本研究は,大正時代末に成城学園の移転に伴い計画された郊外住宅地成城において,現存する近代住宅,変貌してきた街並みの保存や再生の可能性について追究するものである。約80年の間に分譲当初の敷地は細分化,取り決めのあった生け垣や樹木は減少していることが検証された。一方,朝日住宅や他の近代住宅は大きく減少してはいるものの,保存再生の好例が確認された。また,成城に愛着をもち,相続を乗り越えてきた戦前からの居住者の間には,学園を中心としたコミュニティがあったが,それが薄れてきたことが街並みの崩壊に繋がっていることが明らかになった。近代住宅・街並みを取り巻く法律や他地域の事例を探り,街並みづくりを検討した。