社会心理学研究
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書評
クレア・ホワイト(著)藤井修平・石井辰典・中分 遥・柿沼舞花・佐藤浩輔・須山巨基(訳)『宗教認知科学入門:進化・脳・認知・文化をつなぐ』(2025年,勁草書房)
中田 星矢
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2026 年 41 巻 3 号 p. 168

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本書は,宗教認知科学(Cognitive Science of Religion: CSR)の入門書である。CSRは,宗教的な思考や行動において人間の認知が果たす役割を研究する新しい学際的分野である。「宗教的な儀礼はなぜ生まれたのか」,「類似した宗教的信念がなぜ世界中で見られるのか」,「宗教的実践にはどのような機能があるのか」など,こうした問いに答えるために,CSRには宗教学,人類学,進化生物学,心理学,神経科学,考古学,歴史学など多様な分野の研究者が参画している。CSRに関する出版物はすでに蓄積があるものの,本書は分野全体を体系的に整理した初の教科書として位置づけられる。

文化が人々の行動や思考に影響を与えるという見解は,多くの社会心理学者に共有されているだろう。実際,文化の影響をまったく受けていない行動や思考を見つける方が難しいかもしれない。例えば,初詣のために神社を訪れる人々の多くは,お賽銭を納め,鈴を鳴らし,二礼二拍手をした後に願い事を心の中で唱え,最後に一礼する。この一連の行動は,個人が試行錯誤によって獲得したものではなく,明らかに文化的に獲得された行動である。人類学者ジョセフ・ヘンリックは,文化の中でも,宗教が人々の心理や社会を強力に方向づけることを示している(Henrich, 2020 今西訳 2023)。とりわけ,キリスト教の教義に基づく近親婚の禁止や一夫一婦制は,社会構造や人々の心理に大きな影響を与え,現代に見られるWEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, and Democratic)心理の基盤を形成したと論じている。ここで宗教を,人間の心理を決定づける神秘的で特別な力として捉えるべきではない。我々は生得的な心的基盤を欠いた「空白の石板」ではなく,特定の宗教が入力されることで特定の行動や認知が機械的に出力されるというような説明は,実質的に何も説明していない。

本書によれば,CSRは極端な文化相対主義や文化決定論への批判の中から生まれた。CSRは認知科学が明らかにしてきた通文化的で普遍的な認知メカニズムを出発点とし,宗教の詳細な教義や信念そのものよりも,超自然的存在への信念,死後の世界観,儀礼,道徳的行動の促進といったパターンを研究対象としてきた。宗教の定義にこだわるのではなく,多様な宗教に共通して現れやすい特徴に注目することで,宗教を体系的に分析している。

多様な知見を統合することで,CSRは従来の宗教学とは一線を画する領域を築いている。多くのCSR研究者は,宗教的行動や思考の通文化的パターンを生み出す認知メカニズムは,おおむね石器時代に進化したとする進化心理学の見解を支持する。また,CSRは生物学的な視点を重視しており,研究者たちは宗教的行動や心理に関して「ティンバーゲンの4つの問い」に基づく説明を試みている。本書では,ある儀礼が存在する理由について,その生理学的効果(メカニズム),獲得過程(個体発生),進化的起源(系統発生),適応的意義(機能)の観点から研究が進められてきたことが説明されている。現代では適応的機能を持たないように見える宗教的行動や信念も少なくないが,それらが存続する理由をCSRは生物学的進化と文化進化の両面から説明しようとすることも述べられている。

このように,CSRは宗教研究において学際的アプローチの有効性を実証し続けている。とはいえ,一人の研究者が複数の方法や視点を同時に取り入れるのは困難である。学際研究を実現するには研究チームの形成が必要であり,そのためには異分野への一定の理解が不可欠である。本書はその点について,複数の分野の研究者がCSRにどのような貢献を果たすのかを具体的に示している。進化心理学者,神経科学者,認知心理学者が「宗教とみなされる観念や行動はなぜ,どのように広まるのか」という問いに対してどのようにアプローチするのかが具体的に解説されており,今後学際的な研究に取り組むこと目指す研究者のための指針となる。

総じて,本書は宗教認知科学の入門書にとどまらない,認知・文化・社会の相互作用に関心を持つ幅広い研究者に推奨できる良書である。本書自体に多くの参考文献が紹介されているだけでなく,出版社サイトには各章に対応した「体験課題」や「議論のための問い」が公開されており,さらに学びを深めることができる。また,あまり一般的でない用語には原文の英語表記が添えられており,今後関連する英語文献を読むであろう初学者への翻訳者の配慮が感じられた。

引用文献
  • Henrich, J. (2020). The WEIRDest people in the world: How the West became psychologically peculiar and particularly prosperous. Farrar, Straus and Giroux.(ヘンリック,J. 今西 康子(訳)(2023).WEIRD「現代人」の奇妙な心理——経済的繁栄,民主制,個人主義の起源—— 白揚社)
 
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