近代日本では,栄養科学の登場によって,食にかかわる思考や実践の方法が大きく転換した.特に,内務省内に医学博士・佐伯矩を所長とする国立栄養研究所が設置され,栄養学は「国家の学」として発展し,人びとの食の実践の転換を試みた.その初期に栄養学の知識がよく用いられ受容されたのは,貧困層を対象とした栄養改善実践であった.
本稿では,このような栄養改善実践の一つとして,1932 年から 1 年間実施された群馬県の「村落栄養改善」を取り上げる.本稿の目的は,福祉国家体制へと向かっていく 1930 年代に,農村の窮乏に対して,どのように栄養改善が行われてきたかを分析することである.
結果として明らかになったことは,まずは,佐伯矩の門下生である栄養技手らが,警察部衛生課に配属され,村に泊まり込みで実践を行い,専門外の仕事も引き受けながらも,あくまで科学的な立場を意図して調査を行っていたことである.一方で,報告書からは,この栄養改善が,国家的な健康の管理の文脈や,自力更生運動の展開にみられるような農村の窮乏の解決を農村の改革に求める文脈に置かれていたことが明らかになった.「村落栄養改善」の成果は大きく,この実践は栄養学の受容層拡大の一つの契機になったと考えられるが,これは,栄養学の知見が,戦間期における福祉国家化の複雑な過程の中で「国民の健康」を管理するテクノロジーとして用いられたことを示唆していると言える.