中東レビュー
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論稿
アラブ首長国連邦の対イラン経済関係と今後の展望
齋藤 純
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2016 年 3 巻 p. 110-123

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Translated Abstract

This paper investigates the changes in economic relations between Iran and the UAE, which historically has continued maintaining close economic intercourse with Iran in the Gulf Area, examining the prospects for change in their relationships in the future. By focusing on their trade relations and workers’ remittances among the GCC and Iran, this paper discusses changes in their economic linkages. The result of the analysis shows that the economic linkages with the UAE were closer with Iran than other GCC countries during the period 2000 - 2014.

はじめに

2015年7月に達成されたイラン核合意と2016年1月の核協議の合意実施を受け、対イラン経済制裁の段階的な解除に向けて拍車がかかることになった。このような状況の中、アラブ首長国連邦(United Arab Emirates: UAE)をはじめとする湾岸アラブ諸国は、イラン市場の開放を見据えてどのように対応しつつあるのだろうか。歴史的・地理的な関係性の強さから、長年イランとの貿易取引を行ってきたUAEにとって、対イラン経済制裁の解除は、石油価格が低迷する現状からの経済回復に向けて大きな弾みとなると期待されている。他方で、経済制裁の解除は、イランの国際経済への復帰を促し、ペルシャ湾岸地域における経済的存在感と周辺への影響力を増大させるという警戒感も根強くある。

本論考では、湾岸アラブ諸国の中でもイランとの密接な経済関係を維持し続けてきたUAEを対象に、これまでのイランとの経済関係の変化の状況を整理し、今後の展望について考察を行う。両国間の経済関係を観察するうえで特に着目するのは貿易関係と労働者送金である。2000~2014年を対象に、対イラン経済制裁が強化され、その後のイランを取り巻く状況変化に対して、UAEとイラン間の貿易取引と労働者送金がどのように変化したかに焦点を当てる。

本論考の構成は以下の通りである。第1節では、近代以降におけるUAEとイラン経済関係の素地について整理する。後節で具体的なデータ分析を行う前に、UAEとイランの歴史的な経済関係についてまとめる。第2節では、貿易関係と労働者送金の2つの視点から、両国の経済関係の変化を概観する。最後に、UAEとイラン間のこれまでの経済関係についてまとめ、対イラン経済制裁が解除された後、両国間の経済関係がどのように変化しうるかについて議論する。

1. UAE-イラン経済関係の素地

(1) UAEとイランの歴史的経済関係

本節ではまず、UAEとイランの歴史的関係について経済面に焦点を置いて整理する。そもそもUAEとイランとの経済関係は、近年始まったものではなく、ペルシャ湾を介した交易関係の長い歴史を持つ。ペルシャ湾岸地域は、古来より国際的な交易ネットワークの一部であった。すでに紀元1世紀ごろにおいて、湾岸地域から真珠・染料・民族衣装・葡萄酒・ナツメヤシ・金・奴隷などを輸出し、主にインド西岸から銅・各種木材を、イエメンから乳香を輸入していたことが記録されている[村川, 2011]。その後、18~19世紀における、インド産商品の湾岸地域(トゥルーシャル諸国、休戦諸国1)への供給は、当時の地域の交易センターとなっていたペルシャ側のバンダレ・レンゲ(Linja)を介して行われていた[Al-Fahim, 2008]。しかし、1870年代に、イラン政府(ガージャール朝)による南下政策と課税政策は、当時バンダレ・レンゲで活動していたアラブ人(カワーシム部族2)やペルシャ商人の多くをドバイ、シャルジャなどのペルシャ湾の南岸地域へ移住させる契機となった。Al-Fahim[2008]などによれば、このころからペルシャ湾における交易ハブがバンダレ・レンゲからドバイに移動し、ドバイの経済発展の基盤になったと言われる。

この時期に、ペルシャ湾を縦断するドバイ・アブダビ-ペルシャ間の交易も活発に行われるようになった。19世紀末以降、ペルシャ湾貿易の活況を背景にイラン南部で複数のペルシャ湾海運会社が設立された[水田, 2006]。また、アブダビのザーイド首長(Zayed bin Khalifa Al-Nahyan、在位1855-1909、現ハリーファ首長の曽祖父) 期には、アブダビからペルシャ湾岸へ真珠、ナツメヤシ、干魚を輸出し、綿織物、米、スパイスを輸入していたことが記録されている[Al-Blooshi, 2013]。このように、古くからペルシャ湾を縦断してペルシャ商人とアラブ商人が行き来し、多くのペルシャ系商人の家族がドバイやシャルジャなどに移住するようになった。

こうしたUAEとイランとの長年にわたる交易活動や人口移動により、イラン系住民はUAE社会に深く根付いてきた。世界銀行の推計によると2013年の在UAEのイラン系住民は41.2万人登録されており、UAE全人口の約5%を占める。カタルのビジネス誌[BQ Magazine、2015年4月号]の推計によると、UAE国内における外国籍住民では、インド(260万人)、パキスタン(120万人)、バングラデシュ(70万)、フィリピン(53万人)に次いで、イラン系住民はマジョリティ集団の1つになっている(表1)。

表1 UAEにおける住民の国籍別分布

(注)なお、在留邦人は約3,459 人(2013 年10 月、外務省統計)であり、うちアブダビ約670 人、ドバイ約2,500 人と報告されている。

(出所)BQ Magazine 2015 年4 月号 より筆者作成。

http://www.bq-magazine.com/economy/socioeconomics/2015/04/uae-populationby-nationality(2016 年1 月25 日アクセス)

ドバイ在住の外国人の中でイラン系住民は、比較的早期からドバイ社会と経済に根付いてきた。たとえば1957年には、ドバイにイラン人学校が設立されたが、当時アブダビでも国民向けの一般的な学校は設立されておらず、アブダビに初の一般的な(非宗教系の)学校が設立されたのは、1959年のことであった[Al-Fahim, 2008]。その後も、1970年にイラニアン病院を設立、1985年にイマーム・ホセイン・モスク建設、1990年には、イラニアン・クラブが設立されたほか、1992年にはイラン・ビジネス協議会が設立された[坂梨, 2008]。こうしたドバイにおける社会的・経済的組織の整備は、Galadariグループ3などのイラン系企業がドバイを中心に活動する素地となった。

(2) 湾岸アラブ諸国とイランの経済比較

ここでは、イラン経済の現状を湾岸アラブ諸国と比較しつつ整理し、近年湾岸地域においてイランの相対的な経済規模が低下していたことを示す。図1は1990~2015年におけるイランと湾岸アラブ諸国のGDP(購買力平価換算)を比較したものである。1990~1999年のGCCおよびイランのGDP総額に対するイランの割合は平均で36.6%、2000~2009年のイランの比率は36.0%を占めていたが、2010~2014年には32.7%にまで低下している。契機となったのは米国による対イラン追加制裁が決定された2011年である(表2)。それまで国連安全保障理事会によって制裁は課されていたが、イラン経済全体に対する影響はそれほど大きくなかったことが伺える。米国の対イラン追加制裁前後で、イランの購買力平価GDPは2011年の1.34兆ドルから2012年の1.28兆ドルに低下している。ペルシャ湾岸地域ではイランはいわゆる「経済大国」として長らく存在感を示して来たが、経済制裁が強化された2011年以降イランの経済規模が縮小したことで、地域経済におけるイランの相対的な影響力が低下した。

図1 湾岸アラブ諸国とイランの購買力平価GDPによる経済比較 (1990~2015年、単位:%)

(注)購買力平価GDPの相対比率計算に利用した以下のデータは予測値。イラン(2015年)、UAE・サウジアラビア・バハレーン・クウェイト・カタル(2014年以降)、オマーン(2012年以降)。

(出所)IMF, World Economic Outlook Database, October 2015 より筆者作成。

表2 最近のイラン経済制裁の概要(2006~2015年)

(出所)寺中・アブドリ(2011)、寺中(2014)をもとに報告者作成。

しかし、国際機関によるイランの経済見通しについては、比較的楽観視されることが多い。これまでの経済制裁下で制限されていた原油生産が再開され低水準の原油価格のまま推移したとしても、石油収入を増加させることができること、2013年以降のインフレ対策として実行されてきた財政・金融引き締め策が功を奏していること、制裁下で石油収入に依存しない経済体制を維持してきたため近年の原油価格の急落の影響が小さいことなどがこれらの楽観的見通しの背景となっている[IMF, 2015]。まず、2015年10月発表のIMFの経済見通しによれば、2015年のイランの名目GDP成長率は0.8%と予測されているものの、2016年以降は4%以上と予測されている(図2)。2020年のイランの名目GDP成長率予測値について言えば、4.4%であり湾岸アラブ諸国よりも高く評価されている。世界銀行の予測でも、経済制裁が2016年に解除されるという条件付きながら、イランの実質GDP成長率は2016年に5.1%、2017年には5.5%と楽観的な予測がされている。また、イランの経済見通しが楽観的にみられる1つの要素として、経済制裁解除後に回収される凍結海外資産の存在がある。イランは凍結された海外資産が1,017億ドルあり、制裁が解除されればすぐに290億ドルがイランの収入となると見られている[2015年8月13日付、Newsweek]。

図2 名目GDP成長率予測値(2012~2020年、単位:%)

(注)ここでの推計の前提条件として、原油価格を2015 年に51.62 ドル、2016 年以降50.62 ドルとするなどとしている。

(出所)IMF, World Economic Outlook Database, October 2015 より筆者作成。

他方で、湾岸アラブ諸国に対する経済見通しについては、ばらつきが見られる。一般に、石油輸出に依存する湾岸アラブ諸国は、原油価格の下落の影響を受けやすいが、国家歳入に占める石油収入の割合の大きなオマーン・クウェイト・サウジアラビアでは、名目GDPの見通しも特に低く評価されている[IMF, 2015]。2016~2020年にかけて、湾岸アラブ諸国全体の名目GDP成長率は減速するとみられているが、2016~2020年の平均名目GDP成長率の予測については、相対的に石油収入への依存度が小さいグループ:カタル(3.8%)、UAE(3.5%)、バハレーン(3.1%)と、依存度の高いグループ:サウジアラビア(2.9%)、クウェイト(2.8%)、オマーン(1.7%)に分けることができる。しかし、湾岸アラブ諸国内でUAEとカタルの経済見通しが相対的に高く評価されているとはいえ、UAEでは2020年にドバイ万国博覧会、他方カタルは2022年にサッカー・FIFAワールドカップ大会を控えており、不動産プロジェクトをはじめ大型のインフラ関連プロジェクトを抱えているにもかかわらず、3%前後の経済成長率見通しはやや厳しいものと言わざるを得ない。

2. UAE-イラン経済関係を見るための2つの視点

次に、第2節では、UAEとイランとの経済関係を貿易関係と労働者送金の2点から整理し、2000年代を通じて湾岸アラブ諸国とイランとの経済関係の中で、UAEとイラン間の関係が例外的に強まっていたことを示す。

(1) UAEとイランの貿易関係

まず、UAEにとってイランは歴史的な経緯と地理的な近さもあり、重要な貿易パートナーであり続けてきたが、貿易相手国としてのイランの重要性は、近年特に高まりつつあった。表3は、2000~2014年における、UAEの輸出相手上位10か国と商品輸出額(FOBベース)の推移を示したものである。2000年におけるUAEからイラン向け商品輸出額は10.5億ドルで商品輸出総額の3.0%に過ぎなかったが、2012年には280億ドル、2013年には277億ドル、2014年には293億ドルとUAEの商品輸出総額の拡大とともにイラン向け商品輸出額も増加してきた。

表3 UAEの輸出相手国と輸出額(FOBベース)の推移(2000~2014年、単位;100万ドル)

(注)本表の輸出額は、商品輸出のみを対象としている。

(出所)IMF, Direction of Trade by Countryより筆者作成。

また、UAEの輸出に占める再輸出を考慮すると、2013年の商品輸出総額2,335億ドル(うち石油輸出1,294億ドル)に加え、再輸出が1,407億ドルと推計されている。そのうち20%程度がイラン向け再輸出と言われており、UAEの商品輸出と再輸出のうちイラン向けの割合についても近年特に高まっていることが分かる。

2007年の国際金融危機と2009年のドバイショックは、UAEの輸出産業にも悪影響を与えたが、輸出総額が伸び悩むなかでもイラン向け輸出は堅調に成長を続けてきた(図3)。2008年のUAE輸出総額のうちイラン向けの比率は7.3%であったが、2009年には10.4%にまで拡大している。2011年12月に米国の対イラン追加制裁が決定し、ドル取引を禁止する金融制裁が発動された後、イランの輸出比率は低下するものの、2014年には輸出総額の9.7%まで回復した。

図3 UAEの対イラン貿易額の推移(2000~2014年)

(注)輸出額はFOB、輸入額はCIF基準。

(出所)UNCTAD databaseより筆者作成。

UAEにとって、対イラン貿易は輸出超過になっていた。イランへの輸出額に対しイランからの輸入額は相対的に小さい(図3)。UNCTADのデータによると、2014年のUAEのイラン向け輸出総額347億ドルに対して輸入総額は15.2億ドル4に過ぎない。UAEの輸出総額に占めるイラン向けの割合は9.7%であるのに対して、輸入総額に占めるイランの割合は0.6%であった(2014年)。2000~2014年の期間においては、UAEの輸出にとってイランの比重は増加傾向にあったが、輸入に関してはほぼ横ばい、あるいは低下傾向にあった。

イランにとっても、UAEは最も重要な貿易相手国であり、イラン税関資料によれば、2014年のイランの輸出総額(非石油部門のみ)に占めるUAEの構成比は11.0%、輸入総額の23.2%を占めたと報告されている。2014年8月にはイランの石油副大臣が、ドバイ及びアブダビ向けの天然ガス輸出を交渉中であり、クウェイトもイラン産ガスの輸入に興味を示しているとの発言をしており[2014年8月16日付、Trend]、もしこうした大型の案件が将来に現実のものとなるならば、UAEとイラン間の貿易関係はさらに深まると予想される。

(2) 労働者送金

次に、労働者送金の面からUAEとイラン間における近年の経済関係の深化についてまとめる。広く中東北アフリカ諸国においては、UAEは外国人労働者の受け入れ国として重要な労働者送金の供給国になりつつあるが、一方でイランは多数の労働者を周辺国に送り出し、労働者送金の主要な受入国の1つになってきた。そして、労働者送金を受け入れるイランにとって、UAEの貢献が近年大きなものになってきている。UAEからの海外向け労働者送金総額は293億ドル(2014年)で全世界の総額の5%を占める5。ただし、労働者送金の統計について公式送金と非公式送金が存在することに留意する必要がある。中東調査会(2006)によると、2004年のUAEの公式の海外送金額は40億ドルであったが、これに加えてハワーラなどの非公式送金6が14.4億ドルであったと推計されている。

UAEから全世界向けの労働者送金が拡大する中で、UAEからイラン向けの労働者送金も増加傾向にあった。世界銀行の統計によると、UAEからイランへの労働者送金額は2010年に3700万ドルから、2013年に3.5億ドル、2014年には3.6億ドルと拡大している(図4)。ただし、イラン向け労働者送金は、UAEの労働者送金総額のなかでは必ずしも大きな割合を占めるものではない。たとえば2014年のイラン向け送金額3.6億ドルはUAEからの送金総額の1.25%に過ぎない7。しかし、イラン向け労働者送金総額に占めるUAEの割合が、2010年の3.1%から2014年の26.3%に拡大していたことは注目に値する。UAE中央銀行は、2000年以降マネーロンダリング対策の一環として、非公式な海外送金の監視に取り組んできた。監視強化を受けて、それまで非公式のチャンネルを利用していた労働者送金が、公式のチャンネルを利用するようになったことも一因と考えられる。また、2010年時点でUAEからイランへ送金を行う場合、1日当たり20万ディルハム(5.5万ドル)を超える場合のみ当局への報告を義務付けられており、EUにおける規制と比べても比較的緩やかなものであった。これらを背景として、UAEからイランへの公式ルートを通じた労働者送金が活発化したと思われる。先の非公式送金も含めるとイラン向けの労働者送金にしめるUAEの割合はさらに大きいものと予想される。

図4 イラン向け労働者送金額の内訳(2010~2014年、単位:100万ドル)

(出所)World Bank、Bilateral Remittance Matricesより筆者作成。

(3) イランと湾岸アラブ諸国間の経済的リンケージ 

これまで、貿易構造と労働者送金の側面からUAEとイランとの間の経済関係の変化について論じてきた。ここで、イランおよびUAEの周辺国について、2000年と2014年における対UAE依存度を対GDP比率で計算し、各国のUAEとの経済的なリンケージ(つながり)の変化について整理を試みる(表4)。結果的に、UAEに対する経済的な依存度は、2000~2014年にかけて、他のGCC諸国よりもイランのほうが強まっていることが分かった。

表4 UAEとの経済的リンケージの変化(対GDP比率、%)

(注)輸出、輸入、労働者送金はUAEとの名目取引額が各国の名目GDPに占める比率を示した(%)。

(出所)IMF, World Economic Outlook Database、Direction of Trade by Countryより筆者作成。

対GDP比率で見たイランの対UAEとのリンケージについて見ると、2000~2014年にかけて輸出・輸入・労働者送金を通じたリンケージが強まったことが特徴である。他のGCC諸国は、2000年時点でもともと輸出と輸入の対UAE依存度はイランよりも高かったが(特にオマーン、カタル、バハレーン)、2014年においてはクウェイト・カタル・バハレーンの輸入で対UAE依存度の微減が観察された。労働者送金に関しては、UAEからの他の湾岸アラブ諸国への労働送金額が明らかにされていないことが多いが、UAEからイラン向けの労働者送金が対GDP比において増加していることは指摘できる。

おわりに:考察と今後の展望

最後に、今後のUAEとイラン間の経済関係を見通すうえで、これまで整理してきた貿易関係と労働者送金の視点を背景に、以下の2点を今後の展望として指摘したい。

第一に、これまでイランに対する経済制裁の有無にかかわらず、UAEとイラン間の経済関係は密接に維持されてきたことから、短期的には経済制裁が解除された後には経済関係のさらなる強化あるいは回復の動きがみられると考えられる。すでに2014年から2015年12月末までの間にも、UAEのビジネス界がイラン市場へ働きかける動きが報道されてきた。2014年3月には、UAE商工会議所主催でUAE企業団がテヘランを訪問し、引き続き両国間での企業レベルでの経済協力を進めていくことが協議された。2015年8月には、RAK セラミックス社8が関連子会社である在イラン法人企業の株式の20%を取得し、完全子会社化を行ったと報じられた。同社は、将来の制裁解除を見据えて、完全子会社化を通じてイラン市場へのシェア拡大と中央アジア市場向けの生産拠点強化をもくろんでいる[2015年8月6日付、Saudi Gazette]。

第二に、対イラン経済制裁解除が、UAEとイランとの主に貿易部門における依存関係を変化させる可能性についてである。これまで経済制裁下にあり国際金融市場において封じ込められていたイランにとっては、UAE特にドバイが国際貿易網と国際金融市場への貴重な窓口として活用されてきたことは無視できない。これまではイランへの直接的な貿易取引が困難であったため、イラン向け貨物をいったんドバイに送り、ドバイ発の貨物としてイランに送るという手段がとられてきた。また、イラン人がドバイで商品を買い付け、それをイランへ送るという方法によって[細井, 2011]、実質的にドバイがイランの貿易窓口の機能を担ってきた。経済制裁が解除され国際金融市場に「普通の国」としてイランが復帰した場合、ドバイは対イランの「特殊な窓口」としての機能を維持し続けることは可能であろうか。仮に、イランがドバイを経由せずに他国と直接貿易取引を行うようになった場合、対イラン貿易におけるドバイのアドバンテージは失われうる。ただし、現在のところドバイはイラン向け貿易窓口であるにとどまらず、地域における一大貿易ハブとしての機能を確立しつつある。ドバイが今後も地域における再輸出拠点としての機能を維持し続けることが、UAEがイランの重要な貿易パートナーであり続けることの条件となるだろう。

最後に、UAEとイランを取り巻く周辺状況は極めて流動的であり、2016年1月のイランとサウジアラビアの関係悪化とそれに伴う各国の反応など、突発的な事案が生じうる。UAEとイラン間の経済関係を含めた国際関係が危機的な事態に陥る可能性を含めて注視を続ける必要がある。

本文の注
1  18世紀終わりから19世紀初めにかけて、英国人たちは現在のUAEの地域を「海賊海岸」と呼んでいたが、1835年、永続的な休戦協定が締結されて以降、「休戦海岸」あるいは「休戦諸国」と名付けた[Al-Fahim, 2008]。

2  カワーシム部族は、シャルジャとラス・アル・ハイマの現首長家ファミリーである。

3  Galadari家はイランの有力商家を出自とする一族で、1930年代にドバイで創業し1970年代の石油ブームを追い風に成功を収めた[日本貿易振興機構,2010]。現在、Galadari Brothers社を旗艦としてメディア、自動車、食品・飲料、工業・技術製品、不動産など多岐にわたる分野で事業を展開している。

4  UAE向けのイランからの主要輸入産品は、食品、建築資材、石油化学製品、カーペット、ピスタチオ、陶器、農産物などであった(2014年)。

5  UAEの労働者送金総額が全世界の5%という比率は一見小さく見えるが、首位の米国1309億ドル(総額の22%、同年)と比較すると決して小規模とは言えない。

6  ハワーラ(Hawala)とは、文書記録を残さずに行う伝統的な送金システムである。送り手は仲介ブローカーに金を預け、海外などで別のブローカーから受け取る。のちにブローカー間で勘定を精算する。一般に、ハワーラ・ブローカーによる送金手数料は、銀行など正規の送金手数料よりも安いため、外国人労働者などの送金に使われることが多い。

7  同年におけるUAEの労働者送金の主要受け取り国は、インド(126億ドル)、パキスタン(41.5億ドル)、フィリピン(34.6億ドル)、バングラデシュ(26.2億ドル)、エジプト(18.4億ドル)であった。

8  RAKセラミックス社は、ラアス・アル・ハイマ首長国(Ras Al Khaimah;RAK)に本拠を置くセラミック製品製造企業。1989年にサウード首長(Sheikh Saud Bin Saqr Al Qasimi)により設立された王族系企業である。国内だけでなくバングラデシュや中国、スーダン、イラン、インドなど海外へも製造拠点を拡大する多国籍企業に成長しつつある。企業へのリンクは、http://www.rakceramics.com

参考文献
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  • 寺中純子、ケイワン・アブドリ 2011.「イラン:制裁の効果と今後の展開」『海外投融資』No.20(2), pp.2-16.
  • 日本貿易振興機構 2010. 「アラブ首長国連邦の消費市場とビジネスグループ」日本貿易振興機構.
  • 細井長 2011. 『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』明石書店.
  • 水田正史 2006.『近代イラン金融史研究』ミネルヴァ書房.
  • 村川堅太郎(訳) 2011. 『エリュトゥラー海案内記』中央公論新社.
 
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