小説『渦』においてギッシングは、19世紀末英国の社会および家庭の中で女性観・女性の役割が どのように変化しつつあったか、またそこからどのような問題が生じていたかを描いている。主人公アルマは野心的な女性ヴァイオリニストであり、結婚後もプロの音楽家として活動を続けようと するが、その試みは挫折するばかりか彼女の結婚生活もまた破綻してしまう。摩耗した神経を休めるためアルマは睡眠薬に頼るようになり、その過剰摂取によって早すぎる死を迎える。ポーラ・ギレットやロイド・フェルナンドといった批評家は、このような『渦』の悲劇的なプロットをギッシングの反フェミニズム精神の表れだと解釈している。しかし本稿では、反フェミニズムの書としてではなく、女性をめぐる当時の問題にギッシングが共感を持って取り組んだ作品として『渦』を読み解きたい。たしかにギッシングは女性の自己実現の困難さを描き出しているが、それは社会批判として、問題の所在を明らかにする試みとして行っているのだ。
本稿では、ギッシングが世紀末という過渡期の社会における両性間の関係の問題をどう捉え、また女性、とくに女性芸術家をどのように作中で扱っているかを分析する。『渦』に先立つ何篇かの小説においても、ギッシングは既に芸術的才能に恵まれた女性というモチーフを扱っているが、それらの女性登場人物たちと、『渦』の主人公アルマとの問の共通点・相違点はそれぞれ何であるか検討する。その際、ロンドンという都市の性格・環境や、アルマが女性ヴァイオリニストであることの意味に注目していく。