社会心理学研究
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特集序文
文化進化と社会心理学:なぜ文化進化研究が重要なのか
豊川 航
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2024 年 40 巻 2 号 p. 55-57

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文化進化(cultural evolution)の痕跡は,社会科学や行動科学が興味の対象としてきたさまざまな現象に見出すことができる。流行やファッションの時間的変動,社会規範や社会制度の時間・空間的変異,技術イノベーションの累積およびそれに伴う市場や人口動態の発展など,集団や社会のスケールで観察される人間行動パターンの変化はいずれも,集団遺伝学の数理モデルに基礎を置く文化進化モデルの射程圏内にある。ここ二,三十年で一気に盛んになった文化進化という学問体系の大きな意義の一つは,社会心理学に限らず,経済学,人類学,考古学を含む人文・社会科学の諸分野がそれぞれおよそ独立に扱ってきた問題群を統一的に整理しようという試みであるといえる(Mesoudi, 2011 野中・竹澤訳 2016)。同時に,統一の試みは,さまざまな現象の中から,文化進化モデルではうまく扱えない,その分野固有の説明原理・理論が求められる側面は何であるかを浮かび上がらせるに違いない。文化進化モデルを科学的探求の出発点とすることで,かえって社会心理学が果たしうる学問的意義が明らかになる。

本特集号の目的は,文化進化に関係する研究領域の最新の動向を総説しながら,社会心理学に期待される役割を展望することである。ここに3報の展望論文を掲載する。はじめの2報は,文化進化モデルの中でもとりわけ人間社会の時間発展に関わりの深い「累積的文化進化」に関する理論論文(小林,2024),ならびに行動実験研究の展望を議論する論文(須山・中分,2024)である。3報目には,文化進化とも関わりの深い理論的枠組みである「ニッチ構築」が社会科学へどのように貢献しうるかを論じた展望論文を1報掲載する(田村,2024)。ここでは巻頭言として,なぜ社会心理学は文化進化やニッチ構築を無視すべきでないのかについて簡単に論じたい。その上で,掲載論文それぞれの立ち位置を示し,少しでも読者の理解へ貢献できれば幸いである。

本特集号の特色

累積的文化進化

累積的文化進化とは,知識や技能が複数の世代にわたり蓄積的に変化する場合の文化進化過程を指す。一般的に文化進化は人間以外の動物でも広く知られているが,人間以外の動物で文化が累積的に進化したと説得的に示した例はほとんど知られていない(Laland, 2017 豊川訳 2023)。高い技術,知識,複雑な社会制度の累積的文化進化,ならびに累積的文化進化を可能にした心的能力がいかに獲得されたのかを解明することが,人類の進化生態学的由来を理解する鍵を握るという主張が受け入れられつつある(Henrich, 2016 今西訳 2019)。

文化進化理論の中核となるのは,自然選択による遺伝的形質の進化と同様,個人レベルの行動的変異,および社会的相互作用を通じた変異の選択・継承である。すなわち,行動の個人差や集団差,社会的影響,同調,対人関係,集団意思決定といった,いずれも社会心理学の古典的知見が,文化進化理論を土台から支えている。特に,累積的文化進化を可能とする心的能力,およびそれを可能とする社会的相互作用の性質を理解する試みは,社会心理学が実証科学として果たしうる一つの重要な役割となるだろう。社会心理学が培ってきた多くの経験的知見および実験における方法論の重要性がますます高まっているといえる。

小林(2024)

本特集号では,まず小林(2024)が累積的文化進化を駆動するメカニズムの一つを,数理モデルを軸に整理しつつ,理論と実証研究とを有意義に結びつける方法について丁寧に展開する。論文の前半では,Henrich(2004)で提案されて以来,文化進化研究へ大きな貢献をしてきた累積的文化と集団サイズとの関係に関する数理モデルを,「イノベーション率」という概念を軸に整理したのち,より一般的な場合へと拡張させた。著者によるオリジナルな結果は,理論研究としても大きな価値がある。その上で,論文の後半では,数理モデルの結果を,社会心理学を含む行動科学へ有意義に活かすための視座や提案が数多く与えられている。たとえば,理論の定量的検証とは何か,なぜ定性的検証だけでは足りないか,また実証研究を受けて理論を修正するプロセスとはどのようなものかについて,丁寧な考察がなされている。この自然科学的手続きの重要さは,文化進化というトピックを超えて一般的に当てはまることは明らかだろう。

須山・中分(2024)

小林(2024)の理論的展望を受けて,須山・中分(2024)では,これまでさまざまな分野にまたがって行われてきた累積的文化進化に関する実験研究が概説される。まず,「累積的文化」とは何か,その定義がMesoudi & Thornton(2018)およびBuskell(2022)の議論に沿って整理される。とくに,文化的形質のうちどういった量の「改良」に着眼するかに沿って,4種類の操作的定義を示し,それぞれのカテゴリーに属するこれまでの実証研究例を豊富に紹介する。測定するべき量の定義は,モデルの定量的検証をする際に必ず抑えなければならない点である。須山・中分(2024)は,四つのカテゴリーごとに,行動実験によって今後検証されるべき問いを提唱する。累積的文化進化モデルの検証には,社会心理学からの知見が大いに貢献しうることがわかるだろう。これは,さまざまな学問体系の中で社会心理学に期待されている領域の一つに違いない。

ニッチ構築

人間は文化進化を通じて,適応すべき社会的環境を自ら構築する。これは社会心理学や進化心理学で「社会的ニッチ構築」として近年研究されはじめた理論的枠組で,一般的には生物の「ニッチ構築」として知られる。ニッチ構築は,社会制度や規範の文化進化といった文脈で社会科学の理論としても注目されはじめた。人間は,いかにして自らの社会制度を制定し,またいかにして制度へ適応するのかという問いは,言い換えれば,意思決定や文化進化を通じて人間はいかにニッチ構築するのかという問いである。ニッチ構築という枠組みから人間行動を捉えることにより,個人の心理や行動と,社会が備えるさまざまな状態との間の動的な繋がりを,数理モデルで扱うための糸口が見えてくる。

田村(2024)

田村(2024)はまず,「ニッチ構築」という進化生物学上の概念の定義と歴史を丁寧に振り返り,その上で,社会科学へも関わりの大きい文化的ニッチ構築,社会的ニッチ構築,認知的ニッチ構築という派生概念について概説する。また,ニッチ構築と人類進化の関わりについても触れ,ニッチ構築理論が社会科学のみならず歴史学や考古学などの人文学領域へ果たしうる貢献についても考察している。しかしながら田村(2024)は,生物におけるニッチ構築現象と,人間の文化や社会のダイナミックな変化との間の表層的な類似性だけでは,ニッチ構築理論を社会科学へ援用する積極的な理由には足りないと批判する。その上で,もしも社会科学者の関心が動的なシステム,つまり現象の時間発展的な理解である場合,あるいは現象の持つ歴史性を無視できない場合であれば,ニッチ構築の枠組みは有用な視座を与えてくれるだろうと考察する。私たち社会科学者の関心は無論,動的な集団力学をモデル化することだった。しかし多くの場合,動的現象は簡単に複雑化し手に負えなくなる。ニッチ構築という枠組みは,そこへ立ち向かうための有望な切り口になりえるだろう。

まとめ

私たちの知りたいことは,常に理論の中にある。田村(2024)で展開されたニッチ構築理論は一つの事象に関する数理モデルではなく,ものの見方,あるいは現象を眺める際の枠組みを与え,「そもそも何を知りたいのか」を定める指針となる。一方,小林(2024)須山・中分(2024)で扱われた累積的文化進化理論は,現象への定量的な予測を与え,「何を量りたいのか」を定めてくれる。こうして理論は学術の垣根を飛び越え,ニッチ構築の枠組みと文化進化モデルとの関係からわかるように階層的に結びつく。社会心理学者が生み出す発見が貢献する先が,社会心理学の内部の理論に閉じないことは明らかだろう。少なくとも文化進化理論は,社会心理学からの貢献を期待している。そのことを,本特集号に収められた3報の展望論文から読み取っていただければ幸いである。

利益相反

本稿に関して,利益相反はありません。

引用文献
 
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