1896年の三陸津波が, (旧) 綾里村で到達した遡上高は21.9mと考えられていたが, 筆者等の研究 (1983) により, 38.2m (松尾, 1933) が公認されるに至った.
筆者らは1980年, 田野畑村羅賀を選び, ハンド・レベルにより, 伊木レポートの, 決定的な波高過小評価を指摘した. これは情況証拠にとどまったが, 1986年に直接, (旧) 綾里村大久保の峠で, ハンド・レベルによる測量を行ない, 津波波高は少なくとも36mという確信を得た. 津波対策は大幅な改訂を迫られるのであるが, その一環として, 大型V字湾の綾里湾と, 南隣りの小型 (V+U) 字湾の組合せの考察は不可欠となる.(V+U) 字湾が最悪の形状であることを, 最近その数字が整備された津波による各小地域の生存率をもとに指摘した.
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