本稿はブレーズ・パスカル(1623-1662)の「考える葦」の哲学が根岸川柳(1888-1977)の『根岸川柳作品集 考える葦』にどのような影響を与えたかを三木清の『パスカルに於ける人間の研究』を通して比較文学の視座から考察したものである。パスカルの本格的な日本受容は1924年6月、三木清(1897-1945)の『パスカルに於ける人間の研究』(岩波書店)によって始まる。これは哲学者・三木清の処女出版である。この書が出るまで日本では、パスカルは哲学史に重要な地位を与えられていなかったが、この書に刺激され、出版された数年後には、パスカルについての翻訳や研究論文が相次いで発表され、ついに今日のような研究の隆盛を見るに至った。今日では、パスカルの『パンセ』は多くの人々が知る哲学書となり、「人間は考える葦である」という有名な言葉は広く人口に膾炙している。その意味で三木清の著作はパスカルの日本受容を考える上で重要な哲学書であるといえる。
戦後はじめて川柳宗家となった14世川柳 根岸川柳は1959年10月に『根岸川柳作品集 考える葦』(根岸川柳作品集刊行会)を刊行する。この根岸川柳作品集の書名である「考える葦」はパスカルの『パンセ』から採られたものである。根岸川柳はパスカルの『パンセ』を、そして、三木清の『パスカルに於ける人間の研究』を読み、「人間諷詠」の川柳という短詩文芸を「哲學的」に探究、「哲學的川柳」を創造するようになったと考えられる。
本論稿では根岸川柳作品集の「哲學的川柳」を通して三木清の「哲學的人間學」が、川柳という短詩文芸にどのように取り入れられたかを比較考察する。