2017 年 36 巻 2 号 p. 13-19
近年、細胞培養に関連する技術の急速な開発に伴い、創薬研究、再生医療への応用など、細胞培養が貢献する分野が拡大している。欧米では細胞培養の再現性、信頼性、的確性を確保するうえで、細胞培養の基本概念を研究者・実験者間で共有することの重大性が認識され、Good Cell Culture Practice(GCCP)を作成することにより、細胞培養技術を一定の水準に維持する努力がなされている。我が国の研究者・実験者においても、細胞培養における基本概念を共有すべきと考え、「細胞培養における基本原則」案を作成した。本基本原則案は、培養細胞の脆弱性、入手先の信頼性と使用方法の妥当性、汚染防止、適切な管理と記録、作業者の安全と環境への配慮、の5条項から構成されている。この基本原則の概念が細胞培養を行うすべての研究者・実験者により共有され、日本の細胞培養技術が上進し、細胞培養技術を用いた研究の信頼性が向上することを期待する。
近年、細胞培養に関する技術は急速に発展してきた。不死化細胞株や初代培養細胞は、従来からの基礎研究に加え、創薬非臨床試験、ワクチンや抗体医薬品などの製造に利用されている。また、胚性幹細胞(embryonic stem cell; ES細胞)や人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells; iPS細胞)が開発され、再生医療や動物実験代替法への応用など、細胞培養が貢献する研究分野は発展の一途をたどっている。
一方で、以前より国内外で培養細胞のマイコプラズマ汚染や誤認細胞(クロスコンタミネーションによる別細胞への置換や培養皿等への誤表記による取り違え等)の使用が指摘されてきたが、現在でもこれらの事象が継続して発生している。これらの事象は、細胞本来の性質を著しく損なうものであり、実験結果の信頼性を大きく損なう。2007年に日本において実施したマイコプラズマ汚染に関する全国実態調査では、解析を実施した検体の22.4%にマイコプラズマ汚染が確認されている1)。また、2008年の報告によれば、細胞バンクに寄託される細胞の8%程度にクロスコンタミネーションが認められ2)、さらに誤認細胞を用いた研究報告も後を絶たない3,4)。
このような状況の中、2012年に世界の細胞バンクが連携して国際委員会(ICLAC: International Cell Line Authentication Committee)を立ち上げ、論文投稿時の細胞の品質管理の重要性を提唱し、現在では論文の投稿規定に「使用した細胞の品質管理に関して記載すること」を義務付けるジャーナルが増加している。
また、2005年にECVAM(欧州代替法バリデーションセンター)により、細胞培養技術を用いた基礎研究・応用研究において再現性、信頼性、的確性を確保するために、Good Cell Culture Practice(GCCP)5)の策定が行われており、マイコプラズマ汚染、細胞のクロスコンタミネーション等が生じない一定の水準を満たした培養操作の必要性が認識され、細胞培養に関する基本的概念が整備されてきている。さらに、iPS細胞の発明や3次元培養などオルガノイド技術などの近年の技術革新に合わせて、2015年にボルティモア(USA)およびコンスタンツ(ドイツ)において幹細胞および幹細胞由来モデルのためのGCCPワークショップが開催され、幹細胞や3次元培養などオルガノイド等も含めたGCCP改訂について国際的な議論が開始された。現在、国際協調のもとGCCPの改訂作業が進められており、2018年に公表される見込みである6)。
日本組織培養学会では2000年より細胞培養技術の標準化の必要性を議論し、2007年より細胞培養基盤技術コースを開催し、2012年から細胞培養士の認定を行ってきた。さらに、2014年から日本再生医療学会の臨床培養士制度との連携を開始した。
細胞培養基盤技術受講者には、申込時に経験年数や培養実施状況の申請をお願いしている。細胞培養の基本を理解し、細胞株を適切な方法で培養できることを目標としたコースI受講者のうち、約17%が培養未経験者であり、研究上の必要性から、培養経験者からの指導を受けずに細胞培養実験を独自に立ち上げるケースもあると推認される。同時に、8割以上の受講者は、培養経験があるにもかかわらず何らかの問題でトレーニングの必要性を感じて受講を希望したと思われる。
近年、細胞培養基盤技術コースの受講希望者は急速に増加してきており、アカデミアの研究機関にとどまらず、産業界も含めて、細胞培養へのニーズが高まっていると思われる。しかしながら、我が国においては、細胞培養の基盤的な方法や技術とその背景となる基本概念を研究者・実験者間で統一的に共有しようとする動きはなく、GCCPに準ずる概念の議論はなされてこなかった。
これまで日本組織培養学会は、非医療分野におけるヒト組織・細胞の取り扱いについても検討委員会を設置し、公的指針に先駆けて研究者・実験者間で概念を共有するべく尽力してきた7)。上述の状況を鑑み、日本における細胞培養技術を用いたすべての基礎研究、開発研究ならびに応用研究において、適切な細胞培養を実施し、科学的信頼性の高い研究成果を創出するために、著者らは「培養細胞を用いた基礎研究ならびに創薬研究開発のための細胞培養ガイダンス(GCCP)案の作成についてのワーキンググループ」を組織し、以下の「細胞培養における基本原則」を取りまとめた。
動物細胞の培養(以下、細胞培養)は基礎研究だけでなく、再生医療や創薬研究などの分野においても広く利用されている。近年、細胞培養は、器具・機材の発展や培養液・細胞の供給体制の確立・充実により、容易に実施可能となってきた。一方で、研究者・実験者間での細胞培養の基盤的な方法や技術、その背景となる基本概念の共有が不十分である。その結果、研究結果の再現性が担保できないことや、マイコプラズマが潜伏感染した細胞材料の伝搬、あるいは誤認細胞(クロスコンタミネーションによる別細胞への置換や培養皿等への誤表記による取り違え等)の使用による研究データの信頼性の喪失などの事案が現在でも数多く発生している。細胞培養に従事する者は、実験を行う過程で上記のような科学的信頼性を欠く事態が発生する危険性を十分に認識すべきである。これらの観点から、動物細胞を培養するすべての実験・研究のための基本原則を提言する。
1.目的培養細胞を用いた基礎研究における研究結果の再現性および信頼性を向上させるために、細胞培養に関する基本原則を以下に示す。以下の基本原則は、限られた増殖性を示す体細胞、不死化された無限増殖能を獲得した体細胞、無限増殖能をもつ癌細胞、間葉系幹細胞、多能性幹細胞(ES細胞、iPS細胞)などの細胞の培養において重要かつ共通の基本原則と考えられ、すべての細胞培養の作業者に遵守されるべき事項である。基礎研究にとどまらず、適切な臨床研究を進めるためには、適切な前臨床試験が必須であり、関連する法令・指針等を遵守することはもちろんのこと、その前提として細胞培養を行う実験において本基本原則の遵守が求められる。また、細胞培養に関する教育・指導を行う際には、指導者が本基本原則を踏まえた教育・指導を行うことが重要である。
2.基本原則 第一条:培養細胞は生体の一部に由来することを認識すること細胞培養とは、動物を構成する組織から一部を取り出し、試験管内で維持・増殖させることである。試験管内の培養細胞は、生体内の組織とは異なり脆弱であり、培養操作が細胞の形質や特性を変化させることを理解する。
特に以下の項目が基本事項として重要である。
(i) 個々の細胞に応じた適切な培養環境、培養液、基材を選択し、生存環境を整備すること。
(ii) 細胞の状態や状況に合わせた操作を行うこと。
細胞の取り扱いに留意する。扱う細胞が異なれば、操作の内容も異なり、同一の細胞であっても、その状態により操作内容は異なる。細胞の品質を低下させない操作が必要である。
(iii) 培養経緯(不必要な長期培養等)や過度のストレスなどによって細胞の形質が変化してしまうことを理解すること。
第二条:入手先の信頼性、使用方法の妥当性を確認すること入手先の信頼性、入手方法の妥当性、使用方法の妥当性などを考慮の上、倫理上問題のない責任ある取り扱いを行うこと。
(i) 組織の採取方法および研究目的・手法について各種の法令・指針等を遵守すること。
(ii) 株化細胞等(既に多数の論文において利用されているような汎用細胞)を入手する際には、公的な細胞バンク等の信頼のおける細胞バンクから、品質管理された細胞を入手すること。細胞バンクに寄託されていない細胞を入手する際には、可能な限り提供元における細胞の品質管理に関して確認を行うこと。
(iii) 樹立者、寄託者の意向を尊重し、入手した細胞の使用条件を遵守すること。
第三条:培養細胞への汚染を防止すること培養細胞は組織から取り出した状態であり無防備で脆弱であるため、細菌、真菌、およびウイルス等の混入(コンタミネーション)・伝搬の危険性がある。また培養手技によっては不作為に他の細胞の混入(クロスコンタミネーション)を生じる危険性がある。さらに用いる培養試薬に起因する異常プリオン等の異物の混入の可能性も考えられる。これらは総合的に培養環境・培養工程を制御することによって、防止することができる。特に以下の項目が基本事項として重要である。
(i) 細胞培養を行う環境は、コンタミネーションが発生しないよう制御すること。特に、マイコプラズマによる汚染は培養操作の過程では認知が難しく、感染を見逃しやすいため、感染の伝播が生じやすいため、定期的な検査を考慮すること。
(ii) 作業工程・手技、培養試薬、培養資材を適切に管理し、コンタミネーション、クロスコンタミネーション、異物の混入を防止すること。
第四条:培養細胞の管理・取扱い記録を適切に行うこと培養細胞を用いた実験の再現性と信頼性を担保するために必要な情報について責任を持って記録しておくこと。特に、以下の項目を記録として残すことが重要である。
(i) 入手時の記録
(ii) 培養記録
(iii) 譲渡・廃棄の記録
など
なお、これら記録は各種指針等および所属機関の規定等に基づき、管理・保存すること。
第五条:培養作業者の健康と安全、周囲環境への配慮を行うこと作業者は用いる細胞、試薬、機器等に関する安全性情報、安全対策に関する知識を十分に把握した上で、それらを取り扱うこと。用いる細胞、試薬、機器には取り扱い上の危険性があることを十分に認識し、実験用手袋・実験用メガネ・マスクの着用、安全キャビネットの使用、必要なバイオセーフティーレベル(BSL)での取り扱い、適切な操作方法等、十分な安全対策をもって使用する。特に以下の項目が基本事項として重要である。
(i) 未知の病原微生物その他疾病の原因となるものが培養作業を介し作業者へ感染伝搬するのを防止するために必要な措置を講ずること。
特にヒト・サル等の霊長類由来の細胞は、基本的にBSL2としての取り扱いが推奨される。他の動物種においても、十分な安全性対策をもって使用すること。
(ii) 生物由来製品を含む培養液は、未知の病原微生物その他疾病の原因となるものによる汚染を完全には否定できないので、十分な安全性対策をもって使用すること。
(iii) 作業者の安全確保のため、作業者は定期的に健康状態を確認すること。
(iv) 環境の保全ために、廃棄物に関する施設の規則、施設の所在地の自治体の条例等に従い、適正に廃棄物を処理すること。
著者らは、以上5か条の基本原則を中心とする提言を「細胞培養における基本原則」として提案する。細胞を培養するにあたっては、培養室、培養ベンチ(安全キャビネット、クリーンベンチ)、インキュベーターなどの区域・空間を管理するとともに、培養基材、培養液など細胞の微小環境を管理し、総合的に培養環境を制御することが重要である。さらに、培養経緯などによって細胞の形質が変化してしまうことも考慮する必要がある。したがって、微生物等の混入(コンタミネーション)に留意することはもちろん、扱う細胞の特性や状態を理解した取り扱いが求められる。扱う細胞が異なれば操作の内容も異なり、同一の細胞でも状態により操作内容は異なる。画一的に培養操作を行うのではなく、細胞の品質を低下させないよう、細胞の状態や操作状況に合わせた適切な方法を選択する必要がある。また、操作により細胞に過度のストレスを与えないよう、インキュベーター外にて実施する作業時間を短くするなど、効率的な作業を行う必要がある。作業工程におけるいずれの動作についても、その意味、原理を理解しておくことが重要である。そのためには、作業者は常に細胞および培養技術に関する知見の習得に努めなければならない。上記「細胞培養における基本原則」を踏まえたより具体的な培養作業の留意点については、組織培養学会が発行している細胞培養実習テキスト8)等の成書を参照されたい。
今回、日本組織培養学会と日本動物実験代替法学会が連携するとともに、学会外の専門家を迎えてワーキンググループを設置し、「細胞培養における基本原則」案としてまとめ、会員に提案するに至った。今後、さらに会員以外の細胞培養を研究手法として実験を行っている多くの研究者・技術者が在籍している他の学会との共通認識の構築も検討していきたい。細胞培養を行うすべての研究者・実験者により同原則の意図が理解されるとともに、かかる技術が上進し、細胞培養を用いた研究がさらに発展をすることを期待する。
本提案の作成は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の再生医療実用化研究事業、文部科学省科学技術人材育成費補助事業「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ」の支援によって行われた。