集落はその一例である。こうした防御施設は実際に集団間の争いの際に果たす機能と同時に,自集団と他集団の境界を定める。緊張関係が物質化し埋め込まれた環境で生活することは,ひとびとの認知に影響を与える可能性がある。現代であっても,生態的継承は起こっており,人間の認知に影響を与えている可能性がある。東日本大震災の後,太平洋側の東北地方の都市の多くに,大型の堤防が築かれた。そのことで,生活のなかで海を視認する機会は減っている。人間と海との関係性がどのように認知されているのかにおいて,変化が起こっている可能性がある。Iovita et al.(2021)はさらに,こうした考えが考古学にとって有用なのは,当面は適応的な有利さが期待できないような人工物であっても,進化的な意義を考慮することができることだとしている。
第二に,Iovita et al.(2021)が挙げるニッチ構築理論の利点はヒトの「エージェンシー(行為主体性)」を扱えることだとする(Riede(2019)およびSmith(2013)も参照)。1960年代から,それまでの文化史的な考古学ではなく,「科学」を志向する人類学としての考古学を目指す動向が起きた。そうした動向は,プロセス考古学として結実し,文化的な適応,すなわち生態学的な側面を重視している(阿子島・溝口,2018)。阿子島(2018)は,このプロセス考古学に対して人間を「生存を目的とした食うや食わずの存在として矮小化している」という,環境に対して受動的で翻弄される人間像を描くことに対する批判があったことを振り返っている(阿子島,2018, p. 178)。ニッチ構築に必ずしもエージェンシーが必要なわけではない。しかし,進化的な枠組みのなかに埋め込まれた人間のエージェンシーの反映として,少なくともニッチ構築は納得してもらいやすい概念ではあるだろう。あるいは,人間の選択によって社会(または環境や世界)が変わりうるのだという点で通底するものはあるのかもしれない。最後に,遺伝・文化・生態的継承の3つの継承システムのあいだのフィードバックループについての,検証可能な仮説を構築できることを挙げている。
しかし,ニッチ構築を取り入れているすべての考古学者がIovita et al.(2021)と同じ意見なわけではない。Ian Hodderは,科学を指向する「プロセス考古学」を批判し,人文学的な「ポストプロセス考古学」の旗手となり,以来考古学理論を先導し続けている研究者である。Hodderは,存在論的転回や,関係論,脱人間中心主義的な視点から,ヒトとモノの相互作用を分析する「エンタングルメント」のアプローチと,ニッチ構築に親和的な部分があるとして言及している(Hodder, 2012 三木訳 2023)。文化人類学やそれに親和的な考古学を中心とした,存在論的展開や関係論的な研究動向において,ニッチ構築はおおむね好意的に受け入れられているようである(中尾,2021)。こうした動向が依拠する重要な理論の1つが「アクターネットワーク理論」である。アクターネットワーク理論は,科学技術社会論や科学人類学の分野を中心に提唱された(Latour, 1987 川崎・高田訳 1999; Latour, 2005 伊藤訳 2019)。人間と,実験器具などの人工物や実験動物との関わりは,科学という営為において重要な働きをしていることが指摘される。アクターネットワーク理論においては,人工物やヒト以外の生物も,人間と非人間の区別なく,アクターとされ,動的なネットワークのなかに位置づけられる。力点の置き方は研究者によって異なるが,モノの重視など脱人間中心主義的な視点が特徴として挙げられる。Schultz(2015)は,社会科学からニッチ構築への批判に答えたKendal(2011)に対するさらなる応答である。批判も述べられているが,ニッチ構築理論が文化人類学とより良い関係をむすぶために,アクターネットワーク理論と接続させることを提案している。
心理学に関連しても,ニッチ構築に関するさまざまな試みがある。上で述べたように,Yamagishi & Hashimoto(2016)が「社会的ニッチ構築」仮説を提唱している。高橋他(2022)はまず,社会科学の本質を「個々人の心や行動等のマイクロな要因がマクロな社会現象を引き起こしてしまうプロセスについての学問」であるとし(高橋他,2022, p. 136),心と環境の動的な相互作用をつなぐ理論として,「遺伝子・文化共進化理論」「三元ニッチ構築理論」「社会的ニッチ構築」の3つを紹介している。後二者のニッチ構築を冠する理論については本稿の後半でとりあげる。後述するように,遺伝子・文化共進化理論も文化的ニッチ構築と関連がある。また,Kendal(2011)は,文化的ニッチ構築理論と,社会学や認知科学の理論との接続を試みている。
さらには,ニッチ構築と人新世をつなげようとする試みも増えている(Boivin et al., 2016; 入來・山﨑,2022; Riede, 2019)。人新世とは,人類の諸活動が地球環境に甚大な影響を与えているこの半世紀ほどを指す地質学的区分である。質的に違うものとして捉えられることの多い現代の人間の環境破壊を,個々の行動のレベルでは,先史時代の社会や他の動物と連続したものとして捉えるということになる。人間活動が環境に及ぼす影響が,かなり長期にわたって持続することが共有されつつあり(Boivin et al., 2016),有効な視座を提供できる場面があるかもしれない。
上述したように,ニッチ構築が人文学・社会科学のなかで受け入れられる理由にはさまざまなものがある。そのため,さまざまな対象が,文化的ニッチ構築として扱われている。ここでは,特に集中的に研究されてきた農耕と人口減少の2つをまず紹介し,その後その他の試みについて触れることにする。
4.1 文化的ニッチ構築としての農耕長らく文化的ニッチ構築の代表とされてきたのが,農耕である(Altman & Mesoudi, 2019; O’Brien & Laland, 2012; Rowley-Conwy & Layton, 2011)。農耕は,およそ1万1千年前以降,世界のさまざまな地域で独立に発生した。上述したLalaらが好んで挙げる事例が,西アフリカのクワとよばれるひとびとによるヤムイモ栽培である。彼らは,畑をつくるために森林を切り開くが,そのことによって水たまりが増え,そこにマラリアを媒介する蚊が繁殖することになる。その結果,マラリアに罹患する危険性は高まる。ヤムイモ栽培に伴うさまざまな活動は文化的な営為であるため,これは文化的ニッチ構築である。この地域のひとびとは,鎌状赤血球をもたらす遺伝子の頻度が高いことが知られている。鎌状赤血球はマラリアへの耐性を強めるが,血管に詰まりやすく,鎌状赤血球貧血症をもたらすため,この遺伝子がホモ接合の場合は死に至ることもある。しかし,鎌状赤血球はマラリア原虫に侵入されても,脾臓でマラリア原虫とともに排出される。そのため,鎌状赤血球をもたらす遺伝子を持つことは,マラリアへの対抗手段となる。対抗手段としての有利さと,鎌状赤血球貧血症になるリスクとのバランスで,マラリアが蔓延している環境においては,この遺伝子を持たない場合よりも,ヘテロ接合の場合のほうが,適応度が高いと考えられている。これは,文化的ニッチ構築によって改変された環境からの選択圧が変化し,鎌状赤血球をもたらす遺伝子を持つことが有利になったケースだと考えられる。
ある文化形質と遺伝的形質との共進化を,遺伝子・文化共進化とよぶ。遺伝子・文化共進化の例として,酪農と乳糖耐性の共進化がよくとりあげられる。アフリカおよびヨーロッパの集団で,成人後も牛乳を大量に飲める人がおり,それは乳糖耐性遺伝子による。乳糖耐性遺伝子は,牛乳を飲む習慣がない社会では中立あるいはコストを伴うと考えられるため,酪農が存在してはじめて適応的になるはずである。上述したクワ語族のヤムイモ栽培の例も,遺伝子・文化共進化の例としてモデル化することはできる。ヤムイモ栽培をすることで,マラリアに耐性を持つ鎌状赤血球をもたらす遺伝子が適応的に有利になる。しかし,上でみたように,実際は,森林伐採により水たまりが増え,そこでマラリアを媒介する蚊が繁殖するという段階を経ていることになる。言い換えれば,全体的の因果関係を記述あるいはモデル化する際に,遺伝子・文化共進化の枠組みでは,多様な関係性を畳み込み,遺伝子と文化の相互作用に押し込んでいるということになる8)。
クワ語族によるヤムイモ栽培の事例に限らず,農耕は文化的ニッチ構築だとみなすことができる。動植物を環境とみなせば,家畜化・栽培化は,環境をつくりかえることにほかならない。食料や労働力として利用することで,人間に及ぼす選択圧を変化させている。また,人獣共通感染症の危険が増したり,利用する食料の種類が減ることで,健康状態は悪化したケースが多かったと考えられている(田村,2023)。さらに,農耕の開始と,社会的・認知的な変化を結びつける考えもある。ニッチ構築の文脈でいえば,Lansing & Fox(2011)は,インドネシアのバリにおける灌漑システムの存在が,集会や信仰などに影響を与える選択圧を変化させていると論じている。ニッチ構築の文脈を離れても,農耕の原因にしろ結果にしろ,社会的・認知的な変化が起こったとする主張は数多い。というのは,まず,農耕に先立つ定住化の段階で,排泄物を処理したり,集団内の社会的不和を解消するために,その場から移動する以外の選択肢をとらなければならない(西田,2007)。農耕が開始された後も,食料生産や社会の維持のために,集団内で協力する必要が生じる。資源や貯蔵している余剰生産物をめぐって近隣の集落と戦うことになるかもしれない。こうした社会的変化が,認知的変化や,さらなるニッチ構築に結びつく可能性はあるだろう。
また,農耕が文化的ニッチ構築の典型例ではあるが,狩猟採集社会がニッチ構築をおこなっていないと考えるのも誤りである。火の利用や,狩猟などを通じて,自然環境を改変している例が知られている(Riede, 2019; Rowley-Conwy & Layton, 2011)。
4.2 文化的ニッチ構築の帰結としての人口減少上述した農耕の例では,改変される環境の中心は,生態環境である場合が多く,物理的な実体を伴っている。もちろん,そうでない例もある。1990年代後半から,進化や適応の概念を軸に据えた人間行動の研究分野——人間行動生態学,進化心理学,文化進化など——で,人口転換や人口減少についての研究が盛んにおこなわれるようになった。人口転換とは,工業化に伴い,まず死亡率が下がり,その後出生率が下がる現象である。より多くの子どもを育てられるように思える状況で繁殖を停止するということは,素朴に考えると非適応的行動である。また,「two-child norm」とよばれる,カップルが望む子ども数が二人に極端に偏る現象も知られている(Morita et al., 2016)。そのため,この一見すると非適応的なこの行動を,適応論的な人間観と矛盾せずに説明することが試みられてきた(Borgerhoff Mulder, 1998; Colleran, 2016)。古典的な行動生態学における最適化の観点からの説明も試みられたが,現在では,多くの研究者が,社会的な影響が少なくとも一定以上の役割を果たしていることを認めている。そして,2000年代から継続して,Feldmanのグループが中心となり,文化的ニッチ構築の観点から少子化を説明するための理論研究が続けられている(Denton et al., 2023; Fogarty et al., 2013; Ihara & Feldman, 2004)。実証研究において,教育水準の高さと家族計画や避妊具の普及度のあいだの相関が報告されている。そのため,こうしたモデルでは,教育水準を形成された文化的ニッチと捉え,それが避妊具の普及などの他の文化形質の伝達に影響を与えることを仮定している。いってしまえば,教育水準が高い社会では避妊具や小規模な家族への選好性が普及しやすく,それによって人口転換が起こるという筋書きである。前者が後者への選択圧を変化させている。ここでいう教育水準がどのような働きを果たしているかを説明するために,Cavalli-Sforza & Feldman(1981)の,伝達の経路という概念について紹介したい(田村(2020)も参照)。(生物学的な)親から子への伝達を垂直伝達,親以外の前世代の個体から次世代の個体への伝達を斜行伝達,同世代の個体間での伝達を水平伝達とよぶ。垂直伝達は遺伝と同じ伝達様式であり,水平・斜行伝達があるからこそ,文化形質は遺伝的な形質よりも急速に集団に広まると考えられている。Feldmanらのモデルの重要な仮定は,教育水準の上昇により,垂直伝達以外の伝達経路により,文化形質が伝達される確率が上がることである。たとえば,学校などを想定してほしい。Ihara & Feldman(2004)は,教育への高い志向性の有無が垂直伝達され,集団中の高い志向性を持つ個体の頻度を教育水準だとみなしている。そして,集団の教育水準が上がると,成熟前の子どもの死亡率も低下すると仮定する。このモデルでは,同時に,繁殖を犠牲にするが,社会的地位を追求する行動についても考慮されている。集団中の教育水準が上昇するにつれて,この地位追求行動が斜行伝達される確率も上がる。したがって,教育水準は,子どもの死亡率を下げる働きと,地位追求行動の斜行伝達率を上げる働きをしている。一定のパラメータの領域において,教育水準が上がるとともに子どもの死亡率が下がり,その後出生率が下がるという,現実にみられる死亡率の低下と出生率の低下のあいだのタイムラグが再現できている。出生減少の要因として文化伝達に注目する研究は古くからあったが(たとえばCoale & Watkins, 1986),少子化に直接関連する信念のみならず,その伝達に影響を与える文化的要因(教育水準)も同時に考慮していることで文化的ニッチ構築を取り入れており,それによって現実にみられるタイムラグを説明しているということになる。Colleran et al.(2014)は,ポーランドの実データを用いて,共同体レベルの教育が出生減少に影響していることを示し,「個人を超えた文化ダイナミクス」の重要性について論じている。
直接的にニッチ構築と言及されてはいないが,社会・文化環境が出生減少に影響を与える可能性は他にも指摘されている。Alvergne et al.(2011)は,エチオピアにおける避妊具の普及に,どういった宗教的なグループに属しているのかが影響を与えていることを報告している。Mace(2014)は,どういった宗教的なグループに属するのかによって,避妊具を使用するコストとベネフィットが変わるためだという解釈を提示している。1966年,日本の出生率は,前年比で約25%減少した。これは,「丙午生まれの女子は配偶者として適切ではない」とする迷信の影響が大きかったと考えられている。出生減少に地域差があることや,出生減少の程度が高い県が空間的なクラスタをつくっていることから,文化伝達が一定以上の役割を果たしていることが示唆されている(Tamura & Ihara, 2017)。当時は人口増加に歯止めをかけるという応用面の期待もあったようで,さまざまな調査がおこなわれているが,子どもをもうけるかどうかの意思決定において,当事者たちは必ずしも迷信を信じていたわけではないようだ(たとえば山下,1967)。親や,近隣の住民といった「社会環境」を構成するひとびとが,迷信を信じ,それによって我が子が不利益を被ることを恐れていたことを示唆する報告がなされている。1966年の出生減少では,関西地域において出生減少の程度が大きかった。素朴に考えれば迷信を信じなさそうな都市部であっても出生減少が起こっていることを説明するために,井下他(1977)は,他地域からの移住によって人口が増加しつつあり,近隣に見知らぬ人が増えていくような社会環境では,隣人の内面を推測するのが難しいため,子どもをつくるのを控えたという可能性を検討している。上記のような例は,迷信や避妊具といった新しい文化形質が普及することで文化・社会環境は改変され,繁殖に関わるコストやベネフィット(選択圧)は変化しうるが,その程度は,宗教や流動性といった既存の文化・社会環境を特徴づける要因との相互作用次第であるということを示唆している。
4.3 その他の事例上で述べた二例ほど集中的・体系的に研究されているわけではないが,文化的ニッチ構築の他の事例も紹介したい。さまざまな現象が文化的ニッチ構築として捉えられている。Iovita et al.(2021)は,石器を狩猟などのニッチ構築の残存物だとみなし,それが上で述べた4種類のニッチ構築を研究するための手がかりになりうることを論じている。松本(2020)は,モニュメントとニッチ構築の関係について議論している。モニュメントとは,象徴的な人工物のうち,ある程度以上の規模のものを指す。象徴的な人工物自体は,旧石器時代から存在し,現代人的行動の一部だとされている(McBrearty & Brooks, 2000)。しかし,こうした人工物は比較的小型である。モニュメントに区分されるには,一定期間以上,一定の数以上の人間が計画をたて協力しなければ建造できないことが想定されている。松本(2020)はまず,大規模なモニュメントが建造される紀元前3000年以降,当該地域であるヨーロッパ,エジプト,中南米,日本などにおいて,人口増加が加速していることに注目する。そしてその理由を「それまでにない生き方を可能にするような新たな環境を作り出し,それによって人間の思考,行動,社会関係も大きく変化したこと」に求め,「モニュメント構築が重要な役割を果たした」可能性を検討する(松本,2020, p. 219)。言い換えれば,ニッチ構築により形成された環境に適応することで,人間の認知に起こった変化が,人口増加の原因だという主張である。
モニュメントの構築は,生態学的なニッチ構築の観点からみれば,木材の伐採や土砂の運搬,地形の改変など,大幅に景観に影響を与える。松本はさらに,モニュメントが存在することで,認知的なニッチ構築がおこなわれるとする。その結果,「過去に対する認識の深度が深まったり,あるいは時間の流れかたを天体の運行などと関連付け」ることで,「精緻化された時空間認知の構築が可能となり,より体系化された世界観が生まれる」と述べている(松本,2020, p. 223)。また,格差や社会規範,宗教といった,社会的認知の変化にも関連している可能性を示唆している。さらに松本(2020)は,平等主義的な狩猟採集社会から,階層の存在する社会への以降において,モニュメントが果たした機能についても議論している。Haidt(2012 高橋訳 2014)の道徳の基盤が複数あるとする考えを援用し,どの道徳的規範が重視されるかに,モニュメントが関与しているとする。まず,狩猟採集社会においては,権力者により大量の労働力を動員することは難しいため,長い時間をかけてすでに共有されている社会規範を物質化している可能性が高いとする。その例として,縄文時代中期の岩手県西田遺跡の環状集落をとりあげる。この遺跡は,共同体の中心に墓があり,出自に基づいて埋葬できるエリアが決まっていたと推測されている。当然ながら,そのような墓域が形成されるには数世代を要するため,「長期的に埋葬関係が空間的に物質化したものとしてみることができる」(松本,2020, p. 226)。そして,当初は平等主義的な規範を維持しつつ,社会統合を達成するためのモニュメントの構築が,その過程で意図されない結果を生み,それを意図的に利用して権力を得ようとする個人によって,平等主義が崩壊する可能性を提示している。
松本(2020)の議論の前提となっているのは,人間の認知は個体の脳内で完結するのではなく,人工物や環境との身体を通じた相互作用によって形成されるとする考古学における理論である(Clark, 2004; Malafouris & Renfrew, 2010)。そして,文明形成を「人工的環境の構築によって,生得的な認知傾向に依拠しつつ,それを上書きして新たな認知システムを構築してきたプロセス」とする(松本,2020, p. 222)。松本(2020)でも述べられているように,まだデータを集め実証を待つ段階である。しかしながら,文明形成という人類史的なスケールの現象を,認知プロセスから説明しようとする点は,心理学のさまざまな領域と接点をもちうるアプローチであると考えられる。
Boivin et al.(2016)は,ニッチ構築とみなせる先史時代からのさまざまな人間活動が,動植物の分布に甚大な影響を与えていることを示している。日本列島を対象にした研究であるFukasawa & Akasaka(2019)は,集落や製鉄遺跡が現在の哺乳類の分布に与える影響を調べている。その結果,製鉄遺跡の存在が小型哺乳類の多様性を減少させるとともに,特に近世のものは中・大型哺乳類の多様性を上昇させうること,その影響が古墳時代から続いている可能性が示唆されている。製鉄に伴い,燃料にするための森林の伐採や,鉱石の採掘のために,原生林が破壊され,二次林や草原が形成される。小型哺乳類はそこに生息することができなくなるが,ノウサギ,タヌキ,イノシシといった中型哺乳類はそこに進出してきたと解釈される。製鉄に伴うさまざまな(Kendal(2011)の意味での)文化的ニッチ構築が,景観を改変することで,採餌行動をはじめとする,製鉄以外の人間と自然との相互作用も影響を受けた可能性はあるだろう。また,現在は製鉄をおこなっていなくとも,古墳時代や中世の製鉄遺跡の影響が残っているということは,生態的継承の時間スケールの長さを示す事例にもなっている。
2節で述べたように,Lipatov et al.(2011)に従えば,構築される環境が「社会システムにおける社会構造である」場合,社会的ニッチ構築とよばれる。文化形質が関連するため,文化的ニッチ構築に含めることもできるが,信念や技術一般というよりは,集団(社会)の構成員間の相互作用や役割を規定する要因であることを強調している。Shennan(2011)は,私有財産制の誕生を社会的ニッチ構築として捉えている9)。私有財産制が確立された社会では,経済格差が拡大する可能性が,それがない社会に比べて高まることになる。同時に,拡大した経済格差も,社会的ニッチとみなすこともできる。したがって,私有財産制がある社会とない社会とでは,適応的な繁殖戦略が異なる可能性がある。私有財産制との関連で,Bowles & Choi(2013)のシミュレーションも紹介したい。農耕の開始は人口増加や格差の拡大につながる人類史の画期だが,特に最初期には,平均すれば人口増加への寄与は限定的だったと考えられている(田村,2023)。彼らのシミュレーションは,タカハトゲームを拡張したもので,ブルジョワ戦略が私有財産制を表している。狩猟採集民の平等主義的な傾向は(紛らわしいが)「市民」戦略として表され,資源を平等に分配し独占しようとする個体に罰を加えようとする。最初,集団は狩猟採集をおこなう「市民」で構成されており,そこに農耕をおこない私有財産制をとるブルジョワが侵入できるかどうかを調べている。その結果,農耕の人口増加におけるアドバンテージが大きくなくても,私有財産制との共進化によって農耕が広まりうることを報告している。このシミュレーションにおいて,制度は明示的に社会的ニッチとして定義されてはいないが,社会で採用されている制度によって適応的な生業(Bowles & Choi(2013)の言葉を借りればテクノロジー)が変わりうることを示唆している。
山岸(2018)は,「制度という環境のなかでヒトは生きる」と語る。すでに社会学的社会心理学の複数の論考でとりあげられているため,ここでは簡単に紹介するだけに留めるが,2節で述べたように,山岸らは「社会的ニッチ構築」仮説を提唱している。ここでは,制度という言葉は,「その社会を構成する他個体の予測可能な反応からもたらされる誘引のセット」として使われている。社会的ニッチ構築の例として,日本を一例として想定する集団主義的な社会(ニッチ)と,米国を想定する個人主義的社会(ニッチ)との比較がある。集団主義ニッチでは,自集団の内部とのみ協力的な社会的相互作用をおこなうことで,集団の外部の「信用できない」個体との相互作用を避け,損失を回避することができる。他の多くの個体が,自集団としか協力的な相互作用をおこなわないのであれば,それにならうのが適応的である。同時に,自身がそうふるまうことが,他者も自集団のみへの協力をおこなうことが適応的な環境をつくることになる。他方,たとえば技術の発展などで,自集団の外から情報を得ることが,適応上のメリットをもたらすような状況もあるだろう。個人主義的な社会においては,外集団であっても協力的な相互作用をおこなうことが適応的になりうるし,外集団であっても信頼することは,外集団であっても協力的な相互作用をおこなうことが適応的な社会を構築することに寄与する。そして,個人主義的な社会においては,集団主義社会で重要な評判よりも,一般的な法制度が秩序を生み出すのに重要な役割を果たす。山岸らによる社会的ニッチ構築の概念は,Lipatov et al.(2011)の定義と,広い意味での社会の特性が,ミクロとマクロの相互作用によって構築されるという点では共通性がある。他方,少なくとも,文化進化の研究の延長線上で,個体間の文化伝達を明示的な前提としているかどうかにおいては違いがあるように思われる。
小田亮は,「集団における互恵的な関係は,集団のメンバーにとっての一種の社会環境とみなすことができる」として,互恵性に関連する規範の教育を,ニッチ構築とみなす視点を提唱している(小田,2023, p. 21: Oda(2021)も参照)。ここで教育は,進化的な視点から教育を捉えたCaro & Hauser(1992)に従い,以下のように定義されている(訳文は安藤(2023)による)。(1)ある個体Aが経験の少ない観察者Bがいるときにのみ,その行動を修正する。(2)Aはコストを払う,あるいは直接の利益を被らない。(3)Aの行動の結果,そうしなかったときと比べてBは知識や技能をより早く,あるいはより効率的に獲得する。あるいはそうしなければ全く学習が生じない。この定義に従えば,教育も一種の利他行動である。しかし,小田は,「教師が教育によって互恵的な関係のニッチを構築できるのであれば,その利益はコストに見合うものになる」と論じている(小田,2023, p. 22)。小田(2023)はまた,彼の互恵的利他主義に関わるニッチ構築と,Yamagishi & Hashimoto (2016)の社会的ニッチ構築のモデルとの類似性も指摘している。その一方で,Yamagishi & Hashimoto (2016)のモデルにおけるニッチ構築は,社会の構成員の行動を予測し,そこで適応的にふるまうことであり,意図されたニッチ構築ではないという点で無意識的であるのに対し,小田(2023)のモデルにおけるニッチ構築である教育は意識的である点に差異を見出している。
ヒトは他の生物と比較して特異だとされる。道具や言語を生み出す知性などはある意味「過剰」なものとして捉えられる。そうした「過剰さ」を説明するために,近年では,ニッチ構築に限らず10),なんらかの正のフィードバックループが想定されることが多い(Pinker, 2010; Whiten & Erdal, 2012)。そして,上述したように,ニッチ構築は,エージェントと広義の環境との間のフィードバックループを重視する見方である。おそらくそうした理由から,近年,人類進化に明示的にニッチ構築を取り入れる試みが増えつつある。他方,ニッチ構築が,人類進化のどの段階から重要な役割を果たしてきたのかについては,諸説ある。そこでまず,人類の進化について簡単におさらいしたい。
ヒトとチンパンジーが共通祖先から分化したのは,約700万年前だとされる。その後のヒトにつながる系統樹の枝に属する種を人類と呼称する。ヒトの生物学的特徴として,大型の脳と直立二足歩行が挙げられることが多い。アウストラロピテクス属などの脳容量は,共通祖先と大きな違いはなかったと考えられており,脳の顕著な大型化の傾向もみられない。しかし,約280~250万年前に,脳容量はそれまでと比較して急速に拡大する。脳容量が拡大した種をホモ属とよび,ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)や現生人類(ホモ・サピエンス)も含まれる。卵が先かニワトリが先かのような議論はあるものの,この脳容量の増大と石器製作とが結びつけられることは多い。現生人類が現れるのは,30~20万年前である。現生人類は当初,アフリカにのみ生息していたが,約7~6万年前にアフリカを出て(出アフリカ),世界中に拡散した。約4万年前に,ヨーロッパに生息していたネアンデルタール人は絶滅した。現生人類の拡散と関係があると推測されているが,直接的な闘争の証拠はなく,なぜ脳容量としては現生人類を上回るネアンデルタール人は滅び,現生人類は生き残ったのか,原因をめぐる議論は続いている。ネアンデルタール人の絶滅後も,現生人類は拡散を続け,脊椎動物としては他に類を見ない広範な生息域を達成している。
Laland(2017 豊川訳 2023)は,彼らの自身の研究成果を盛り込みながら,さまざまなフィードバック過程によってヒトの特異性が形作られたことを主張している。基礎となっているのは,Allan Wilsonの文化駆動仮説である(Wilson, 1991)。適応的なイノベーションが集団中に存在するのであれば,それを模倣する社会学習能力が有利になるはずである。社会学習の能力や,イノベーションを生み出す個体学習の能力と,脳のサイズが関連していることはありそうである。そうだとすれば,文化を生み出し模倣する能力が高まると,フィードバックループが回り,脳のサイズが増大することになる。加えて,新しいイノベーションを頻繁に生む生物は,特にKendal(2011)の意味での文化的ニッチ構築を連続的におこなうことになるため,新しい選択圧にさらされ続けることになる。そのことは,社会学習のみならず,新しい行動・身体的な形質の進化を促す可能性がある(2章でとりあげた学習とニッチ構築の相互作用についても参照)。そして,特に人類においてこの文化駆動が強力に働いた理由を,教示と言語によって文化伝達の忠実性が向上し,蓄積的な文化進化が可能になったことに求めている。近年,ヒト以外の動物においても,蓄積的文化進化が報告されているが,Mesoudi & Thornton(2018)は,ヒトの蓄積的文化進化の特殊性としてオープンエンドであることを挙げている。また,Laland(2017 豊川訳 2023)は,農耕の開始と,文化進化速度の上昇についても論じている。狩猟採集という生業とそれに基づく生活様式や社会構造は,人口が少なかったり,道具を持ち歩かなければならなかったりと,農耕社会と比べると,蓄積的文化進化が起こりにくいとする。農耕が軌道に乗ると,人口の増加や分業により,つぎつぎに新しいイノベーションが生まれ,進化的・文化的ニッチが改変されて選択圧が変化し,新しい遺伝的・文化的な変化が生じていく。
Odling-Smee et al.(2003 佐倉他訳 2007)のニッチ構築概念を直接的に援用しているわけではないが,日本でも,入來篤史らが,「三元ニッチ構築」という,人類の脳の大型化と知能の発達に関する仮説を提唱している(Iriki & Taoka, 2012; 入來・山﨑,2022)。入來らは,ホモ属における脳の拡大のみならず,以下の2つの人類史における課題を説明しようと試みている。1つめが,「現代人的行動」の起源である。そこには,「複雑」な道具や芸術,舟の利用,長距離交易などが含まれる。かつては,5万年前以降に現れると考えられてきたが,9~7万万年前のアフリカでも散発的に現れることが確認されている。ともあれ,現生人類の登場と現代人的行動の登場のあいだには,時間的なギャップがあるため,その理由についても議論が続いている。2つめが,1万年前前後に世界各地で農耕が開始され,進化的なタイムスケールからすればほぼ同時期といってよい時間幅で,いわゆる文明が勃興したことである。入來らの三元ニッチ構築は,この3つの謎に対する仮説として提示される。まず説明されるのが,ホモ属における脳容量の拡大である。道具を使用することで,「新たな生息環境の様式すなわち『環境ニッチ』を創りだすことが可能となる」(入來・山﨑,2022, p. 107)。これは,Kendal(2011)の意味での文化的ニッチ構築と同じとみなしてよいように思われる。さらに,入來らのグループがおこなってきた,道具利用をサルに対して訓練させることで,サルの脳活動や特定の脳領域が拡大するという実験結果をもとに,道具利用によって「新しい情報処理を担う脳神経組織が新たに作り出される」ことを「脳神経ニッチ構築」とよぶ(入來・山﨑,2022, p. 107)。それにより「使える脳のリソースが膨らむと,従来の備わっていた本来の機能を援用するかたちで新しい概念の認知機能を担えるようになる」ことを「認知的ニッチ構築」とよんでいる(入來・山﨑,2022, p. 107)。「この3つのニッチが,循環しつつその中に道具を介して『~のため』という意図を埋め込みながら次第に拡大発展する現象」が「三元ニッチ構築」である(入來・山﨑,2022, p. 107)。加えて,入來らは,遺伝によらない情報の継承と,ボールドウィン効果が役割を果たした可能性を指摘するなど,拡張された進化の総合説とも親和的な主張もおこなっている。また,道具という目的のあるものを介することが,変化に志向性を生み速度を増した可能性を指摘してもいる。そして,現代人的行動の出現や「文明」の同時期の出現という謎については,三元ニッチ構築により脳が拡大し,認知機能の構成要素が下準備された段階で,その「統合や再配線」が進み,「新たな認知ニッチを急速に構築しつつ人新世に至る人間文明の発展発達(環境ニッチ)が一気にある方向に急進的に進んだ」としている(入來・山﨑,2022, p. 109)。「統合や再配線」については,領域固有の知能がまず進化し,その後領域間の交流がみられることで,現代人的行動が促されるという,Mithen(1996)の認知的流動性のアイディアとも共通する部分がある。
他にも,人類進化と広い意味でのニッチ構築を結びつけるさまざまな試みがなされている。たとえば,言語の起源がある。言語進化において,文化進化の役割を重視する見解が注目を集めている。しかしこの場合も,文化進化の生物学的基盤を説明するという課題は残されることになる。近年,ヒトの「自己家畜化」をめぐる議論が再燃し,言語進化との関連が検討されている(Thomas & Kirby, 2018; 徳増・外谷,2022)。背景にあるのは,家禽やイヌなどの家畜化された動物において,野生種と比較してコミュニケーション,社会性や認知能力が「高度化」あるいは「複雑化」していることにある。そしてその背後に,捕食圧の低下や餌資源の安定した供給など,野外では存在していた選択圧が緩和されたことが想定されている。ヒトの言語や,あるいはその基盤となる認知能力や社会性においても,一定以上類似したメカニズムがあると想定することはできるかもしれないし,そのことを支持しているとする形態的,認知的,神経科学的な側面からの報告がなされている。だとすれば,本稿で繰り返し述べてきたように,ヒトはそうした選択圧が緩和された環境を自らつくりだしており,ニッチ構築が言語進化のきっかけとなる自己家畜化を促した(あるいは自己家畜化とニッチ構築を少なくとも一部は同一視することができるかもしれない)と考えられる。Deacon(1997 金子訳 1999, 2010)は,言語あるいはその前段階にあたるコミュニケーション・システムがある集団に定着することが,言語的ニッチとよばれる,文化的なニッチを構築することとみなせることについて論じている(鈴木・有田(2023)も参照)。そうすると,そのコミュニケーション・システムにおいて有効な形質が選択されていくことになる。もう1つ重要なのは,このニッチ構築により,ボールドウィン効果とは反対に,可塑性あるいは,言語特異的ではなく,一般的な学習能力の増加が起こりうるとDeaconが主張していることである。これは,「逆ボールドウィン効果」と名付けられている。Yamauchi & Hashimoto(2010)は,シミュレーションにより,この逆ボールドウィン効果が生じることを示し,Deaconの議論においてなされている仮定の明確化を試みている。
ニッチ構築による選択圧の緩和は,別の文脈でも議論されている。2000年代にJoseph Henrichが,人口と文化の複雑さのあいだに関係が生じると主張し,そのメカニズムについての数理モデルを発表した(Henrich, 2004; 田村,2023)。この論文はその後大きな論争を巻き起こし,多数の行動実験もおこなわれた(Miton & Charbonneau, 2018; 田村,2020)。Henrichを批判した主要な研究者のひとりであるMark Collardは,狩猟採集民においては,この人口と文化(道具)の複雑さの相関がみられず,むしろ食料を安定して獲得できるかどうかが,狩猟採集民の道具の複雑さにより大きな影響を与えると主張した(Collard et al., 2011)。そして,農耕が定着し,安定して食料を獲得することができるようになってから,人口と文化の複雑さとのあいだの相関が生じるようになったと論じている。Fogarty & Creanza(2017)は,農耕の効果をKendal(2011)の意味での文化的ニッチ構築として捉え,数理モデルを構築している。文化的ニッチ構築があることで,環境変動の効果を緩和できると仮定しており,その仮定のもとで,Collard et al.(2011)の議論が成り立ちうることを示している。
その他,代表的な研究者であるRichard Wranghamはニッチ構築としての側面を強調してはいないが,火の使用が人類進化において果たす役割も文化的ニッチ構築だと捉えることができる(Riede, 2019; Stiner & Kuhn, 2016)。脳は,大きさに比べて維持するのに大量のエネルギーが必要となる。その大型化において,火とそれを使った料理の重要性をWrangham(2009 依田訳 2010)は主張する。火を使うことで,食物に含まれる毒を取り除いたり,弱めることができれば,活用できる資源の幅を広げることができる。狩猟の道具として用いることもあれば,意図の有無にかかわらず,生物相を変化させることもある。焚き火を囲むことは,当然ながら暖を取るのにも有効であるが,ゴシップや知識継承の場となるなど,社会性を変化させた可能性もある(中分他,2024)。
本稿では,ニッチ構築に関わる諸概念を紹介するとともに,ニッチ構築が人文・社会科学において取り入れられている現状について紹介した。その後,文化的・社会的ニッチ構築および,人類進化とニッチ構築を結びつけた仮説の具体例をとりあげた。
最後に,社会心理学において,文化的ニッチ構築の概念がどのような貢献ができるかを議論したい。筆者の専門を大きく超えているため,飛躍がある部分や見当外れな部分はご批判頂きたい。
まず確認しておきたいが,筆者は,社会心理学者がニッチ構築理論を使う必要は必ずしもないと考えている。社会心理学が長い時間をかけて発展させてきた理論や概念があり,そのほうが有効な場面はいまだに多いように思われる。Kendal(2011)は,社会科学における4つの学習の理論——Jean Laveと Etienne Wengerによる状況に埋め込まれた学習(situated learning),Lev Vygotskyによる活動理論(activity theory),社会学および文化・社会人類学の実践理論(practice theory),分散された認知(distributed cognition)——と,ニッチ構築理論との対応を議論している。これらの理論が,どれも学習における文化・社会環境の役割を強調していることが,ニッチ構築と関連付けることができる理由として挙げられている。他方で,こうした対応関係の議論が,表層的だとみなす意見もあるだろう。Kendal et al.(2011)はまた,ニッチ構築の視点を取り入れることで,生物学と社会科学とが統合できるという展望を語っている。生物進化との相互作用が関連している問題であったり,ヒトとヒト以外の生物との比較をおこなう場合は有用かもしれないが,誰もが統合を目指す必要はないし,統合によってこぼれ落ちるものを重視する立場は常に存在する。それでは,どのような点で社会心理学に貢献できるのか,私見を述べたい。先に結論から入ると,ミクロとマクロの動的な相互作用,歴史性,現象間の比較の3つが揃った場合については,ニッチ構築理論とその研究蓄積が貢献できる点があるように思われる。
社会心理学はさまざまに定義され,個人(ミクロ)と社会(マクロ)の相互作用の重視の程度にも濃淡があるようだ(堀毛他,2017, 1章; 大橋,2002)。そして,これを重視する研究者からは,しばしば現状はそうなっていないという批判がなされている。ニッチ構築も,個体(ミクロ)と環境(マクロ)の動的な相互作用を強調する視点である。文化的ニッチ構築の研究は,ダーウィン的な文化進化の理論に依拠している。そして,ダーウィン的な文化進化の研究が発展させてきたのが,文化多様性の形成という動的なプロセスを記述するための概念や数理モデルである(Boyd & Richerson, 1985; Cavalli-Sforza & Feldman, 1981; 田村,2020)。文化人類学者の里見龍樹は,こうした文化進化の研究と文化人類学との差異として文化を「生成論的に捉える」ことを挙げている(佐々木他,2021, p. 59)。また,名誉の文化の研究などで知られるDov Cohenは,文化多様性が生じるプロセスの解明のために,心理学のみならず,経済学や人類学の概念や事例を参照しているが,複数均衡や歴史性に関連して,文化進化の研究も数多く参照している(Cohen, 2001)。さらに,文化的適応が生じる際には,彼が「物理ニッチ」「社会ニッチ」「文化内ニッチ」「文化間ニッチ」と名付けた4つのニッチの理解が重要だとしている。研究コミュニティとして,そして定量的かつ体系的に文化の変化を扱う枠組みを発展させてきたという点では,他分野にも提供できるものがあるだろう。社会心理学における広義の文化の取り扱いについて,少なくとも示唆を与える程度の働きはできると考える。「伝達される情報」という文化観を受け入れることに抵抗があるかもしれないが,そのうえで,社会心理学で従来使われてきた意味での文化の代替となりうるのが文化的ニッチの概念になる。
動的であるということは,時間の次元が組み込まれているということでもある。これまでの社会心理学や,周辺領域がこうした時間の次元を無視してきたと主張するつもりはない。しかしながら,数世代を超えた影響を考慮する場合,ニッチ構築理論や,関連する文化進化の研究は,社会心理学の研究に有用な視座を提供してくれる場合があるかもしれない。Muthukrishna et al.(2021)は,心理学の歴史科学化に向けた展望について議論している。その主張の1つは,世代を超えた過去の行動や社会のあり方が,現在の心理傾向に影響を及ぼしうるということである。個別の事例についてはまだ検討のさなかではあるが,たとえばローマ・カトリック教会によるキリスト教の普及が,いわゆる西洋文化の特徴とされる心理傾向に与えた影響について議論されており,千年単位での過去が現代社会の多様性の形成に寄与したことが想定されている。もちろん,個体間の文化伝達のみによってそうした心理傾向が継承されてきたとみることもできなくはないが,設備や法制度,規範といった文化・社会環境も,影響を与えたとみるほうが妥当だろう。そして,そうした環境が生態的継承によって継続してきたとしたほうが,想定されている状況の順当なモデル化だと思われる。こうした,現在の心理・行動傾向の多様性の原因を過去に求めることは,他にもさまざまな事例で研究がおこなわれている(たとえばTalhelm et al.(2014)やThomson et al.(2018))。
歴史は,現代のデータを使った国際比較のような,空間的にある程度のスケールを持つ研究の結果にも影響を及ぼしうる。空間的な多様性の背後には,それを形成してきた歴史があるはずであり,比較のスケールが大きくなるほど,遠い過去の影響を受ける可能性が高まるためである。こうした視点のもとでの,データ解析における注意点についても紹介したい。ダーウィン的な文化進化の見方に立つと,遺伝子の継承の歴史としての系譜と同様に,文化の継承の歴史としての系譜ができることになる。あるいは,動的に変化する文化的ニッチの時系列になるかもしれない。そして,それらの一種のモデル化として,生物種や集団(社会)の系統樹が描かれる。こうしたモデルのもとでは,現在の社会は,分岐が起こった時期に基づき,歴史的に近い・遠いという関係性が存在することとなる。歴史的に近い社会同士は,遠い社会同士よりも,さまざまな特徴を共有している確率が上がるだろう。そして,文化進化の研究者たちは,我々の社会は歴史に束縛されているということを,サンプルの非独立性の補正というかたちで,統計的な方法論の問題としても議論を蓄積させてきた(Mace & Pagel, 1994; 田村,2020)。社会心理学よりも文化心理学に含める事例が多いかもしれないが,心理学的な通文化・国際比較は重要な研究方法として位置づけられていると理解している(Fincher et al., 2008; Talhelm et al., 2014; Thomson et al., 2018)。そうした比較が,歴史という視点を欠き,統計的な非独立性を補正していないために偽陽性である可能性を指摘してきたのも,文化進化の研究者たちであるし(Currie & Mace, 2012; Nettle, 2009; 田村,2023),近年では日本の社会心理学者からそうした通文化比較に批判が加えられた例もある(Horita & Takezawa, 2018)。
ここまで,さまざまな現象がニッチ構築とみなすことができることを紹介してきた。繰り返しになるが,個別の事例については,ニッチ構築という概念を持ち出す必要はない。有効になりうるのは,さまざまな事例を包括できる場合だろう。新学術領域「出ユーラシアの統合的人類史学」において,ニッチ構築が理論的な主軸として位置づけられた理由の1つは,時代や地域を超えて,さまざまな考古学的・人類学的事例を比較するためである。かなり単純化して言えば,「人間はどのような生物か」という問いに対して,「ニッチ構築が卓越した生物である」という仮説をたてて挑んだといえる。
新石器時代の墓やモニュメントの建設による,個々の構成員のアイデンティティの形成。カトリック教会の建立や婚姻制度の変化による個人主義の普及。宗教的なグループや教育システムの形成による,子どもの数を減少させる信念の受容。さらには,生業とそれに付随する社会組織の編成をニッチ構築とみなせば,社会の関係流動性の多様性と相関した社会行動の違いや,集団主義・個人主義的傾向の差異といった,文化・社会心理学のトピックもこの枠組みに含めることができる。現在はミクロ・マクロのフィードバックループの強調や,定性的な比較にとどまっているものの,将来的には,こうしたさまざまな現象を,ある程度共通した文化的ニッチ構築のモデルにおけるパラメータの比較の問題として定式化できるだろう。たとえば,生態的継承の程度それ自体を,パラメータとみなした比較研究ができる可能性がある。そこからさらに,現在の社会の構成員によって絶えず文化・社会が構成され続けているといった立場と,過去の伝統が継続する硬直的な文化・社会といった立場とを,生態的継承の程度として架橋することができるかもしれない。
上で統合という観点についてやや悲観的な見通しを述べたが,さまざまな領域のトピックをいったん共通の言葉で語るためのプラットフォームとして機能する可能性はあるように思われる。そのプラットフォームはおそらく時限付きで,多くの研究者は自分がもといた場所に帰っていくことになるだろうが,そのときの経験が分野に新しい視座を与えたり,新しい方法論を導入することにつながる場合もあるだろう。筆者は社会心理学の歴史的な経緯の把握は不十分ではあるものの,個人・社会・文化の相互作用に,どこからどのように切り込むのかをめぐる社会心理学者の切実さは想像に難くない。それでもあえて結語として述べるならば,いったん難しいことは忘れて素朴な研究関心に立ち返る際の隠れ蓑として,ニッチ構築という言葉に頼るのは悪くはないのではないだろうか。
1) 本稿は,新学術「共創言語進化・出ユーラシア」合同領域会議『物と命』での講演を下敷きに,大幅に解説とトピックを追加して執筆した。本稿の執筆に際し,科学研究費補助金(19H05738,19K21715,21K12590,22H00086,24H00001,24H02201,24K00140)および東北大学「持続可能な社会の創造を目指す研究スタート支援事業」の支援を受けた。記して感謝申し上げる。
2) この「しっくりこない」感覚は,必ずしも人文・社会科学者に限らないかもしれない。たとえば,John F. Odling-Smeeらによる著書の訳者のひとりである佐倉統は,あとがきで「単純な社会生物学理論」に,「爽快さ」とともに「物足りなさ」を感じていたと述べている(Odling-Smee et al., 2003 佐倉他訳 2007, p. 380)。
3) しかし,「『生態系エンジニアリング』と『ニッチ構築』は,本質的に同じである」(Odling-Smee et al., 2003, p. 6 佐倉他訳 2007, p. 5)という記述もある。
4) 文化進化研究の創始者であるCavalli-Sforza & Feldman(1981)は,「刷り込み,条件付け,観察,模倣,あるいは直接的教示のいずれによるかを問わず,あらゆる非遺伝的過程によって学習される形質に対して,『文化的』という語を適用する」としている。井原(2017)は,これについて,「『文化とは何か』という問いに答えようとするものではな」く,「『文化的』な形質とそれ以外の形質との区別を提案している」と述べている(井原,2017, p. 4)。Cavalli-Sforza & Feldman(1981)は,直接的に「文化とは……である」と述べることを避けているが,時間とともにシンプルなものが普及した一例かもしれない。
5) 提唱したのは,Tooby & DeVore(1987)である。Whiten & Erdal(2012)は,Tooby & DeVore(1987)に賛成しつつも,社会的な能力の卓越も重要であるとして,「社会・認知的ニッチ」という語を使っている。
6) 直接互恵性の研究などで知られる進化生物学者Robert Triversの回顧録でも,この点で辛辣に批判されている(Trivers, 2015)。
7) これとは別に,Lalaらが「Extending the extended phenotype」という論文を書き,それにRichard Dawkinsが「Extended phenotype–but not too extended」という論文で応酬するという一幕もあった(Dawkins, 2004; Laland, 2004)。
8) Herbert Gintisは,遺伝子・文化共進化をニッチ構築の特殊事例だとしている(Gintis, 2011, p. 878)。
9) Stephen Shennanは,文化的ニッチ構築の語を使っている。しかし,人間によるニッチ構築によって改変される環境として「新たな社会制度の創出」(Shennan, 2011, p. 918)を挙げているため,ここでは社会的ニッチ構築に含めて紹介した。
10) ただし,ニッチ構築の意味を広くとれば,明示的にニッチ構築を全面に出していない仮説であっても,ニッチ構築の仮説とみなせる可能性がある。