抄録
“Bioethics” というアメリカ渡来の新語は, 片カナで「バイオエシックス」または, もっともらしい直訳の「生命倫理」という形で, 近年われわれの間にも市民権を獲得しようとする勢いをみせている。その言葉の詮議はしばらく置くとしても, およそその方角に, 現代科学技術の鬼子のような形で, さまざまの倫理的難問がうまれ, われわれをしばしば深い当惑に陥れていることは, 今ではよく知られている通りである。それらは多くのなまなましい現実性をもつ「事例」 (case) の形をとってわれわれの前にたちはだかって, 個々に緊急な解答を要請しているのだが, 本稿ではそこから一歩退いて, それらの具体的な課題の底に潜む本質的な問いかけの輪郭をごく大まかに描いてみたい。「バイオエシックス」論議が往々無秩序な論題の並列にとどまりがちにみえるのを少々うとましく思って, おせっかいな交通整理を試みるのを主旨とするこのエッセイでは, 多少ともつっこんだ論考は, 残念ながらあらかじめその「仕様書」からははずされている。