教育哲学研究
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「終焉の自覚」から人間が誕生したとすれば……
土戸 敏彦
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2007 年 2007 巻 95 号 p. 89-100

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抄録

日々、茶飯事にかまけていると、見えるもの、考えることのほとんどはその茶飯事のみ、ということになりがちである。とりわけ昨今の職場環境や世の動きの尋常ならざる気忙しさは、ものごとの深奥に分け入ることを許そうとしない。だが、時として日常のなかに漂うささやかな浮遊空間に身を委ねてみると、得体の知れない疑問が浮上してくることもある。
たとえば創世期、生命体は自身から分身を生み出していたし、現在でもそのような生命体が存在する。しかるに、どういうわけで雌(女)と雄(男)の二種があるのか。あるいはまた、食し飲することは、生命体にとって仲間とともに楽しみつつ公然と行なわれる活動であろう。それなのにわが人間にあっては、同じ生きる際の重要な活動である生殖については口にすることさえはばかられるのは、どうしてなのか。等々。
ひとによって「教育」という問題に対する向き合い方はそれぞれさまざまであろう。私の場合、いろいろ彷復ったあげく最後には、人間を含めた生命にまつわる疑問に行き着いてしまう。

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