Azerbaijan, a land locked country in South Caucasia, gained independence in 1991 after the break-up of the USSR. It is surrounded by Russia, Iran, Armenia, Georgia, and Turkey and is compelled to depend on a balancing act in its diplomacy to protect its sovereignty and survive. In April 2018, it reiterated its intention to host the 2019 Summit of the Non-Aligned Movement (NAM) in Baku and take on the position of chairmanship of NAM for a 3-year term. It is to be noted that Azerbaijan took this decision at a time of heightened tensions in the region when the US unilaterally withdrew from the Joint Comprehensive Plan of Action, popularly known as the Iran nuclear deal. Azerbaijan has a border with northwestern Iran and has had a complicated relationship with it based on historical, ethnic, and religious ties. At the same time, Azerbaijan is the major supplier of oil to Israel, which is increasingly antagonistic to Iran. For the last decade, Israel and Iran have tried to gain Azerbaijan’s favor by offering arms or adjusting their diplomatic stance to take into account the geopolitical importance of Azerbaijan. Iran switched from its tacit support to Armenia on the Nagorno Karabakh conflict to a more sympathetic understanding of Azerbaijan’s position.
The Nagorno Karabakh issue has been the focal point of security and sovereignty for Azerbaijan, which claims that Nagorno Karabakh and its neighboring areas have been occupied illegally by Armenia. Since the latter half of 2018, Israel has raised the level of military cooperation with Azerbaijan by supplying more advanced arms, such as drones, while Iran strengthened its military links with Azerbaijan by enhancing its military contacts and cooperation. For Azerbaijan, the simultaneous deepening of military cooperation with the two influential and mutually antagonistic regional powers—Israel and Iran—is not inconsistent because it seeks to upgrade its own military capacity.
The NAM has not been given serious attention in the world politics since the end of the cold war. At the same time, the objective reality that the number of member states has increased cannot be denied. The purpose and definition of the NAM is still vague and allows member states to arrive at different versions of its objectives. The mediating capacity of the NAM to solve conflicts among the member states is, at best, marginal. However, the NAM is a forum where the participants—most of whom experienced colonial rule—can express strong or mild dissatisfaction with the present world regime, dominated by the West. In this sense, the role of NAM could be still flexible and effective under certain conditions in the fluid world political system. Azerbaijan utilizes the NAM to achieve a balance in its diplomatic relations in the present turbulent situation and strengthen its political position on the Nagorno Karabakh issue.
南コーカサスに位置するアゼルバイジャンは1991年までソ連を構成する共和国であったが、同年10月18日に独立を達成して4半世紀が経過した。この国が独立以来抱えている地政学的課題は極めて多層的である。何よりも1918年にアゼルバイジャン民主(人民)共和国として一旦独立を達成しながら、1920年に再度ロシアに編入されソ連内の一国となった歴史を有している。アゼルバイジャンは現在、独立した年を1991年ではなく1918年としている。1923年から1936年まではザカフカース社会主義共和国連邦の構成部分となった。欧州・アジアの間に位置し、中東との地政学的に関係を持たざるを得ない。チュルク系民族でありながら、歴史的にみると1813年のゴレスターン条約、1828年のトルコマンチャーイ条約を通じて北部アゼルバイジャンはイランからロシア領に編入されていったように、トルコ、ペルシャの影響も残っている。ソ連に含まれていたことから欧州に帰属する地域と分類されることも少なくない。
ここでアゼルバイジャン外交の現段階を取り上げた目的は、もともと多様な国家的アクターに取り囲まれるなかで、いわゆる「バランス外交」の典型のような同国が、米国トランプ政権の登場以降の新たな環境のなかで、どう対応しているかを検討することである。米国は2018年5月にイランの核開発に関する「共同包括行動計画(JCPOA)1」から一方的に離脱し、新たな厳しい経済制裁を隣国イランに課す事態となった。イラン制裁問題の影響と結果については今後の展開を待たざるを得ないが、アゼルバイジャンはイランと米国・イスラエルという利害が正面から衝突する一つの重要な舞台となっている。アゼルバイジャンは地理的にイランの隣国でありながら、他方では石油輸出と兵器購入などを通じてイスラエルと緊密な関係を構築してきた。アゼルバイジャンはムスリム人口が圧倒的に多い国のなかで、イスラエルとの関係が緊密であるという点で例外的な存在となっている。
そのなかで注目されることは少なく、また余り報道されていないが、2018年4月5日~6日にアゼルバイジャンの首都バクーで「持続可能な開発のための国際平和と安全保障の拡大」をテーマに非同盟諸国外相会議が開催された2。そこではイランのザリーフ外相が最初の演説の機会を与えられ、「米国政府がこれまで以上に一方的な政策に固執していることは国際平和に対する危険信号だ」と強調した。外相会議で2019年にはバクーで次期非同盟諸国首脳会議の開催が再確認3され、2019年以降3年間、アゼルバイジャンがベネズエラから議長国のポストを引き継ぐことになった。アゼルバイジャンの親欧米外交を知るものにとって意外な開催地として受け取る向きもあったが、非同盟運動の幅の広さを考えれば十分理解できるものである。外相会議の直前の3月30日、アゼルバイジャン外務省スポークスマンは、「我が国は非同盟運動(Non-Alignment Movement:NAM)の精神と諸原則を支持している」とし、「第18回NAM首脳会議の主催国となり、2019-2022年3か年の議長国となる4」と表明した。なお、第18回首脳会議は2019年10月25日、26日にバクーで予定されている。
冷戦崩壊以降、NAMは存在理由を失ったかのように一部で見られていた。しかし1991年12月のソ連崩壊時には加盟国は102か国であったのに対して、その後も増加を続け、2018年12月現在120か国に達しており国連加盟国の約3分の2を占めるようになっている5。その点からも、NAMの現代国際政治における意味を無視することはできず、新たな視点で見直す必要があることを示している。同時に、この視点とアゼルバイジャン外交を重ね合わせて検討することは、現段階のNAMとアゼルバイジャンの外交双方を分析するテストケースともなる。NAMの冷戦終結以降の存在理由に関する社会科学的研究があまり見られないことも事実である。このような関心の欠如はNAMが基本的に米欧諸国によって歓迎されていない事実も一部反映している。その加盟国は政治体制においても、また米欧との関連においても極めて多様であるにもかかわらず、NAMがしばしば西側の国際秩序に対する異論を強弱はあるにせよ、それを表明する場所を提供してきたことを見逃せない。2019年までのNAM議長国が米欧との対立を深めているベネズエラであるのも象徴的である。逆にいえば加盟国にとっては、西側の国際秩序に対する異論を表明するフォーラムである点に存在理由が見いだされているともいえるのである。逆に言えば、変化しつつある国際秩序の在り方に対する反応と要求を提示するフォーラムともなるのである。NAMは2017年7月の核兵器禁止条約などの推進役の勢力の一つでもあった。それは圧倒的多数の加盟国が元植民地支配を受けてきた国々であることも関連している。このような背景を考慮した場合、アゼルバイジャン外交にとってNAMはどのような意味を持っているのであろうか。
アゼルバイジャン共和国はカスピ海沿岸国であるが西アジア・中東と東欧に挟まれた内陸国であり、北はロシア、北西はジョージア(グルジア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接している。同国にはアルメニアとイランに挟まれた飛び地ナヒチェバン自治共和国がある6。ナヒチェバンは貧しい地域であるが、現大統領の家系を含め主要な政治家を輩出している点で独自の役割を占めている。コーカサスの人々は、職業と土地を結びつけて考える傾向があるという7。アゼルバイジャンの地政学的特徴は国境を接するいずれの隣国とも戦闘状態あるいは緊張要因を持っていることである。アゼルバイジャンにとってはアルメニアとナゴルノ・カラバフ自治区のアルメニア人とは戦争状態が今日においても継続している8。周辺地域で緊密で安定的な関係を保持してきたのは同じチュルク系であるトルコのみであり、対アルメニアではアゼルバイジャンと一体化した政策をとってきた。1993年4月6日、アゼルバイジャンがアルメニア軍の撤退を要求してアルメニアに対する全面的経済封鎖政策をとったことに同調して、直ちにアルメニアに対して同様な措置をとっている。アゼルバイジャンとジョージア(旧グルジア)との関係は概して良好であるが、デイビド・ガレジャ修道院をめぐる領域紛争が未解決となっている。北のロシアとの関係は長い歴史的事情から緊張関係が存続している。またカスピ海を挟んだ中央アジアの同じチュルク系が多いカザフスタン、トルクメニスタンとは接しているが、経済発展の歴史が異なる中央アジアとの関係はそれほど密ではなかった。しかしガス・パイプラインでの協力の可能性と同時にカスピ海を巡る権益をめぐる対立の両面を孕んだ複雑な関係にある。
アゼルバイジャンの人口は2018年で約990万人と推定される。人口の9割強がチュルク系のアゼリー人であり、多数派はイランと同じシーア派12イマーム派のムスリムである9。それ以外に、コーカサスの複雑な歴史を背景にして多様な少数民族が混在している。産油国でもあり、一人当たりGDPは4141ドル(2017年IMF推計)となっている。カスピ海周辺の天然ガス・石油生産に恵まれており、特に2000年代に入って以降の石油価格の高騰で恩恵を被り、2005年頃から順調な経済成長を経験した。特に首都バクーはコーカサス最大の都市として発展を享受した。しかしガス・石油輸出に過度に依存する経済構造の脆弱性を有しており、またいわゆる「オランダ病」の否定的な影響も見られる。産業構造の多角化は大きな課題である。
他方、同国は極めて複雑な地政学的条件への対応を迫られてきた歴史を有している。ソ連時代末期の1987年にナゴルノ・カラバフ自治区のアルメニア人の間で同自治区のアルメニアへの編入要求が高まった。その後バクー近郊のスムガイトでのアザリー人とアルメニア人の流血の衝突が起き、急速に事態は悪化していった。1989年末から1990年1月にかけてバクーで対アルメニア人ポグロムが起き、アルメニア人保護のために出動しソ連治安部隊の投入で市民の間で多くの死者が出た。ソ連治安当局が民族紛争を鎮圧することに失敗したことはソ連の権威を失墜させ、ソ連崩壊の要因の一つとなった。この事件は「黒い1月」と呼ばれる。それ以降、ナゴルノ・カラバフ紛争はアゼルバイジャンとアルメニアの間の国家間戦争に展開していった。1993年4月にはアルメニア軍にナゴルノ・カラバフと近接するアゼルバイジャン領の一部を占領された。しかし同年6月の軍事反乱などを経て老練なハイデル・アリエフが大統領に就任し、ようやく同国は安定軌道に乗り出した。ハイデル・アリエフは1980年代に一時期ムスリムとして初めてソ連共産党政治局員となった経歴を持つ。ハイデル・アリエフが2003年に死去した後は、息子のイルハム・アリエフが大統領に就任し今日に至っている。議会と選挙制度は存在しているが大統領の権限は極めて大きい。その意味で現アリエフ大統領の指導力は極めて重要な意味を持つ。アゼルバイジャンが抱える地政学上の条件課題としては以下の点が挙げられる。
第1に、何よりもナゴルノ・カラバフの「独立」および自国領の一部をアルメニアに占領された状況をどう打開していくかという課題である。これは最大の「とげ」として今日まで残存する重要問題である。第2に、近隣にロシア、トルコ、イラン3地域大国を抱えており、アルメニア問題を絡むかたちで外交の自立性をどう確保するかという課題がある。第3に、カスピ海に臨む有力な産油国の一つとして経済発展に有利な条件を有しながらも、そのガス輸出政策は中東地域・欧州のエネルギー供給にも影響を及ぼす戦略的な意味も持っている。イスラエルへの主要な石油供給国という役割も担っている。石油ガス問題はカスピ海の法的地位、石油ガス輸出用パイプラインのルートなどの国際政治上の問題と絡むことになる。同時に石油ガス資源は同国の政治的影響力を拡大する政策上の手段ともなっている。第4に、人口の圧倒的多数がムスリムであり、しかも隣国イランと同一宗派であるシーア派12イマーム派が中心である。ソ連時代の世俗主義政策の結果もありイスラーム主義運動の影響は目立たないが、中央アジア諸国同様に解放党(ヒズブ・ル・タフリール)の影響が見られ、政府はこれに対して厳しい対応をしてきた。ロシア領の北コーカサスのムスリム諸共和国の動向、特にチェチェンやダゲスタンなどの動向も無視できない。他方、イスラーム諸国会議などとの協調という外交路線はムスリム国として保持してきた。第5に、イランのアゼリー人との民族的共通性に関連して、しばしば理念的なアゼリー民族主義と結びつくと、イランとの関係において摩擦を生じることがある。1992年6月の大統領選挙で過激な民族主義者のエルチベイが6割近い票で選出されたが、エルチベイはイラン北西部のアゼルバイジャン地域の併合、イスラーム共和国の樹立、トルコとの関係緊密化などを主張し、イラン側の警戒心を刺激した。その摩擦はアゼルバイジャン・アルメニア対立においてイランがアルメニアに好意的な対応をした一因となっている。宗教的には一種のねじれ現象である。内陸国アルメニアにとっては敵対関係にあるトルコ・アゼルバイジャンに挟まれ、北のグルジア経由のルートが不安定な中で、イランを通じる貿易ルートは極めて重要であった。第6に、ムスリム国でありながらイスラエルとの関係が緊密であり、特に近年はイスラエルとの軍事的協力も深化させてきたことが注目される。イスラエルはアゼルバイジャン石油の40%を輸入している10。イスラエルとの緊密な関係を構築した背景については、仲介者としてのアゼルバイジャン北部のグバなどの「山岳ユダヤ人」と言われるコミュニティーの存在が指摘されるが、アゼルバイジャンとイランの対立要因に注目して戦略的理由からイスラエルが接近を図ってきたと見る方が実際に近いであろう。特にイランでアフマディネジャド大統領(在任:2005~2013年)の「反イスラエル」的言説に警戒したイスラエルはアゼルバイジャンへの接近を図った。同時にアルメニアとの対立を意識した軍事力強化のためのイスラエル製兵器に対するアゼルバイジャンの需要に対応したことも事実である。第7に、NATOとは「平和のためのパートナーシップ」協定の下に、その軍事面での支援・協力を得てきたが、同時にロシアとの対応も注意深く見守りながら、バランス外交を維持してきたことである。それはNATOと協力しつつも、加盟国という選択肢は目標としないという形で反映されている。
ナゴルノ・カラバフ紛争とは、ソ連時代にアゼルバイジャン共和国内のナゴルノ・カラバフ自治区として存在していた地域と周辺の7地区に関わるアルメニアとアゼルバイジャンの間の帰属に関わる紛争である。この問題はアゼルバイジャンにとって最大の外交内政上の課題として大きなとげとなっている。ナゴルノ・カラバフはアルメニア人多住地域でアゼリー人は少数派であったが、1988年2月にナゴルノ・カラバフのアルメニア人がアルメニア・ソビエト共和国への帰属替えを要求したことが直接のきっかけになった。それは1990年代に入るとアルメニア・アゼルバイジャン間の全面戦争に発展し、1991年から1994年の停戦までの戦闘は激しかった11。この紛争はトルコのオザル大統領がアゼルバイジャン側に立って開戦の準備を発表するなど国際化する契機も孕むものであった。トルコは介入前にロシアの牽制などもあり軍事介入は取りやめたが官民ともアゼルバイジャン支持は強かった。またアフガニスタンからハザラ系のムジャヒディーンがアゼルバイジャン側支援に駆け付けて参戦するなど国際的な広がりも持った。1889年2月のソ連軍のアフガニスタン撤退と時期が重なり、新たな標的を求めてアゼルバイジャン支援したためでもある12。
しかし近隣諸国のなかでアゼルバイジャンにとって、最も緊密なのはトルコであり同じチュルク系として民族・言語面での一体性の絆が強く、両国は特殊関係といってよいくらい緊密化関係を保持してきた。さらにアゼルバイジャンにとってカスピ海周辺の天然ガス・石油のロシアに依存しなくて済む輸出用輸送パイプラインのルートとしてトルコの存在は貴重である。またトルコにとってアゼルバイジャンの石油ガスは重要な輸入品である。いわゆるBTC石油パイプライン13はジョージア・トルコ経由でトルコへの石油供給と並んで、イスラエルなどへの輸出ルートを保証している。また後述のようにトルコ経由の欧州へのガス・パイプライン構想である南部ガス回廊(SGC:Southern Gas Corridor14)もアゼルバイジャンとトルコの協力を不可欠なものとしている。同時にトルコ・イラン・ロシアの3地域大国はシリア問題での複雑な駆け引きを展開しており、アゼルバイジャンもその影響を受けるが、ここでは立ち入らない。
さて、このナゴルノ・カラバフ戦争は全体を通じて2万5千人以上の死者を出し、100万人以上が国内外の難民を生み出すという大きな犠牲が生まれた。ナゴルノ・カラバフとその周辺のアゼルバイジャン領のシャフミアンなど7地域がアルメニア軍によって占領され、今日でも同様な状況が続いている。アゼルバイジャンにとっては国土の20%が占領された状況にある。ナゴルノ・カラバフのアルメニア人は独立を主張しステパナケルトを首都とする「アルツァフ(Artsakh)共和国15」と名乗り、アルメニアはそれを支援する形をとった。その支配領域は北部・東部でアゼルバイジャン、西部でアルメニア、南部でイランと接している。ナゴルノ・カラバフのアゼリー人の多くは国内難民化し、深刻な社会経済的問題を生み出した。アゼルバイジャンは当然、ナゴルノ・カラバフの独立を認めていないが、アルメニアも国際情勢をみながら「アルツァフ共和国」を承認していない。しかし「アルツァフ」が基本的にアルメニアに依存していることは否定できず、アルメニア・アゼルバイジャン対立の変形として存在している。国連も「アルツァフ」を承認していない。
1994年5月12日にロシア及びOSCE(欧州安保協力機構)の仲介により停戦が合意された。その後もOSCEのミンスク・グループといわれる米・仏・露の仲介により和平の努力が続けられているが,しばしばアルメニア・アゼルバイジャン間の軍事衝突が起き、解決の見通しは立っていない。2016年4月にも規模の大きい衝突が起きている。両地域の間には平和維持軍は存在していなくて両軍が直接対峙する形となっている。アルメニア側は「凍結された紛争(frozen conflict)」として現状維持を図ろうとしているが、アゼルバイジャンはこれを受け入れることはできない。この紛争に関して多様な提案がなされてきたが、双方に受け入れられるものは出ていない。アゼルバイジャンの妥協点としては、同国内の自治共和国までの地位であって、アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフの連邦国家構想は受け入れる用意はない。
アゼルバイジャンは独立以降、アルメニアとの友好関係を維持しているロシアを警戒せざるを得ず、またイランとの関係も不安定であった。そのなかでロシアと比較的類似した関係を有する旧ソ連構成共和国と一定の連携を構築するとともに、米・欧州との関係も重視してNATO(北大西洋条約機構)との政治対話・交流を進めてきた。故ハイデル・アリエフ前大統領の安保構想を基礎としているといってよい。アゼルバイジャンは1994年にNATOの「平和のためのパートナーシップの枠組み(PfP: Partnership for Peace)」に参加して、地域安全保障、アフガニスタンへの治安維持への貢献、エネルギー安保、安全保障・国防の分野で参加しようとしてきた。PfPは、NATOと他の欧州諸国が旧ソ連構成国の24ヶ国との間の信頼醸成を目的とした取り組みのことである。NATO側からすれば、いずれ正式のNATO加盟国への道を開くことが企図されていたと見るべきであろう。この枠組みとしては、全加盟国(NATOを含む)により、NATO内部の一機関である欧州・大西洋パートナーシップ理事会が構成された。旧東側ブロックが崩壊して間もなくの1994年である。「冷戦終焉」後の新たな国際秩序形成への期待が高まっていた時期でもあり、NATO加盟を求める東側の国もあった。PfPに参加したなかで13ヶ国(アルバニア、ブルガリア、クロアチア、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、モンテネグロ、ポーランド、ルーマニア、スロバキア、スロベニア)がその後、NATOに加盟した。しかし旧ソ連構成共和国のなかでNATOの加盟国となったのはバルト3国のみである。このNATOの「東漸」はロシアのプーチン政権のNATO・西側に対する警戒心を高めることになり、今日の米ロシア関係を規定する伏線となった。アゼルバイジャンは今までいくつかの行動計画(Action Plans)で合意し、4次の計画を実施し、200ほどのプロジェクトに参加してきた。
さらにIPAPsは2002年11月のNATOのプラハ会議で立ち上げられたもので、NATOとの関連を深化させる政治的意図と能力を有する国に開かれているプログラムで、その課題は各国との協力目的と優先度を明確に規定し、それに直接対応する様々な協力メカニズムを実施することとなった。それを通じてNATOは国防と安全保障に関連した政策や広範な国内改革に関するアドバイスを行うことになっている。NATOとしては将来の加盟国候補という意味もあると思われる。なお南コーカサスのグルジア(ジョージア)、アルメニアもこのプロジェクトに参加している。ロシアに対する警戒心を有するアゼルバイジャンは、NATOとの一定の協力はロシアとの関係で対抗力を見せるという意味があった。今日までに、コソボ、アフガニスタン、イラクに対して象徴的な意味が強いが20名ほどの兵士を派遣してきた。しかし同時にロシアを過度に刺激することを避ける意味からNATOの正式加盟国の地位を求める意向を表明したことはない。アゼルバイジャンが2011年に非同盟諸国会議への参加が認められたのも、NATO加盟国ではないということが当然考慮されたものである。
NATOとの関係で触れておく必要があるのはGUAMである。これは1997年に旧ソ連構成共和国のなかでロシアとの係争事項を有する国、あるいはロシアに対する警戒心が強い国が、ストラスブールでの欧州評議会で政治的経済的な地域協力グループGUAMが結成した。GUAM名はグルジア(現ジョージア)、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドヴァの頭文字をとってつなげたものであるが、軍事的協力も視野に入れた組織であった。米欧はその反ロシア的性格を評価して強く支持したが、ロシアが警戒心を抱いたのは当然であった。しかしグループ内各国の対露政策には温度差が大きく、そのなかでアゼルバイジャンは穏健路線を代表していた。ウズベキスタンが1995年から2005年まで参加し5か国でGUUAMと称した時期があった。2006年5月、キエフでGUAMは「民主主義と経済発展のための機構 GUAM OEDE(GUAM Organization for Democracy and Economic Development)」となった16。組織の性格は経済協力を前面に出したものに変わりつつある。現在、トルコとラトビアがオブザーバーとして参加している。他方、2005年12月にウクライナ、グルジアが組織した反露的性格が強いCDC(Community of Democratic Choice)に対して、アゼルバイジャンはオブザーバーの資格で参加するにとどまった。
アゼルバイジャンとイランとの関係は歴史的、民族的関係もあって複雑である。1991年10月のアゼルバイジャン独立に伴い、イランは1992年1月4日にその独立を承認し、現在アゼルバイジャンのバクーに大使館、ナヒチェバンに領事館があり、他方アゼルバイジャンはテヘランに大使館、タブリーズに領事館を置いている。しかし独立直後にアゼリー人の民族統一運動がアゼルバイジャンで一定の影響力を持ったことがイラン側の警戒心を呼び起こし、ナゴルノ・カラバフを巡るアルメニアとアゼルバイジャンの対立に対してイランがアルメニア寄りの姿勢を示したことで両国の関係は長い間、冷ややかなものであった。その過程で、イスラエルとアゼルバイジャンが軍事面を含む協力関係を一層強化される契機となったのは、1997年8月のネタニヤフ首相のバクー訪問であった。イスラエルはアゼルバイジャン軍の近代化に協力するなかで砲撃、対戦車などの兵器の売却を行った。アゼルバイジャンは対アルメニアを視野に入れた軍備強化であったことは間違いない。しかし、イスラエルの対イラン敵視政策は2005年に就任したアフマディネジャド大統領の一連の「イスラエル敵視」発言、イラン核開発疑惑問題と重なって強化された。2009年のシモン・ペレス大統領がバクーを訪問した際には、アゼルバイジャンに合弁兵器生産計画が出るほど、軍事協力の方向が強化された。そのなかでイランはアゼルバイジャンでのイスラエルの影響を弱めようとしてアゼルバイジャンへの接近に努力するようになった。
アフマディネジャド大統領の2010年のバクー訪問などを契機に両国関係が改善の方向が進み、ロウハーニー大統領時代に入ると急速に関係が改善された。ナゴルノ・カラバフ問題に対してイランがアゼルバイジャンの主張を基本的に受け入れるようになったことと関連しているとみられる。その時期は明確に確定しえないが、2013年以降、アゼルバイジャン・トルコ・イラン3国の外相会議が定例開催されるようになったことは、ナゴルノ・カラバフ問題に関する見解で基本的な合意が前提にあるとみられる。2018年10月30日の3国第6回外相会議がイスタンブルで行われ、「イスタンブル宣言」が出された。そこでは「平和5原則」に基づく、ナゴルノ・カラバフ問題の解決の必要性が強調されている。なお、2016年8月7日、ロウハーニー大統領はロシア、アゼルバイジャンの3国首脳会議に出席するためバクーを訪問し、南北ルート(インドのムンバイ、イラン、アゼルバイジャンを経てモスクワを結ぶ)について協議した。また、女性と家庭、スポーツと青少年、文化、保健医療、カスピ海の石油採掘、経済、産業など8つの協力文書に調印した。やや遡るが、2018年3月15日、イランのザリーフ外相はバクーでアゼルバイジャンのアリエフ大統領と会談したが、その際アリエフ大統領は、「イランとアゼルバイジャンの関係が、現在ほど良好だったことはない」と語っている17。2019年1月16日、イランのムハンマド・バゲリ陸軍参謀長がバクーを訪問し、アリエフ大統領と会談した。アゼルバイジャンの独立以来、イラン軍の高官では最も高い地位の者の訪問である。バゲリ参謀長はアゼルバイジャン側に対して、ナゴルノ・カラバフ問題でのイランの支持を示唆したと伝えられている18。
2018年5月以降、米国の対イラン制裁が発動されるなかで、アゼルバイジャン周辺の情勢変化で注目されるのは、過去20年以上にわたり沿岸5カ国(ロシア、イラン、カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン)の間で係争問題であったカスピ海の法的地位に関する合意が成立したことである。2018年8月12日にカザフスタンのアクタの5カ国首脳会議で「カスピ海の法的地域に関する協定」が署名された19。ソ連時代はカスピ海問題に関してはソ連とイランの2ヶ国が当事国であったが、ソ連解体後は独立したカザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンが新たな当事国として加わりカスピ海を巡る利害関係は複雑化した。カスピ海は日本とほぼ同一規模にあたる総面積37万㎢という広大な内陸水域で塩湖であるが、石油・天然ガスなどの天然資源、キャビア生産に関連するチョウザメの有数の生息地であると同時に、沿岸5カ国の安全保障に関連する地域でもある。環境問題も利権問題に絡むようになった。カスピ海を巡る係争問題は、それが国際法的に「海」なのか、「湖」なのかに争点が集約されていた。「海」であれば国連海洋法条約(UNCLOS: United Nations Convention on the Law of the Sea20)の対象となり沿岸国に資源が分割される。他方、「湖」であれば、資源は沿岸国の共同開発の可能性が出てくる。イランがカスピ海が「湖」であると主張してきた背景にはカスピ海のイラン側には地下資源の賦存度が少ないのではないかという問題があった。ようやく成立した今回の合意は、カスピ海を「海」とも「湖」とも定義せず、「特別な法的地位」を有するとして妥協の結果生まれたものである。その含意は、水面は共用地域であり5か国は領域を超えて自由に航行できるが、海底資源は沿岸国に分割される。この合意は今後、さらに詰めるべきところが残されているとされ公表されていないが、各種の報道を基礎にして争点を考慮に入れると残された課題は以下のような問題と推測される。第1にカスピ海の石油・天然ガスに代表される海底資源およびキャビアに象徴される漁業資源の分割をどうするか、海底には500億バレルの石油と8兆4000億立米の天然ガスが埋蔵されていると言われる。第2に沿岸国以外の国にカスピ海の軍事使用を許すのか、第3にトルクメニスタンとアゼルバイジャンを結ぶ海底ガス・パイプライン敷設の可能性とそれが持つ地政学的意味、第4にカスピ海で深刻化する環境問題への対処などである。
イランはカスピ底資源問題での従来の主張を後退させ、イランにとって不利な条件で妥協したと見られる。イランは従来、カスピ海は「海」ではなく「湖」であると主張してきたが、他の4カ国は同調してこなかった。イランの妥協の背景には米国のイラン制裁が強化されるなかで、カスピ海が域外国、特に米国とその同盟国に軍事的に利用される可能性を封じることが急務であったためと思われる。カスピ海には沿岸各国が海軍艦艇を有しており相互に緊張関係が存在している。カスピ海の軍事的意味は地域的に拡大している。2015年10月7日、ロシアのショイグ国防相は、カスピ海上の巡洋艦からシリアのISグループの目標に向けて26基の巡航ミサイルを発射し目的に到達したと発表した21。カスピ海からの飛行距離は約1500キロであるが、この発表はカスピ海が中東での戦闘においても基地の役割をはたすことがあらためて印象付けられた。今回のカスピ海合意は国際海洋法の適用外になる意味を持ち、沿岸5カ国以外の軍事用艦艇の参入を阻止するものと理解されうる。しかし、カザフスタンは米軍のアフガニスタン戦略上の物資輸送においてカザフスタンのカスピ海沿岸のアクタウ港の利用を認める意向を表明しており、軍事的利用の具体的な内容は何かが問われることになろう。他方、トルクメニスタンからアゼルバイジャンへの海底パイプライン敷設計画にとっての法的制約条件は改善された。コスト、投資資金、トルクメニスタンのガス埋蔵量などの問題は別として、このプロジェクトはトルクメニスタンのガスをロシアを経由せずにアゼルバイジャンのガス・パイプラインに連結してトルコ、さらに欧州市場などに輸出できる可能性を示すもので、ロシア・ルートへの依存度を減らしたい欧州の期待に対応する意味をもっている。
ソ連解体以降の米国の対南コーカサス政策自体はジレンマにとらわれたものであった。ナゴルノ・カラバフを巡るアゼルバイジャンとアルメニア間の対立においても、アゼルバイジャンの産油国としての重要性を重視する一方、米国内で有力なアルメニア・ロビーの圧力への政治的対応の必要性との狭間にあったからである。米議会は1992年10月にアルメニア・ロビーの圧力の下で、自由支援法(Freedom for Russia and Emerging Eurasian Democracies and Open Markets (FREEDOM) Support Act22)を通過させた。同法はアゼルバイジャンに対して人道援助以外の経済支援を一切行わないというものである。その後、同法撤廃の動きはあったが、アルメニア・ロビーのため実現できなかったが、2001年9.11事件以降、対テロ作戦でアゼルバイジャンの協力を得ることが必要ということで、上記法の1年間「時限的無効」措置をとり、その後毎年延長するという形でアゼルバイジャンとアルメニアの間の利益折衷案をとった23。
2018年5月以降の今回の対イラン制裁において、8月6日、米トランプ大統領の行政命令で南部ガス回廊プロジェクト(SGC)は対イラン制裁の対象から除外されることになった24。11月4日からの米エネルギー制裁ではイランとビジネスを行う企業は米国の金融システムから排除されることになっている。SGCは「新しいシルクロード」とも称されるもので、アゼルバイジャンのカスピ海ガス田から南部コーカサス・パイプライン、アナトリア横断パイプラインを経由して欧州市場にガスを輸送するプロジェクトである。別名アドリア海回廊とも呼ばれる。その主要な供給源はカスピ海にあるアゼルバイジャンのシャーデニス・ガス田であるが、SGCは欧州委員会のイニシャチブによるもので年間160億立米のガス輸送を目標としている。このガス田は主としてBP(英国石油)の事業であるが、その第2フェーズにイランのNIOC(国営イラン石油会社)の子会社であるNICO25が10%の持ち株比率で参加している。ロシアへのエネルギー依存度を低下させたい欧州側の要請を考慮して、米国は事実上の制裁適用除外を受け入れたものとみられる。イランはアゼルバイジャン、トルクメニスタン、カザフスタンと原油のスワップ合意をしており、中央アジアの原油がカスピ海のイラン側に輸送され、イランはそれに相当する原油をペルシャ湾岸における中央アジア諸国の顧客に引き渡すことができる。しかし、その実態は米国のイラン制裁の動きもあり、よくわかっていない。
旧ソ連構成共和国のなかでアゼルバイジャンはイスラエルとの政治、経済、軍事面での協力を最も進めてきたムスリム国として独特なケースとなっている。同時にイスラエルが敵視を強めてきたイランと隣国であり、かつ複雑で深い関係をもっている国でもある。アゼルバイジャンは敵対するイスラエル・イラン両国と良好な関係を維持するという外交関係を保持することが必要となっている。イラン・イスラエル両国の対立は深化しているなかで、アゼルバイジャンの立ち位置は常に厳しい状況に置かれていると言ってよい。
中央アジアのムスリム多住国であるウズベキスタンも同国のユダヤ系市民がソ連崩壊前後にイスラエルに移住したこともあってイスラエルとの関係は良好である。首都タシュケントとテルアビブの間には定期便が就航しており、経済交流も進展しているが、アゼルバイジャンほど緊密ではない。アゼルバイジャンはイスラエルとの交流促進は間接的に対米関係を良好に維持する政策の一環でもあり、同時にイスラエルの先端兵器を入手し得るというメリットがある。イスラエルがアゼルバイジャンと接近してきた背景にはイラン情勢を知る上で有利な地理的条件であるととともに、周辺アラブ諸国から輸入困難な石油を獲得することが可能であったためであった。さらにイスラエル製兵器の有力な輸出先として有望である26。現に2017年のイスラエルの兵器輸出先ではインド、ベトナムに次ぐ第3位の市場で1億3700万ドルであった。イスラエル製の高性能のドローン(無人攻撃機)に対する需要は強い。アゼルバイジャンはまた、イスラエルのスカイストライカー・ドローンを外国で同ドローンを入手した最初の国となった27。これについては、アゼルバイジャンとイスラエルの石油と兵器の事実上のバーターであるとする見方も存在している。
しかしアゼルバイジャンは他方ではムスリム国としてのバランスを保持しようとしてきた。パレスチナ国家を1992年に承認しておりバクーにはパレスチナ大使館がある。またイスラエルから大統領、首相がバクーを訪問することはあっても、アゼルバイジャンの大統領がイスラエルを訪問したことはない。しかし軍事協力は進展している。2017年10月24日にはバクーでイラン・アゼルバイジャン両国の国防省の間で、初めて軍事協力に関する作業部会が開催された。トランプ米大統領の対イラン姿勢が強化されるなかで、イスラエルのアゼルバイジャンへの働きかけも活発化しているようである。2018年9月14日、イスラエル国防相(当時)のリーベルマンがバクーを訪問し、アゼルバイジャン首相と会談した。首相はイスラエル・アゼルバイジャン両国が良好な関係を発展させてきたことを評価し、それは地域的国際的安全保障に有益であると述べた。リーベルマン国防相は軍事・農業・観光分野等での協力発展への期待を表明した。
またアゼルバイジャン参謀総長はその直後の10月24日に初めてのイスラエルへの公式訪問を行った。イスラエルはこれらの動きを現段階のイスラエル・イラン対立において、アゼルバイジャンのイスラエル寄りの姿勢を示したものと評価する論調が見られたが、それはアゼルバイジャンのバランス外交を理解したコメントとは見られない28。アルメニアはアゼルバイジャンとイスラエルの軍事協力を危険なものと非難してきたが、イスラエルはナゴルノ・カラバフ問題ではアゼルバイジャンの主張を支持しており、それが両国の軍事協力での基礎となっている29。アゼルバイジャンはイスラエル・イランの対立で一方に与するような姿勢は慎重に避けている。他方、イスラエルとの関係強化を示すことは、間接的に米国にメッセージを送り、対イラン制裁での例外措置をできるだけ承認させるとともに、また米国の対イラン政策に巻き込まれないようにするものであろう。国境を接しているアゼルバイジャンが対イラン経済制裁の抜け道となるような疑念を持たれないようにしなければならないからである。
アゼルバイジャンのバランス外交は、イランとの軍事協力の強化によっても示されている。2019年1月16日、アゼルバイジャン国防相ザキール・ハサノフ上級大将の招待でイランの陸軍参謀総長M.バゲリ少将がバクーを訪問した。これはイランの陸軍参謀長の初めてのバクー訪問であり、軍事・軍事技術・軍事医学・教育・反テロ・地域の安全保障で意見交換を行い、今後の軍事協力における協力促進のプロトコールを結んだ30。そこで重要な点はナゴルノ・カラバフを含むアゼルバイジャンの姿勢を基本的にイランが支持していることであろう。イスラエルとイランの両国と軍事協力を進める条件において最も重要な点は、イスラエルとの軍事協力はイランを目標としたものではなく、またイランとの軍事協力もイスラエルを目標としたものではなく、アゼルバイジャンの安全保障の中核である被占領地の回復、具体的にはナゴルノ・カラバフ問題への対処という位置づけを明確化しようとしている点であり、それを前提としてイスラエル・イランともアゼルバイジャンの軍事協力政策を容認するという論理であろう。アゼルバイジャンがイスラエルの対イラン軍事攻撃の基地となる可能性があれば、アゼルバイジャンとイランとの軍事面での協力強化は成立しえないであろう。
アゼルバイジャンのジレンマはナゴルノ・カラバフ問題の解決なしには長期的発展戦略が建てられないことであり、しかしその条件で経済発展を追求せざるを得ない点にある。アリエフ大統領はこの困難で複雑な課題を巧妙なバランス外交を通じて何とか乗りこなしてきたといえよう。イスラエルの先端兵器へのアクセスを確保するとともに、イランの政策をアルメニア寄りからアゼルバイジャンの主張の方に引き寄せてくるのに成功した。また西側・NATOとの関係も安全保障上から重視するとともに、NATOとの接近がロシアが警戒する「レッドライン」を超えないように、つまりNATO正式加盟という選択肢は排除してきた。隣国ジョージア(グルジア)が2008年8月にロシアとの戦争に入り、南オセチアとアブハジアをロシアによって切り離された事実をひとつの教訓として見ていると考えられる。またナゴルノ・カラバフ問題におけるロシアの影響力を無視することはできない。
アゼルバイジャンのバランス外交を規定しているもう一つの要因は、その地政学的位置を利点として利用していることである。ユーラシア大陸の東西、南北の道路・鉄道・パイプラインなどの通過地域、それに関与する石油ガス生産の重要性を考慮に入れた影響力である。中国の「一帯一路」イニシャチブはユーラシア大陸における多様なルート構想に刺激を与えているが、アゼルバイジャンはその動きに注目している。2018年3月15日、バクーでイラン、アゼルバイジャン、ジョージア、トルコの4カ国の外相会議が開催され、インド洋・ペルシャ湾と黒海を結びつける経済的に有益なルート構築での協力促進を協議した。ザリーフ・イラン外相はアゼルバイジャン国民がイラン空港のビザ取得が可能になる政策を検討していると述べた。
アゼルバイジャンはロシアに対する一定の警戒心を捨てていないが、ロシアを入れないとアゼルバイジャンの地理的優位性を生かせないという条件も十分理解している。2012年までロシアはアゼルバイジャンのガバラにレーダー基地を賃借契約で保持していたが、同年の賃借料交渉が不調で、その後はアゼルバイジャンの管理下にある。他方、2002年にインド・イラン・ロシア間で合意されたインドのムンバイとモスクワを結ぶ南北輸送回廊構想も存在しており、2018年に入って再度関心を引いている。これは船・鉄道・道路で全長7200キロを結ぶもので、3国の他アゼルバイジャンの参加を不可欠なものとしている31。現在のインド洋・アラビア海・紅海(スエズ運河)・地中海・北海・バルト海経由ルートより時間・コストが大幅に削減できるという期待がある。今後東アジアと欧州を北極海ルートで連結するルートの可能性も考慮に入れると、スエズ運河を不可欠なルートとしない国際輸送ルートのバリエーションが拡大するものと思われる。
また経済協力機構(ECO: Economic Cooperation Organization)も潜在的に有力な組織である32。もともとトルコ・イラン・パキスタンの3国の組織に旧ソ連構成ムスリム国が参加したもので、冷戦崩壊後、中央アジア5カ国(キルギス・カザフスタン・タジキスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン)のほかアゼルバイジャン・アフガニスタンの「非アラブ系」ムスリム諸国の10カ国で構成され、道路・鉄道等のインフラ整備を主眼としている33。本部はテヘランにある。ECOが中国の「一帯一路」とどのように関わるかが注目される。中国がイニシャチブをとったAIIB(アジア・インフラ投資銀行)の融資予定プロジェクトを見ると、アゼルバイジャンはインドに次いで有力投資先となっている。それは南部ガス回廊プロジェクトの一環であるTANAP(アナトリア横断パイプライン)に対する協調融資への参加であり、6億ドルの借款が承認されている34。
現在のアゼルバイジャンの外交政策において非同盟運動(NAM)への参加は特に注目すべき政策であろうか。冷戦体制の崩壊後、いわゆる米ソ2極体制が崩壊し、ソ連が支配するワルシャワ条約機構は解体した。他方、NATOは残存しただけでなく新たな加盟国を旧ソ連圏から受け入れる一方、その活動領域をアフガニスタンなど欧米地域を越えて域外にまで拡大させた。このようにして、いわば一種の米国による「一極体制」が成立した状況となり、米ソ両極から等距離を保つことによる、自国の外交政策の幅の自由度を拡大する意味での中立政策の余地は減少した。それに伴い、非同盟運動は歴史的使命を終えたとする見方が一部には生まれたが、非同盟運動とその組織は生き延び、先に述べたように2018年4月現在、アジア・アフリカさらにラテン・アメリカなどを中心に約20か国増加し120カ国が加盟国となっている35。冷戦体制の崩壊により減少するとも見られた非同盟諸国会議に参加する国はむしろ増加したのである。1961年に第一回首脳会議が行われた際は25カ国にすぎなかった非同盟運動への参加国は5倍となったのである。この事実は、参加各国に非同盟運動に参加する理由が存在することを意味しており、これは現段階の国際政治における無視しえない一側面を代表しているといえよう。
非同盟運動や非同盟諸国を国際政治上の一つのブロックとして見るには、参加国の多様性の大きさを見ると無意味のように見えるし、また同一の政治的ドクトリンで統一されているとは必ずしも言えない。また歴史上の変化に伴って問題関心の変化も見られるように流動的かつ包容力も大きい。また、非同盟主義に対する理解・定義・解釈は参加各国によってそれぞれ異なると言われるほど多様な解釈を共存させている。国際政治上のアクターとしては米ロ中などの「大国」と比べてみても、その影響力が特に大きいようにも見えない。
しかし、冷戦の崩壊にもかかわらず、加盟国が増加した背景に関しては、それを存続せしめている現実的根拠があるはずである。この根拠は流動的性格を有しながら、現在の国際政治における客観的現実を反映する現象として捉えるべきであろう。それは、南北間の格差拡大、核兵器廃絶、環境問題、パレスチナ問題、一極主義など現在の大国間の「国際秩序」に対して大小の多様な異議を提起するとともに、それにより加盟各国がその外交の幅を拡大する場を提供している運動体というべきであろう。さらにNGOあるいはNPOのような非国家組織が国際政治のアクターとして登場している現在、非同盟運動はNGOなどと課題を共有する可能性も徐々に拡大している。
同時に検討すべきは、非同盟運動の創設時の目的・理念と現段階の運動は異なったのであろうかという問題である。その点で注目すべきは1961年6月の第一回非同盟諸国会議直前の外相会議で合意された加盟条件である。それは以下の5項目からなっている。
(1)政治.社会体制の異なる諸国家の共存および非同盟にもとづく独自の政策を遂行するか、またはそのような政策を実施する意思をしめこと。
(2)民族独立運動を変わりなく支持すること。
(3)諸国家間の対立との関連で締結された多国間で締結された多国間軍事同盟に加盟しないこと。
(4)大国とのあいだで二国間軍事協定を締結し、地域防衛条約に参加する場合でも、そのような協定または条約はことさらに諸大国の対立との関連で締結されたものでないこと。
(5)外国に軍事基地を提供している場合でも、それが諸大国との関連でなされたものではないこと36。
このなかで、特に(4)と(5)の理解によっては解釈の幅が極めて大きく、かつ多様であるのが理解できる。米ソ冷戦時代とは異なる解釈を受け入れる余地が存在する。
なお、非同盟運動と平和五原則(Five Principles of Peaceful Coexistence)は完全に重なるものではないが、平和5原則は基本的なイデオロギー的基礎となっていることは間違いない。平和五原則は中国の周恩来首相とインドのネルー首相の会談に基づき1954年に合意された、一般の国際関係における原則を示したものである。それは、領土・主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存の5本の柱である。具体的な紛争に関しては見解の相違が生じうるが、この原則は少なくとも理念のレベルで非同盟諸国にとって受け入れられるものである。アゼルバイジャンにとっても受け入れ可能としているわけであるが、ナゴルノ・カラバフを被占領とみれば、アルメニアを批判する根拠ともなりうるものである。
中東の非同盟運動の加盟国37には北アフリカではエジプト、リビア、モロッコ、アルジェリア、モーリタニア、スーダン、ソマリアがあり、サウジアラビア、バハレーン、アラブ首長国連邦、クウェイト、カタル、オマーン、イエメンという湾岸GCC加盟国、ヨルダン、シリア、レバノン、パレスチナさらにイラク、イランが参加している。注目されるのは米第5艦隊の基地であるバハレーン、中東最大のウベイド米空軍基地を擁するカタルも加盟を認められていることである。上記加盟条件の(5)の解釈で認められたものであろう。イスラエルはアラブ諸国からみると受け入れられないということになろう。トルコはNATO加盟国であり、非同盟運動の加盟条件を満たしていない。
旧ソ連構成国で非同盟運動に加盟しているのは4か国で、ウズベキスタン(1992年)のほか、トルクメニスタンが独立直後に永世中立国の地位を国連に認められており、非同盟運動にも参加している。アゼルバイジャンは2011年のインドネシアのバリの非同盟運動50周年閣僚会議で初めて正式加盟国となった。異色なのはベラルーシであり1998年に加盟し、アゼルバイジャンが加盟するまでヨーロッパ唯一の加盟国であったと自称している38。ベラルーシはロシアを中心とする安全保障条約(CSTO)に、アルメニア、タジキスタン、キルギス、カザフスタンと並んで1992年以来加盟国である。他方、アルメア、タジキスタン、キルギス、カザフスタンは非同盟運動ではオブザーバー国である。ベラルーシは「非同盟運動が国際的な場で途上国に対する西側の一方的なアプローチと行動に抵抗する政治組織として存続することを求めている39」として評価しているが、早い時期に加盟を認められたのは米国一極支配に対抗するという論理が受け入れられたものと見られる。同外務省のホームページでは、「NAMは西側によるグローバルな場での一方的なアプローチと行動に反対しようとする政治的グループの一角を占めるものである40」としている。
アゼルバイジャンは石油ガス輸出国という立場を生かしながらも、ナゴルノ・カラバフを巡るアルメニアとの対立、米ロ間の対立、イスラエルとイランの対立の激化に対して、多様なバランス外交の一つとして非同盟運動も一つの選択肢として、動員しているとして見ることができる。特に2018年5月以降の米イラン対立の激化の渦のなかに巻き込まれないようにするという意図が働いているといえよう。しかし、それは米イランあるいはイスラエルから距離を置くという形ではなく、双方から政治的譲歩を引き出し、さらには軍事的協力を深めて必要な兵器を入手するという巧妙なバランス外交となっている。アゼルバイジャンを自らの方向にできるだけ引き付けようとするイスラエルとイランの対立構造をいわば逆手にとっているのである。2018年末以降、アゼルバイジャンがイスラエルともイランとも軍事協力面でのレベルを挙げてきたことは注目すべき動きである。
従って、2018年10月以降のイスラエルへの新たな軍事・安全保障・経済面での協力強化の動きも、イランよりイスラエル重視に路線を転換したというように見ることはできない。それはイスラエルを媒介にして米トランプ政権へのメッセージでもあり、それだけアゼルバイジャンの外交上の自由の拡大を求める意味があろう。他方、米中貿易「戦争」がハイテクを巡る覇権争いの様相を示しており、サイバーセキュリティー問題が今日の戦争のあり方を大きく変えつつあると見られるなかで、イスラエルのサイバーセキュリティー関係の技術習得が独自の軍事的重要性を高めている点も反映している。インドとならんで、従来の兵器顧客ではなかったベトナムが2015年以降、イスラエルの軍事協力を急速に深めているのも、南シナ海での中国との緊張に神経を尖らせていることもその反映であろう。アゼルバイジャンは他方ではイランとの軍事面の交流も高まっている。それはアゼルバイジャンの国益である占領地の回復という名目であり、対イラン、あるいは対イスラエルのものではないという立場である。これは地域大国に挟まれた「小国」の立ち位置を反映するものである。
現時点の非同盟運動の議長はベネズエラのマドゥロ大統領であり、それ以前の2012年から2016年まではイランのロウハーニー大統領であった。それ以前は、エジプト、キューバ、マレーシア、南アフリカ、ユーゴスラビア、インド、インドネシア、スリランカ、ジンバベなどであった。米国に対して厳しい姿勢をとる国が少なくなかったが、例外もある。2019年にアゼルバイジャンが議長国を引き継ぐとすれば、親米欧的性格も併せ持つ性格の議長国となろう。また旧ソ連圏諸国のなかで最初に議長国を務めることになり、非同盟運動に新たな意義づけを与える可能性を持つことになろう。
なお、本稿で非同盟運動にやや詳しく触れたのは、この動きが国際政治の主要なアクターとなったという主張をする意図ではない。しかし、現段階のような極めて流動的かつ不透明な国際情勢の展開のなかで、「小国」が外交上の選択肢を模索する際、動員しようとする選択肢の一つであり、米国の「アメリカ・ファースト」を主張するなかで、相対的に弱い立場にある多くの非同盟諸国加盟国が集団として利益を守る上で、影響力という点で可能性を含む運動の一形態として、考慮に入れる必要があるということである。国際情勢も極めて流動的段階に入ってきた現在、柔軟な思考で多様な選択肢を見る視点が必要とされている。