教育学研究
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政策立案者としてのパウロ・フレイレ : サンパウロ私立学校をつくり変える(<特集>公教育再考)
山口 アンナ 真美
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2000 年 67 巻 4 号 p. 437-449

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抄録

非常字率や中退者・留年者率の高さにみられるブラジル教育の低迷は, 質の高い普通基礎教育を組織する国の政治的責任が欠如した結果である.1980年代における教育制度の民営化と分権化は, この傾向にもっぱら拍車をかけるものとなった.その結果, 多くの人々は量・質ともに限られた教育しか受けられなくなり, 質の高い教育は少数のエリート層の独占する者となった.有名な公立高等教育機関への道である私立学校で教育を受けることがてきるのは, 余裕があるエリート層だけなのである.1979年結成の労働者党(Partidodos Trabalhadores-PT)は常に, 保守的な支配層エリートに対する闘いの先頭に立って, 民主社会主義イデオロギーに基づく政策に沿って公教育の拡大と向上をめざしている.1989年の一斉自治体首長選挙で, 労働者党はサン・パウロ市市長当選をはたし, はじめて大きな政治的な勝利をおさめた.この時, 教育長に任命されたのが, 結成時以来の労働者党員であるパウロ・フレイレであった.学校教育改革のかつてないこの好機に, 1989年から1992年の4年間という短い任期だったが, パウロ・フレイレは「参加」「分権」「自治」の三つの原則に基づく「民衆的公立学校」(Popular Public School)の構築にとりくんだ.これらの原則を指針として(1)学校の運営の民主化, (2)教育機会の平等化, (3)教育の質の向上, (4)勤労青少年教育と成人教育, という四つの行動分野が定められた.ブルジョア学校を民衆的公立学校に変革するためには, 権威主義的行政組織を, 「権力」が一部の選ばれた人々でなくコミュニティ全体に共有される, 民主社会主義的原則に基づく組織に変える必要があった.この目的を果たすために, 従来の学校評議会が意志決定プロセスの鍵となる機関として位置づけられ, 学校運営の新しいモデルが提起された.学校評議会は40人(親・保護者10人, 生徒10人, 教員10人と学校職員10人)で構成されており, 各学校の教育プロジェクトの開発, 管理運営と予算決定の権限を有していた.学校評議会の確立は, 学校そのものを「民衆の場」(Popular space)に変革することであった.本稿では, 第一に, 労働者党政権が推進した管理運営改革の政策を, 一つの市立学校の事例に焦点を当てて, 4年間にわたる学校評議会の活動, 困難, 成果を論じる.第二に, カリキュラム改革プログラム, 特に「生成テーマ」による学際的カリキュラム, すなわち, 学際プロジェクト(Inter Project)の実地を論じる.学際プロジェクトは, 退学者や留年者の割合を減らすために, 児童生徒により意味のあるカリキュラム構築を実現して, 公教育の質の向上をはかろうとするものだった.この目標を達成するため, 学際プロジェクトは対話的省察と参加の原理を中心としたフレイレの課題提起教育学と生成テーマの概念に基づいて構想された.学際プロジェクトは教師, 「学校コミュニティ」, 親の教育に対する先入観に挑戦した.最後に, 教師の資質向上だけでなく, かれらの信念や態度の変革めざした, 教師の専門職としての力量形成プログラムを分析する.パウロ・フレイレが教育長に就任したとき, 彼は4年という短い期間で公立学校の現実を変革することが難しいことを承知していた.しかし, 不十分な点, 抵抗, 批判, が多々あったにせよ, この改革は, 学校教育の新しい概念形成の土台となる新しい「教育の政治学」の基盤を築くことに成功した.同時に, この改革は多くの教師や教育者に, 政治的な意志があればブラジルの公教育システムの質を向上させることが出来るという希望と確信を与え, かれらを激励した.この経験は, 日本が教育のプロセスにおいて親, 教師, 生徒が主導権を発揮し, 学校が地域共同体との協同のもとに構築される教育の対案を求めている現時点において, 指標になりうるものである.

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© 一般社団法人 日本教育学会
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