中東レビュー
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政治経済レポート
総論:2018年の中東地域
鈴木 均
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2019 年 6 巻 p. 2-5

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はじめに

トランプ政権が2年目を迎えた2018年は中間選挙の年でもあり、米国の対中東外交はその内政に引っ張られる形で事態が進展した一面がある。だがその一方で米国トランプ政権のメディア効果を強く意識した派手なパフォーマンスの背後で米国の中東政治からの撤退と影響力の縮小が加速度的に進行したのが2018年のもう一つの基調であった。本稿では米トランプ政権の対イラン強硬策に始まりシリア・アフガニスタンからの軍の撤退表明で終わった2018年の中東地域における内外の政治動向を概観する

イラン:直面する内外の脅威

2017年末にマシュハドで始まり2018年の年頭にかけてイラン国内各都市で起こった抗議デモは、2008年頃から抗議運動の主流になったソーシャルメディア(イランではTelegramが主流)を活用しての動員が背景にあるとはいえトランプ大統領自身が当初からデモへの支持をツイッターで表明するなど自然発生的とは言い難い点が少なからずあった。その後トランプ政権は3月13日にティラーソン国務長官を解任して対イラン強硬派のマイク・ポンペオ元CIA長官を後任に据え、さらに4月9日にはブッシュ政権期のイラク戦争開戦時に国連大使であったジョン・ボルトンを大統領補佐官に任ずるに及び1、同政権の対イラン政策のその後の過激化は決定的なものとなった。

事実トランプ政権は5月8日にはイラン核合意(JCPOA)からの離脱を表明、その直後の12日(イスラエル建国70年の記念日)には米大使館のエルサレム移転を発表してその志向する中東政策のタカ派的な性格を明確にした。イランではボルトン補佐官の任命をきっかけに通貨リヤルが暴落し、その後も6月21日以降のトランプ政権のイラン産原油禁輸措置によりリヤル価はさらに急落、テヘランのバーザールでの抗議デモや一部閉鎖も伝えられた。

だが11月の米国中間選挙直前の経済制裁再開で頂点に達した感のある米トランプ政権のこうした対イラン強硬策も、オバマ大統領の時とは異なりEU主要国からの支持を全く得られておらず、米国内の支持者へのアピールを別とすれば実際上の政治的効果は極めて限定的とみられる。事実ポンペオ国務長官は一連の対イラン政策がイランの体制転換を目指したものではない旨を繰り返しており、その目標がイランとのより包括的な核交渉にあると表明しているが、現時点でイラン側がそのような交渉に応じるという兆候は皆無である。

サウジアラビア:統治システムの抱える矛盾

中東域内で現在米国の対イラン政策を明確に支持しているのはイスラエル、サウジアラビア、UAEなどに限定されるが、これらの国々にしてもトランプ政権(およびトランプの娘婿で中東政策を実質的に担当しているジャレッド・クシュナー大統領上級顧問)と状況認識をどの程度共有しているかは不明である。特にサウジアラビアは2015年1月にサルマン国王が王位に就いて以来、次の王位後継者として弱冠33歳のムハンマド・ビン・サルマン皇太子が国内の要職をほぼ独占して国政を主導する役割を担っているものの、その政治的な資質については不確実な点があまりに多い。

ムハンマド皇太子は元々サウジ国内では伝統的な社会的弊害を打破する改革の旗手として若年層を中心に圧倒的な支持を得ており、6月の女性の自動車運転の解禁に象徴される近代化策を打ち出してきた。だが2017年11月の反汚職委員会による王族や閣僚経験者などを含む381人の一斉逮捕はムハンマド皇太子に批判的な対抗勢力の封じ込めが目的であったとされ、また2018年10月にイスタンブルのサウジ領事館で発覚した米在住のサウジ人ジャーナリスト・ジャマール・カショギのサウジ当局による殺害事件は米国CIAの調査でムハンマド皇太子の関与が確実視されるなど、サウジアラビアの政治体制とサルマン皇太子の資質に対する国際的な信頼は大いに揺らいでいると言わなければならない。

サウジアラビアにとっての最大の問題は、旧来の世襲による権力継承のシステムが王室内でのさまざまな疑心暗鬼と確執を生むに至っていることと、近年急速に導入されたSNSなどのネットワーク環境がサウジ社会の隅々にまで強力な監視システムを行き渡らせる結果になっており、これが時に暴走してカショギ事件のような予想外の帰結をもたらすという事である2

イスラエル:激変する内外の環境

他方でイスラエルに目を転じると、独・仏・英をはじめとするEU主要各国が米トランプ政権の対イラン政策をはじめとする中東政策と距離を取っている中で、これまでイスラエルのネタニエフ首相はトランプ大統領に同調してイラン脅威論の急先鋒を演じてきた。だが2018年2月にイスラエル検察が汚職疑惑での起訴を発表したことで13年間にわたった長期政権も2019年4月9日の総選挙で政権交代への可能性が高まっていた。

ところが野党の中道統一会派「青と白」を率いるガンツ元参謀総長のスマートフォンでのプライベート音声がハッキングされて流出したことにより、現時点で総選挙の帰趨は再び不透明な情勢になっており、ネタニエフ首相が再選される可能性が出てきており予断を許さない。2016年のBrexit国民投票や米国大統領選挙以来、各国の国政選挙におけるネット上の介入が常態化しているが、イスラエルの総選挙もその例に漏れないと言えるのかもしれない。

だがイスラエルにとって2018年を通じて国家安全保障上の最大の問題は、隣国シリアにおいて2011年末以来内戦状態におかれていたバッシャール・アサド大統領側がほぼ勝利を確実にし、その結果としてアサド体制側を一貫して支えてきたイランがゴラン高原を挟んだイスラエル国境の北側に革命防衛隊組織やヒズブッラーの軍事拠点を半永久的に維持する可能性が濃厚になったことである。それを象徴しているのが2月25日のバッシャール・アサド大統領による電撃的なイラン訪問であり、イスラエルにとってはトランプ大統領が期待していた展開とは全く別の意味でイランとの軍事的な対峙を迫られているのである3。この間のイスラエルによるシリア領内のイラン軍事施設等への度重なるミサイル攻撃も、この文脈において理解するべきであろう。

こうした中で米トランプ政権が2018年末にシリアおよびアフガニスタンからの兵力撤退の意向を発表したことは、国内向けには膨大な軍事支出を削減する効果があるとはいえ米国の中東地域における影響力をさらに縮小させ、結果的に米国自身が望まない形での新たな政治的バランスを中東域内にもたらすことになると懸念されている。

以上のように2018年の中東情勢は引き続き混沌として先行き不透明な事件が重なったと言わなければならない。だがその底流には浮上しつつある幾つかの新たな兆候を指摘することができよう。それらを列挙すれば以下のとおりである。

① トランプ政権の登場後に米国の中東からの影響力の縮減が加速化される中で、域外の主要アクターとしてはロシア(主に紛争の調停など政治・外交面)および中国(主に経済面)のプレゼンスが急速に拡大している。

② 第二次大戦後のこの地域における支配的な地域概念であった「中東Middle East」がもはや殆どその実体を喪失し、域内の主要な政治的アクターとしてイラン、トルコ、サウジアラビア、イスラエルなどの国々が新たに浮上してきている。

③ アラブ各国の中ではエジプトやサウジアラビアなどの旧来の中心国に代わり、カタールやオマーン、ヨルダン、チュニジアなどの比較的小規模な国家群がより民主的な体制の実現に向けて意欲的な取組みを行い、成果を挙げつつある。

これらの兆候がはたして長期的なこの地域のトレンドとして今後とも定着していくのかどうかは予断を許さないが、いずれも地域的なシステム自体の不可逆的な変化が現在まさに進行していることを物語っている。トランプ大統領が政権を去る2年後ないし6年後には、米国を含む西側諸国は嘗て「中東」と呼ばれたこの地域の全く変貌した姿に直面することになるのかも知れない。

(2019年3月18日脱稿)

新領域研究センター 鈴木均

本文の注
1  N. Bozorgmehr & Katrina Manson, “John Bolton Support for Iranian Opposition Spooks Tehran,” Financial Times, 2/April/2018. https://www.ft.com/content/c6ace172-33f2-11e8-a3ae-fd3fd4564aa6(3月18日アクセス)

 
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