一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
69回大会(2017)
セッションID: P-112
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ポスター発表 5月27・28日 被服
長崎唐人貿易品の毛氈
長崎における毛氈文化の有り様
*砂﨑 素子
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抄録

目的 近世期における長崎唐人貿易の主力品目であった毛氈は、中国から輸入されていた。その数量は莫大であり、また輸入品名からは様々な色・柄の毛氈を輸入していたことがわかる。1804年には長崎の地場産業として毛氈を育成すべく中国人の技術者を招聘し、毛氈の製造と染色技術の導入が図られている。これら受容された毛氈はどのように活用されていたのであろうか。近世期に長崎唐人屋敷に在館していた中国人から伝聞した風俗をふまえ、長崎における毛氈活用の一端を明らかにする。
方法 近世期に長崎に渡来した中国人から伝聞した風俗の図説書「清俗紀聞」と長崎の風俗を記した「長崎市史風俗編」の内容から考察する。
結果 「清俗紀聞」には紅色、緋毛氈の使用が記されており、祭礼である家廟祭祀、墳墓祭祀、天后廟(航海安全祈願)で緋毛氈を敷き、その上で拝礼を行なった。「長崎市史」によると長崎市民の初盆、ハタ揚げ、長崎くんちの庭卸で緋毛氈が使用されていたことがわかった。祭礼や供養などの特別な行事で使用されており、その背景には中国の影響があったことが推察できる。今もなお緋毛氈は、長崎くんちの庭見せの設いで使用されているが、当時のような初盆とハタ揚げの屋外の敷物としての緋毛氈の使用は見られらない。近世期には中国の風俗に倣い長崎の行事の中で緋毛氈が敷かれていた。緋色の色とともに、毛製品である毛氈の持つ弾力性や保温性などが珍重されていたのであろう。

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