抄録
1872(明治5)年の学制発布後、1879(明治12)年の学制廃止及び教育令布告、1899(明治32)年に高等女学校令の発出と、矢継ぎ早に日本における教育改革とりわけ女子教育改革が打ち出された。このような中で、日本女子大学校は、成瀬仁蔵によって1901(明治34)年に開校した。
明治維新後、欧米に追い付き並び立つために政治・経済・社会面での制度改革が急がれた。同時に、家庭の制度面・生活面での改善が早急に求められた。このような時期に日本女子大学校を創立した成瀬仁蔵が、どのような役割を女性に期待したのか、特に、卒業生に対して卒業後も継続的に何を期待したのかを、同窓会の機関紙である『家庭週報』から考察した。
成瀬は、米国の手工教育が品性を高める教育的価値、職業的価値を認めている。手工教育という具体的な教育を通じて、卒業後も、生涯をかけて人間として生きていくための方法としての「生活法」を修得させることで、変動する社会において生き抜いていく力を育てようとした。成瀬が、当時女性に期待した、計画・実行・発表の力(能力)をもって、国力の向上、家庭改良につなげようとした教育方法を、現代の教育は学ぶべきものがある。