抄録
本論文は,1879年から1893年の設立初期の同愛社について,『同愛社五十年史』の分析の結果を中心にその趣旨・運営・活動内容を新聞や雑誌の言説を加え補足したものである.同愛社はフランスで医学を学んだ高松凌雲とその賛同者13名の開業医により1879年に設立され,医療保護が十分でなかった明治期に開業医を中心として組織的に施療を東京郡区に広めた慈善団体である.その設立動機と趣旨は高松凌雲の思想的な影響が大きく,その運営に関しては渋沢栄一や福地源一郎の考えが反映されている.同愛社の特徴は,医療を施す「救療社員」と金銭的支援の「慈恵社員」に分け,救療社員の近傍に限って施療が受けられ地域医療に重点が置かれていた.また,施療のみならず災害救助においても活動し,「民間性」,「公益性」,「独自性」が明らかになった.医療格差が叫ばれる現今の医療制度はこの同愛社の組織運営に学ぶところが大きいと考える.