教育哲学研究
Online ISSN : 1884-1783
Print ISSN : 0387-3153
科学と教育
マルクス主義教育論における科学の位置
永冶 日出雄
著者情報
ジャーナル フリー

1961 年 1961 巻 5 号 p. 32-42

詳細
抄録

「人間の安息を憎む神が、科学の発明者であった。エジプトからギリシァに伝えられた古い伝説はこう語っている。天文学は迷信から、雄弁術は野心、憎悪、追従、虚言から、幾何学は貪欲、物理学は空虚な好奇心から、すべてのものが、道徳そのもがすらが、人間の傲慢から生まれた。科学と芸術とはしたがってその誕生をわれわれの悪徳に負っている。もしもわれわれの美徳が生みだしたものならば、われわれはそれらの利益をこれほど疑問にはしないであろう。」 (1) いまからおよそ二百年前、ジャン・ジャックルソーはその有名な懸賞論文のなかで、科学と芸術をこう痛烈に弾劾した。このような科学の全面的否定は今日ではほとんどみられない。けれども、科学の発展と浸透にたいして不安と恐怖を感じ、科学と人間の矛盾を指摘する人は、けっしてすくなくないように思われる。たとえば、務台理作氏は科学と技術の進歩によって生活上の便宜が増大したことを認めつつ、「科学とその技術化の進歩に伴って、人間の物化・量化・平均化がいちじるしくなり、それに加えて失業と貧困への不安、人類とその文化の大半を絶滅させるかもしれない世界戦争への恐怖も生まれつついるではないか。要するに人間の非人間化が進められつついるではないか。」 (2) と述べておられる。原子戦争の危険やいわゆる「大衆社会」的現象を考えるならば、科学はルソーの時代にもまして疑惑の眼をもってみられ、弁明を迫られているといってよいであろう。
しかし、科学への懐疑を消しきれぬままに、人々は日々の生活のなかにそれの成果を吸収せねばならない。人々は好むと好まざるにかかわらず、科学と技術の発展に相応した方策をとらざるをえない。教育の分野においても「各層の科学者と技術者の数を大巾にふやし、その教育の質を高めようという計画が、第二次大戦以後、とくに最近における、世界各国の科学技術政策ならびに教育政策の中心的な課題になってきている。」 (3) オートメーションの採用や原子力の利用による技術革新の波は、教育の領域にも押し寄せ、科学技術教育はいまや教育学の主要な論題の一つとなったのである。
科学技術教育についての論義は科学と人間、科学と教育をどう考えるかにつながっている。科学にたいし不信の念をいだく人はこれについてもまた批判的な態度をとるであろう。この論文は科学技術教育の現状について具体的に論ずるのではないが、科学と教育についての思想をマルクス主義の古典のなかに追求し、それを整理することによって、この問題にたいする一つの基礎的な資料を提供しようとしている。われわれはまず科学の意義を人間の生活の全体との関係で理解し、つぎにマルクス主義の教育論のなかで科学がどのように位置づけられているかを検討することとしよう。

著者関連情報
© 教育哲学会
前の記事 次の記事
feedback
Top