2019 年 6 巻 p. 6-11
トルコでは2014年3月の地方選挙を皮切りに、同年8月の大統領選挙、2015年6月と11月の議会選挙、2017年4月の国民投票、そして2018年6月の大統領選挙と議会選挙のダブル選挙と、2016年を除いて選挙もしくは国民投票が立て込んでいた。しかし、2019年3月31日の地方選挙を終えると、2023年まで選挙がない。そのため、この地方選挙は各政党、特に公正発展党にとっては国民に選挙での強さを見せつけておきたい選挙である。公正発展党は民族主義者行動党と2016年11月以降、協調関係にあり、2018年6月の議会選挙では、一部の公正発展党票が民族主義者行動党の支援に回ったとみられるが、それでも過半数を確保できなかったことは公正発展党の政策決定者たちにとっては想定外だっただろう1。それは、公正発展党は選挙での勝利を自党の正当性に結び付けてきたためである。そのため、今回の2019年3月の地方選挙で公正発展党は挽回を狙っている。本小論ではトルコの2019年3月31日の地方選挙について展望する。
まず、トルコにおける地方選挙について確認しておこう。トルコの地方選挙は通常、5年に1度実施され、2000年以降では2004年、2009年、2014年に実施された。トルコの地方選挙は直接投票によって大都市市長、市長、市議会議員が選出される。2000年代の地方選挙は、総選挙と同様に、公正発展党が強さを見せている。2004年の地方選挙では公正発展党が40.2%の得票率を獲得し、81県中58県で、大都市に関しても16県中12県で勝利した。2009年の地方選挙でも、公正発展党は38.6%の得票率を獲得し、81県中45県、大都市に関しても16県中10県で勝利した。地方選挙で鍵を握るのは大都市選挙区(Büyükşehir Belediyeleri)である。大都市の一般的な基準は人口が75万人以上であり、2009年の地方選挙の際は16県が大都市と認定されていたが、2014年の地方選挙では大都市の数が急増し、30県が大都市と認定された2。その2014年の地方選挙では、公正発展党は2004年と2009年を上回る43.1%の得票率を獲得し、81県中48県で、大都市に関しても30県中18県で勝利した。2014年の地方選挙での勝利は5カ月後の大統領選挙でのレジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan)の当選につながるものであった。
トルコ高等選挙委員会のウェブサイト(http://www.ysk.gov.tr/)を参照し、筆者作成
地方選挙で注目される地区は、やはりイスタンブル、アンカラ、イズミルという3大都市である。それは、大物政治家が候補として立候補しており、大都市の舵取りは国家の建設計画などとも密接に結びつくためである。以下では、アンカラ、イスタンブル、イズミルに関して、立候補者とその背景について概観したい。
(1) アンカラアンカラは公正発展党推薦で元環境・都市大臣のメフメット・オズハセキ(Mehmet Özhaseki)と共和人民党推薦で前回、前々回の地方選挙でも奮闘したマンスル・ヤワシュ(Mansur Yavaş)の一騎打ちの様相を見せている。アンカラ大都市市長選では1994年から前回の2014年の選挙まで20年間、メリヒ・ギョクチェク(Melih Gökçek)が親イスラーム政党の候補として出馬し、勝利してきた。ギョクチェクと比べると、オズハセキは元大臣、元カイセリ大都市市長といえども全国的な知名度は低く、どのような政策を打ち出すかに注目が集まる。ヤワシュは前回の地方選挙でギョクチェクに肉薄しており、今回の選挙で悲願の達成なるかが注目されている。
オズハセキは1957年にカイセリで生まれた3。高校までカイセリで育ち、その後アンカラのハジェテペ大学に進学するも、学生運動が激化したことで大学が一時中断した時期にイスタンブル大学を受けなおし、イスタンブル大学を卒業した。大学卒業後はカイセリに戻り、仕事の傍ら、政治活動にも積極的に参加していた。そして、1994年の地方選挙でカイセリのメリックガズィ(Melikgazi)市の市長に当選、その後、カイセリ大都市市長を1999年から2015年まで務めた。地方政治で名を馳せたオズハセキは2015年に国政選挙に打って出て、6月と11月の両選挙でカイセリから出馬し、当選している。そして、ビナリ・ユルドゥルム(Binali Yıldırım)内閣において、環境・都市大臣を務めた4。
ヤワシュは1955年5月23日にアンカラのベイパザル(Beypazarı)で生まれた5。ベイパザルは古い町並みが残っていることで有名な街である。ヤワシュはイスタンブル大学に進学するまで、このベイパザルで育った。大学卒業後は兵役に従事し、兵役が終わると故郷のベイパザルに戻り、弁護士として働いていたが、その後、1980年代後半から政治活動にも従事するようになった。民族主義者行動党に所属していたヤワシュは、1994年、1999年にベイパザルの市長候補となった。1994年は落選するも、1997年に党首がデヴレット・バフチェリ(Devlet Bahçeli)となり、票を伸ばしていた民族主義者行動党の勢いもあり、1999年にベイパザル市長に当選した。
ヤワシュの名を世間に知らしめたのは、同じように古い町並みが残っていたサフランボルなどが観光地として成功していたのに対し、後れをとっていたベイパザルの街を整備し、観光地化したことであった。筆者も2009年にベイパザルに行ったことがあるが、アンカラからバスで1時間半から2時間で、古い町並みの中でチャイを飲んだり、美味しいご飯を食べたり、買い物を楽しむことができる場所であった。金曜日に行ったと記憶しているが、それでもなかなか混みあっていた。週末は多くの観光客で賑わっていると想像できる。
ヤワシュは2004年の地方選挙でもベイパザル市長に再任された。そして、2009年の地方選挙で民族主義者行動党からアンカラ市長候補として出馬し、善戦したものの、ギョクチェクに敗れた。2014年の地方選挙では今度は共和人民党からアンカラ大都市市長候補として出馬したが、僅差で再びギョクチェクに敗れた。その後、2016年には共和人民党から離党したヤワシュであったが、今回の地方選挙は再び共和人民党から出馬した。
(2) イスタンブルイスタンブル大都市市長に関しては、議院内閣制における最後の首相であり、大統領制に移行後は国会議長という要職を務めていたユルドゥルムが出馬したことが大きな驚きを持って伝えられた。ユルドゥルムの起用は、公正発展党、そして党首であるエルドアン大統領のイスタンブルでは絶対に負けられないという決意を読み取ることができる。
ユルドゥルムは1955年にエルジンジャンで生まれた。大学はスレイマン・デミレル(Süleyman Demirel)、ネジメッティン・エルバカン(Necmettin Erbakan)、トゥルグット・オザル(Turgut Özal)といった有力な政治家を輩出したイスタンブル工科大学であった。ユルドゥルムは、政界進出前は一貫して海運業に従事してきた。1994年にエルドアンがイスタンブル市長となった際にイスタンブル県の海運バス管理機構の代表となり、エルドアンとの親交を深めた。そして、2002年11月の選挙に公正発展党から出馬し当選、2016年5月まで3期にわたり、運輸大臣を務めた。2016年5月に辞任したアフメット・ダーヴトオール(Ahmet Davutoğlu)の後任として首相に任命され、大統領制に移行した2018年6月にはトルコ大国民議会の議長に選出されていた。イスタンブル大都市市長への出馬はエルドアンの意向が強かったと言われている。ただ、イスタンブルで長く過ごしてきたユルドゥルムは支持基盤を持っているので、勝利は堅いと考えられる。
イスタンブルでユルドゥルムに対抗するのは共和人民党のエクレム・イマームオール(Ekrem İmamoğlu)である。イマームオールは1970年に黒海地方のトラブゾンで生まれた6。高校までトラブゾンで過ごした後、イスタンブル大学に進学し、修士課程まで同大学で過ごした。その後、トラブゾンに戻り、家族経営の会社で働き、代表を務めていた。2009年の地方選挙で共和人民党の推薦を受け、イスタンブルのベイリックドゥズゥ(Beylikdüzü)地区の区長に選出された。2014年の地方選挙ではベイリックドゥズの市長に選出された。区長、市長とステップアップしてきたイマームオールは、今回の選挙では大都市市長候補に選出された。ユルドゥルム同様、イスタンブルに一定の支持層を持つが、超大物政治家であるユルドゥルムにどのように対抗できるかは未知数である。
(3) イズミルイズミルは伝統的に世俗主義が強く、ここ最近の地方選挙でも大都市で唯一、共和人民党が勝利を収めてきた。今回はこの牙城を崩すべく、公正発展党は経済大臣、大統領の経済担当補佐官を務めてきたエルドアンの側近の一人であるニハト・ゼイベクジ(Nihat Zeybekci)を抜擢した。ゼイベクジは1961年にデニズリで生まれた。大学はイスタンブルのマルマラ大学に進み、イスタンブル大学で修士号も修めた。その後、イスタンブルとデニズリでビジネスに成功したゼイベクジは2004年に地方選挙に出馬する。2004年から2011年までデニズリの大都市市長を務めた後、国政へと活動の場を移した7。そして2013年末に経済大臣を務めていたザフェル・チャーラヤン(Zafer Çağlayan)が辞任したことを受け、その後任として経済大臣となった。2015年11月から2016年5月までの時期を除き、2018年7月の大統領制への移行までその職を務めた。
イズミルでゼイベクジを迎え撃つのがトゥンチュ・ソイェル(Tunç Soyer)である。これまで14年間イズミル大都市市長を務めてきたアジズ・コジャオール(Aziz Kocaoğlu)が今回の選挙には出馬しないことを表明したため、ソイェルに白羽の矢が立った。共和人民党は1999年からイズミル大都市市長の座を確保しており、その中心がコジャオールであった。1948年にトカット県で生まれたコジャオールは、イズミルのエーゲ大学で学部時代を過ごし、その後、イスタンブル大学で修士号を取得している。コジャオールは2004年3月の地方選挙ではイズミルのボルノヴァ地区の市長に選出された。ところが、イズミル大都市市長に選出されていた共和人民党のアフメット・ピリシュティーナ(Ahmet Piriştina)が心臓発作で同年6月に急逝したため、コジャオールがその後任に選出された。彼は選挙を経ずに大都市市長となったが、2009年と2014年の地方選挙で勝利し、その名声を高めた。ソイェルはこのコジャオールの後任という重責を負うことになる。ソイェルは1959年にアンカラで生まれ、イズミルで育った8。大学はアンカラ大学に進み、その後イズミルのドクズエイルル大学とスイスのウェブスター大学で修士号を取得している。大学院卒業後、イズミルでビジネスの世界に入り、成功を収める。政治の世界には2009年に入り、この年の地方選挙でイズミルのセフェリヒサルの市長となる。2014年にも再選した。2014年は元首相であり、今回はイスタンブル大都市市長に名を連ねているユルドゥルムを破っての勝利であった。
ソイェルは保守的だったセフェリヒサルの改革を行い、海沿いの町であるセフェリヒサルに観光客を呼び込むことに成功した9。この背景はヤワシュと重なる。セフェリヒサルでの成功、そしてイズミルでのEXPOの開催の中心人物だったこともあり、イズミルでは名が通っている政治家である。
トルコにおいては近年、選挙前の世論調査が以前よりも実施されない傾向にある。もちろんいくつかの会社は世論調査を実施している。ただし、2018年の総選挙における民族主義者行動党の10%以上の得票に関しては、直前の世論調査でも高くても7%という結果が出ていたことに代表されるように、世論調査の結果は現実を正しく反映しているわけでもない。一方で、ある程度の傾向は世論調査によって掴むことができる。Euronewsの2019年3月6日付の記事ではイスタンブル大都市市長選、アンカラ大都市市長選に関する6つの世論調査の結果を掲載している10。それによると、イスタンブルでは5つの世論調査でユルドゥルムが優位に立っている。ただし、その差は多くても5%程度であり、最も多い5024人に対して調査を行ったPollMark調査会社の結果は、イマームオールがユルドゥルムの得票率を上回った。
一方、アンカラに関してはイスタンブルとは逆に、共和人民党のヤワシュが5つの世論調査で公正発展党のオズハセキを上回った。やはり最も多い3040人に対して調査を行ったPollMark調査会社の結果は、ヤワシュが42.1%、オズハセキが32%という結果であった。
共和人民党は前回の2014年の選挙で、市長選に関して、81県中13県、大都市は30県中5県で勝利している。また、18の県で2番目の得票率を獲得しているが、アンタルヤ、アンカラ、アルダハンの3県で1%以内の得票差での惜敗であった11。一方、共和人民党が第1党となった県で第2党と1%以内の差だったのはハタイのみである12。裏を返せば、アンタルヤ、アンカラ、アルダハン、ハタイでは大都市市長が現職と異なった人物が勝利を収める可能性がある。ただし、昨年の6月24日のダブル選挙後、大統領候補として名をあげたムハッレム・インジェ(Muharrem İnce)と党首のケマル・クルチダールオール(Kemal Kılıçdaroğlu)が対立するなど、党内の不協和音がマイナス点である。
2019年3月の地方選挙の見どころは、最初の部分でも述べたように、公正発展党がどれほどその強さを見せられるかであるが、他にも注目点はある。まず、2014年の地方選挙では6.1%の得票率に留まっていた親クルド系の人民民主党がその後の総選挙で3回連続10%以上を記録している。今回の地方選挙でも同様の高得票率を獲得できるかが見ものである。また、2018年6月の総選挙で予想に反して得票率を獲得した民族主義者行動党が今回の地方選挙でも10%前後の得票率を維持できるのかも注目される。民族主義者行動党は2018年6月の選挙と同様に、公正発展党と選挙同盟を結んでいるが、前回の選挙では、戦略的に公正発展党の支持者も多く民族主義者行動党の投票に回ったと言われている。
本小論ではトルコにおける3月31日の地方選挙について展望した。繰り返しになるが、この地方選を終えるとトルコでは約4年間選挙がないこととなる。トルコを率いるエルドアン大統領は、大統領制によって国内で絶大な力を持っている。そのため、エルドアン大統領にとって課題となっているのは内政よりもむしろ外交、そして外交と密接に結びついている経済状況である。しかし、選挙での強さに陰りが見えている公正発展党の存在感を高め、大統領制下の政権運営を国民に肯定的に評価してもらえるかどうかという意味でも、この地方選挙の結果はエルドアン大統領と公正発展党の今後を占うものとなるだろう。
(2019年3月20日脱稿)
地域研究センター 今井宏平