九州大学(院生)
2023 年 90 巻 3 号 p. 409-421
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本稿では、占領期の日本放送協会松山中央放送局管内における「ラジオの集い」の実施内容の形成過程を跡付けた。当初、同管内の「ラジオの集い」は、その「公民教育」の射程として、CIEや日本放送協会の関心事であった「政治教育」を強調していた。一方で、その後、愛媛県の社会教育課や農業改良課と結びつくことによって「考える農民」の育成にも取り組まれていった。こうした取り組みの総括的な団体として同管内では1952年に「ラジオの集い」連合会が結成されるに至ったのである。
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