アラブ首長国連邦(以下、UAE)は、食料生産に不向きな気候環境と人口増加に伴う食料需要の増進を背景に、国内食料生産の拡大と海外市場からの安定的な食料調達を進めてきた。UAE国土の大部分は砂漠で、東部のオマーンとの国境沿いには南北に連なる山岳地帯があり、その西側は礫原となっている。また海岸地帯にはサブカと呼ばれる塩性多温土が分布している1。このため、相対的に自然条件に恵まれた北部首長国や一部のオアシス周辺で伝統的にナツメヤシの生産が行われてきた。近年では、ドバイやアブダビなどの大都市近郊で、ビニールハウスを利用した野菜・果物や園芸植物の栽培が行われ、ウンム・ル・カイワインなどでは養鶏なども行われるようになった。
こうした農業部門の発展にもかかわらず、UAEの経済全体に占める農業の規模は大きくない。2017年のGDP総額3,825億ドルのうち農林水産業は29億ドルであり全体の0.8%に過ぎない。農林水産業の経済規模を7つの首長国間で比較すると、2017年のアブダビの農林水産部門のGDPは16.8億ドルであり最も大きい。アブダビの農林水産業は、UAEの農林水産業全体の28.9億ドルのうち58%を占めるものの、アブダビのGDP総額2,266億ドルの0.75%に過ぎない(アブダビ統計センター)。
国内の限られた食料生産では、急速な人口増加に伴う食料需要の拡大をカバーすることができないため、食料の安定的な確保がUAE連邦政府・各首長国政府にとっての重要課題の一つとなっている。954万人の人口(国連推計、2018年)を抱え年率2%で増加する現状においては、国内の農業従事者や国営農場による食料生産では不足するため、食料の90%を海外からの輸入に頼らざるを得ない。食料需要も近年急速に増加しており、マリアム・アル・ムハイリ食料安全保障大臣は、現地紙の取材に対して「食料消費量は年間12%の割合で増加している。気候変動と世界の食料需要を考慮すると、現在と将来の食料を確保するために新たな計画を立てる必要がある」と語った2。さらに、連邦政府は、2051年までに食料生産を60%拡大させるという野心的な目標を定めている3。
本レポートでは、これらの状況を背景に、UAEの連邦政府及び各首長国政府が、近年の食料安全保障4のためにどのように取り組んできたかについて検討する。まず、第2節で、連邦と各首長国政府による農産物生産促進と海外農場の獲得に関する政策について整理を行う。次に、第3節では、海外の農場の獲得先に関して、近年のUAEの農産物輸入の動向について述べる。最後に、UAEの農業部門における政府部門と企業部門の課題についてまとめる。
UAEにおける農業政策は、連邦および各首長国それぞれの政府レベルで行われているが、農地開発、インフラ整備、農産物の輸出入、農業技術開発などの具体的な案件については主に各首長国政府の所管である。連邦政府レベルでは、気候変動環境省(Ministry of Climate Change and Environment:MoCCaE)が連邦全体の包括的な農業行政を管轄するが、各首長国の農業を含む経済・産業開発については、各首長国政府の関係官庁がより重要かつ具体的な権限を有する。例えば、アブダビ首長国において、具体的な農業政策については、アブダビ食料管理庁(Abu Dhabi Food Control Authority:ADFCA)が監督省庁となり、アブダビ・ファーマーズ・サービスセンター(Abu Dhabi Farmers' Services Centre:ADFSC、2009年設立)を通じて国内農業従事者の支援や農業技術開発を担当している。また、アブダビ開発基金(Abu Dhabi Fund for Development,:ADFD)などの政府系開発援助機関が、国内外の農地・インフラ開発や灌漑システムの整備のための資金援助や技術協力を行っている。
国内の農業従事者に対しては、長年にわたり政府による手厚い保護と支援がなされてきた。UAEにおける農業は、もともと家族経営による自家消費のための生産が主であり、大規模生産を行う企業型農業経営は極めて限られていた。従来から行われていたナツメヤシ・果樹・牧草・野菜を栽培する伝統的農業では、10万人の人口を養うのがやっとであったとされ5、拡大する人口と食料需要を支えるためには、国内農業の生産拡大が当初より求められてきた。他方で、政府による農業支援政策は、農業生産の拡大と農業部門の育成はもちろん、農業従事者に対する就業支援や生活援助の目的が含まれていると考えられる。島(2008)6によると、農業基盤を強化するための計画の一部として農業漁業省(当時)は開墾した農業適地を国民に無料で払い下げ、農業従事者には生産に必要な道具類を市価の半値程度で提供していた。また、農業用機器、肥料、種子などの購入のためのローンや信用保証などの提供、農作物の病虫害に対する技術的な指導なども実施していた。例えば、アブダビ首長国でも、ADFSCが国内農家に対して技術面と経営面のアドバイスや、生産された農産物の流通・販売の支援などアブダビ首長国の持続可能な農業の開発に取り組んできた7。また、貴重な水資源の節約のため、それまで行われてきた牧草(ローズグラス)の栽培から多作物への転作を図るなど、生産される農産物の転換も行われてきた8。これらの国内農業支援政策の成果として、アブダビ首長国内の農場数は、2008年の21,015件から2017年には24,018件に、農場面積は73,151ヘクタールから74,986ヘクタールに拡大した。ただし、国内の農産物の生産額自体は2008年の20.6億AEDから2017年の3.2億AEDに減少しており、国内の食料生産の増産には至っていない。
発展途上国の人口増加やバイオエタノールに対する需要増加などを要因として、2007-2008年に小麦・大豆・トウモロコシなどの国際価格が高騰するなか、穀物輸出国の多くが自国向けの供給を優先し輸出規制策を採用した。一方で、原油価格の高騰と国内開発ブームの渦中にあったUAEを含む湾岸産油国は、先行きの食料供給への不安から、アフリカやアジアなどの発展途上国で農地を取得し、自国向けの食料確保のために積極的に取り組んだ。UAEは従来から食料の大半を海外からの輸入に頼ってきたが、2007年以降の穀物の国際価格の高騰を機に、アフリカやアジアの農地に対する投資を通じて広大な農地を獲得し、生産した農産物を輸入用に確保する方針を取るようになった9。表1は、UAE政府と企業による海外における農地獲得と食料確保の動向について、主なものを整理したものである。
この時期のUAE政府と企業による海外農地獲得の動きは、全世界的に展開されていたが、中東・アフリカ・アジアなどの発展途上国に集中していたことが特徴の一つである。また、農業技術の協力協定の締結や農地・関連インフラへの投資計画の発表など、投資計画の公式のアナウンスはあったものの、具体的に案件が進行しているものは多くない。筆者が確認した限り、現地の農地を獲得し生産を開始したとされるのは、表1のリストの中ではスーダンとパキスタンの2か国である。アラブの「ブレッド・バスケット(パン籠)」と呼ばれたスーダン10では、アブダビの投資会社であるジナーン投資会社(Jenaan Investment)が、2010年にスーダン政府との間で合弁会社アムタール投資会社(Amtaar Investment)を設立し、スーダン国内において2,800平方キロメートルの大規模農地の管理・運営を開始した11。当時、UAEはGCC諸国の中でスーダンの農業部門への最大の資金拠出国であり、6,000億ドルの投資を行っていたとされる。また、ドバイの非政府系プライベート・エクイティ・グループであるアブラージ社(Abraaj Capital)は、中東北アフリカ地域のみならず世界的に分散投資を行っていたが、その一環として2010年にパキスタンの農地を購入したと報じられた12。
他方で、UAE政府と企業による海外農地の獲得の動きは、アフリカやアジアの発展途上国からヨーロッパや南北アメリカなどへとシフトしつつあるとの指摘もある。発展途上国では、関連インフラの脆弱性、地元民の反感、治安の悪さ、政治的リスクなど農業開発プロジェクトの成否に負の影響を与える要素を考慮して、より安全な地域にポートフォリオを振り分けるようになってきている13。
これまでUAE政府や企業が進めてきた海外向け農業投資は、UAEの農産物輸入をどれほどサポートできたのであろうか。個別の農業投資案件がマクロの貿易構造の変化に与える影響を分析するには、分析材料が不足しているため厳密な数量分析は難しいが、ここでは近年の農産物の輸入額の変化を観察することで、概観することにする。
中東北アフリカ諸国は、UAEの食料安全保障上、相対的にその重要性を増しつつある。米国やカナダ、オーストラリアなどの先進国は、これまでUAEにとって食用野菜、根菜及び塊茎、穀物、食用の果実などの農産物の最重要供給先になってきたが、これらの国々に次ぐ食料の供給地域となっているのが中東北アフリカ諸国や南アジア諸国である。図1は、中東北アフリカ諸国およびインド・パキスタンのうち農産物14輸入額上位5カ国(2017年)の輸入額の推移を示したものである。UAEにとってインドは最大の農産物輸入元で、2017年にはインドから50億AED(名目値、13.6億ドル)の農産物を輸入しておりUAEの農産物輸入総額のうちの20%超を占める。しかしながら、インドからの農産物輸入額および国別シェアは2008から2017年にかけて減少傾向にあり、UAEの農産物の調達先が多様化しつつあることを示唆している。インドからの最重要輸入商品は真珠・宝石・貴金属類、鉱物性燃料、鉄鋼であるが、穀物、食用果物、食用野菜などの多くの農産物も輸入している。イラン、パキスタン、エジプト、スーダンは、この地域においてインドに次ぐ農産物の重要な輸入相手国であり、エジプト、イラン、スーダンなど中東北アフリカ諸国からの農産物輸入はとりわけ増加傾向にある。
出所:連邦競争性統計局・国家統計局の国際商品貿易統計各年版より筆者作成。
表1で示したようにUAE政府や企業は、2008年以降、海外の農地投資や農業開発援助を精力的に進めてきた。特にスーダンとパキスタンでは、UAE企業による具体的な農地獲得が行われ生産が開始されたと報じられている。しかしながら、2010-2018年の期間を見る限り、スーダンとパキスタンからUAE向けの農産物輸入が顕著に増加したとは言い難い。スーダンからの輸入額について言えば、2008年の2300万AED(以下、2010年の物価換算の実質値)から10年間で2.7億AEDへと年平均(CAGR)で32%増加したが、2017年の農産物輸入総額に占めるスーダンのシェアは依然として1.25%に過ぎない。パキスタンの農産物輸入額にいたっては、同時期に、17.7億AEDから7.9億AEDへ減少しており、農産物輸入総額に占めるシェアも9.4%から3.0%に低下している。なお、スーダンからUAEへの主要輸入品(上位3品目)は、真珠・宝石・貴金属類(2017年の総輸入額の95.9%)、農産物(同3.4%)、動物及び動物性生産品(同0.5%)であり、2国間貿易において農産物のシェアは依然として大きくなかったことが分かる。
UAEは、食料生産に不向きな国土と気候条件を持ちながらも、拡大する人口と食料需要を満たすために、各レベルの政府と企業が中心となって食料確保のために積極的に取り組んできた。その取り組みの重点は、第一に、国内生産の拡大および生産性の向上であった。それは同時に、国内農業従事者の支援と保護を通じての就業支援や生活援助などの社会保障政策の意味合いを含んだものであったと考えられる。国内の農場については、規模は拡大しつつも農産物生産の増産には未だ結びついていない。従来型の農場では、革新的な増産は困難であったため、近年、政府のサポートのもとで植物工場型の水耕栽培農場が展開しつつある。これらの新興農業企業は、水耕栽培によるハーブや野菜の商業生産を開始したばかりであり、今後の生産拡大が期待されている。
第二に、2007-2008年の穀物の国際価格の高騰以降、UAE政府や企業による海外農場の獲得を目指した。結果的に、スーダンやパキスタンなどの発展途上国において農場を獲得し、一部で生産が開始された。しかしながら、これらの地域からの農産物の輸入は伸び悩んでおりUAE国内の拡大する食料需要を十分に埋めるに至っていない。これらの地域における農場獲得に向けた交渉の中で、関連インフラの未整備や事業リスクの高さなどのプロジェクトを展開する上での問題が浮き彫りになり、UAE側の焦点は新たな投資先を模索する段階に移りつつある。
UAEの現状の食料安全保障政策としては、北米やオーストラリア、インドなどの従来からの食料供給国からの食料輸入を維持・拡大しつつ、新たにヨーロッパや南米諸国など新たな調達先との交渉を進めるという方向が見受けられる。食料安全保障は、将来の国家運営の基盤となる重要事項であるため、発展途上国の安価な農場を低コストで獲得し、農産物を安価に購入することが最善の解決策になるとは限らない。近年のUAE政府と企業の農業投資先の転換は、食料の調達先の多様化を通じてリスク分散を図ることが期待できるが、他方で、複数国を相手とした交渉の長期化が予想される。今後の農業政策の展開を注視し続ける必要があろう。
(2019年3月3日脱稿)
新領域研究センター 齋藤純