サウジアラビアでは女性が自動車を運転することが禁止されてきたが、今年の6月24日から女性の運転が解禁された。周辺の中東諸国では女性は自動車の運転を認められており、サウジアラビアだけが禁止されてきたが、ようやく運転が認められることとなったのである。解禁の背景には、サウジアラビアの社会と経済をめぐる大きな変化がある。それは、若者層が増加したことと、石油への依存軽減を目指す経済改革の動きが進んでいることである。
サウジアラビアは、オイルショックのあった1970年代以降多くの石油収入を得るようになりその経済は飛躍的に発展した。一方でその社会を見ると、厳しい戒律を持つことで知られるワッハーブ派(スンニー派の一派)が支配的宗派として影響力を保ち、また、社会を律する伝統的な価値観が色濃く残っており、経済発展にもかかわらず、社会生活では女性の運転禁止や映画館の開設禁止をはじめとした旧来の様々な規制が続いてきたのである。
1970年代後半以降の経済発展の中で人口が増加し、人口に占める若者の割合が増加した。2018年の統計で見ると(サウジアラビア中央統計局人口統計)、サウジアラビア人の人口2,077万人の内(外国人を含めると3,341万人)、30歳未満の若者がその59%を占めているほどである。近年は、その若者たちの間から規制を緩和し映画や音楽などの娯楽を自由に楽しめるようにして欲しいなどと、社会生活の改善を求める声が強まっていた。若い女性の間からも、自動車運転の解禁を求める動きが強まっていた。そうした若者たちの期待に応えることになったのが、若い指導者ムハンマド皇太子(32歳)による改革の動きである。
改革の動きは原油価格の大幅な下落を受けて始まったものである。2014年以降原油価格が大幅に下落したことを受けて、石油に依存しない経済を実現することを目指し経済を中心とした改革が始まった。2016年4月には、政府の経済改革の指針である「ビジョン2030」が発表された。その中では「サウジアラビアは石油など天然資源に富むが、本当の富は人々の将来への希望と若い世代の可能性にある」とし、若者たちが生き生きと暮らせる社会を作ることが記されている。この改革の流れの中で、映画館の開設や様々な娯楽・エンターテインメント事業の開発が進められることになった。女性に関しても、「ビジョン2030」の中では女性の労働参加・社会進出を進める方針が示され、労働力に占める女性の割合を22%(2016年)から2030年には30%に拡大させることが明記されている。
こうした流れの中で、サウジ政府は昨年9月に2018年6月から女性の自動車運転を解禁すると発表した。女性の自動車運転の解禁は、若者たちの要望に応えたものであり、また、女性の労働参加の増加と社会進出にともなって必要とされる女性用の交通手段の確保の意味もある。サウジアラビアでは地下鉄やバスなどの公共交通の整備が遅れており、サウジ人の交通手段は自動車に大きく依存している。女性の労働参加・社会進出をこれまで以上に進めるためには、女性の自動車運転を解禁することが欠かせないためである。
現在でも数多くのサウジアラビア人の女性たちが働いている。統計では2014年末には80万6,000人のサウジ人女性が働いているとされる。その後、改革が進む中で、働くサウジ人女性の数は大きく増えており、現在では100万人前後になっているものと推定される。
女性の社会参加に関する制約が強い中で数多くの女性が働いていることの背景には、女性が働かなければならない職場があることである。典型的な職場は小学校から大学までの教育機関で、そこでは数多くの女性が教師として働いている。学校制度は男女別学となっており、女子校では女性の教員が教えなければならないため、女性の教師が数多く必要とされているのである。2014年末の統計では、働くサウジ人女性の71%(57万人)は教育部門で働いているとされる。その他にも女性の診療を受け持つ医療機関、あるいは女性に対応する必要のある行政機構など様々な分野で女性が必要とされ働いている。最近では女性客を相手とした小売業や金融部門で働くサウジ人女性の数が増えている。なお、サウジ人以外に外国人の女性もおり、家庭のメイドなどとして外国人女性も数多く働いている。
自動車運転が解禁されるまでは、女性たちはどのようにして通勤・通学・移動手段を確保していたのであろうか。これまでの女性の交通手段は、主なものとしては4つある。インド人などの外国人のドライバーを雇い送り迎えをしてもらう、夫や男の兄弟の運転する自動車に乗せてもらう、タクシーを利用する、学校などの職場・施設が提供するバスなどを利用するなどである。都市部の富裕層などでは外国人ドライバーを雇用している家庭も多い。しかし、運転手には月1,000-1,500リヤル(270-400ドル)の賃金がかかるなど、家庭の負担も大きい。
ドライバーを雇用する余裕のない家庭や地方の家庭では、男性家族の自動車に乗せてもらうケースも多い。しかし、それは夫や男の兄弟にとって大きな負担となっている。毎日の通勤に加えて、女性が友達や親戚を訪問するときにも自動車が必要になる。友達や親戚訪問に際しては、夫などに前もって予定を知らせ了承を得る必要がある。応援しているチームのサッカーの試合がある日は、男性は観戦のために時間が必要で、その日は外出を止めるなどの「サッカー・ルール」を決めている家庭もあるとされる。女性の自由な外出は制約され、男性家族の負担も大きい。
女性の自動車運転の解禁は、経済的な側面を含め、家族の負担を劇的に改善することにつながるものである。
昨年9月に女性の自動車運転の解禁が決まってから、女性用の自動車学校の開設や、女性用の自動車のショールームが設けられるなど解禁に向けた準備が進められてきた。外国で暮らしたことがあり国際免許を持っている女性には、事前にサウジアラビアの免許証が交付されている。
2017年10月に行われた調査では、サウジ人女性の85%は自動車の購入希望を持っていることが示されている。実際に購入するかどうかは不明だが、日本の自動車メーカーなどでは自動車の販売を増やすチャンスと見ている。サウジ人の女性は、性能が良く比較的価格が安くコンパクトな自動車を好むとされ、それは日本の自動車メーカーの得意分野であり、販売増が期待されている。面白いのは、調査では女性の好む自動車の色は黒とパールホワイトとされる。女性は外出時には黒いアバーヤ(着物の上に被る黒い上着)を着用するが、そのことが影響しているのであろうか。
女性への自動車の販売増が期待されているが、実際には、女性の自動車の運転が広まるには時間がかかるものと思われる。リヤードやジェッダなどの大都市部では女性の自動車運転は早い時期に広まると思われるが、人口の多くが住む地方社会は保守的で、地方で女性の自動車運転が広まるには、年月が必要だからである。
筆者は以前にサウジアラビアの隣国のオマーンで、女性の自動車運転の普及状況について調べたことがあった。オマーンの首都マスカトと内陸部地方の町などで女性の自動車運転の状況について調査を何回か行った。調査では、マスカトと内陸部の数か所の地点(イブラーやニズワーなど)で、道路を走行している500台から1,000台程度の乗用車について目視で調査した。オマーンでは女性の自動車運転は公式に許可されていたが、1994年に調査をした時にはマスカトでは女性運転の割合は12.4%であったが、地方ではゼロであった。地方では数百台の乗用車を目視したが、女性が運転する乗用車は1台もなかった。6年後の2000年にほぼ同じ場所(数か所)で調査をすると、マスカトでは女性の運転の割合は17.3%と少し増加したが、地方では8.7%になっており、6年前のゼロから大きく改善していた。2007年の調査ではマスカトでは18.8%、地方では10.8%であった。
オマーンの事例は、女性の自動車運転が解禁されても、女性の運転が全土で急速に普及することはなく、とりわけ保守的な地方部では時間がかかることを示している。2017年10月にサウジ人の成人500人を対象にして、女性の運転についてアンケート調査が行われている。その調査では、男性の7割は女性の運転に賛成し、女性は82%が賛成している。女性の賛成は82%で、意外と少ないとの印象を受けた。女性の中にすら女性の運転に賛成しない人たちがいるのである。都市部では女性の自動車運転は早い段階で広まると思われるが、それが保守的な地方を含め全国に広がっていくためには、長い年月がかかるのではないかと思われる。
いずれにしても、自動車運転の解禁で女性の労働・社会参加が大幅に進むことは間違いない。現在でも数多くの女性たちが働いているとはいえ、交通手段が確保できずに働くことができない女性たちも多く、女性の失業率は32.7%と高い。自動車運転の解禁で失業率は将来は大きく改善しよう。また、運転手に支払っていた賃金負担が少なくなり、各家庭の可処分所得が増え、社会全体の経済的な負担が軽くなるなど、消費などの経済への寄与もそれなりに大きいものと考えられる。
女性の自動車運転の解禁は、経済発展に大きく寄与し、社会や文化の発展に大きく寄与するものであることは間違いないものと思われる。なによりも、サウジアラビアが新時代を迎えつつあることを象徴する出来事で、今後の女性の活躍が期待される。
(2018年7月10日脱稿)
新領域研究センター 福田安志