教育哲学研究
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教育哲学の学理論上の諸問題に対するM・ハイデッガーの思索の意義
毛利 猛
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1985 年 1985 巻 52 号 p. 88-91

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抄録

ハイデッガーは、彼の主著である『存在と時間』(一九二七)の中で、自らの哲学を「現存在の解釈学から出発する」「現象学的存在論」であると規定する。ハイデッガーにとって、哲学とは、その対象の面から見れば存在者の存在(Sein des Seienden)をその意味へと向けて問う「存在論」であり、これをその対象(存在)の取り扱いの面から見れば「現象学」である。ところで、存在は如何なる存在者でもないが、しかし常に存在者の存在であるから、我々はこの存在者を手掛りに存在(の意味)を読みとる他はない。存在(の意味)がそれに即して読みとられるべき範例的存在者は、我々人間存在である。人間存在のみが、他ならぬおのれの存在へと態度を取りつつ、「存在とは何か」を既に理解している特殊な存在者であり、存在(の意味)がそこで顕わになる「場」(Da)である。かかる意味で、ハイデッガーは我々人間存在を「現存在」(Dasein)と術語化し、この著作の第一篇で、「存在一般の意味」へと到る方法的通路として、まず現存在の存在を、その根本的な存在機構である「世界内存在」(lnder-Welt-sein)の三契機-(1)世界内、(2)世界内存在という仕方で存在する存在者、(3)内存在-に即して実存論的に分析したのである。
では、ハイデッガーのこの「現存在の実存論的分析論」は、教育哲学の学理論上の諸問題に対して如何なる意義をもつのであろうか。

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